第八話 白河夜船
正体もなくぐっすり眠ること。
昨日と同じ食事を、同じく魔王さんと囲んでいます。
白いクロスがかかった長方形の大きめのテーブルの端っこに座り、魔王さんと向かい合う形。
彼にも大である彼と一介の使用人の私が同じ食卓を囲むのはちょっとばかりまずいのではないかと思い、聞いてみたら
「手間は同じだしどうせだから一緒に食べた方がよいのではないか」
「別に俺は構わない」
とのこと。ちなみに前者はシアさん、後者は魔王さんの言である。
そんな二人のお言葉に甘え、私は今テーブルについている。一人よりも誰かと一緒に食べる方が美味しいですしね。
それはさておき私にはなんとしてもここで確認しておきたいことがあった。
先ほどおいしい食事を作ってみせると決意したのですが、とりあえず魔王さんの要望を聞いてみようと思ったのです。
私の味覚と彼の味覚が必ずしも同じとは限らないのですから。もしかしたらこの食事が彼にとって、最も美味しい食べ物であるという可能性も捨てきれません。
「今日のご飯はどうでしょうか?」
「……普通?」
なんで、疑問形なんでしょうか?
質問をミスりましたね。
「味付けは美味しいですか?もうちょっとしょっぱいほうがいいとかそういうのは」
「いや、そうだな……特に美味いとか不味いとかは思ったことはなかった」
つまりこの味が魔王さんにとっておふくろの味、デフォルトな味なのだと。
……なるほど、手がかりゼロですか。
特製スープに関しては昨日のように空腹と言う補正がない分、なかなか強烈な味だったのですが、如何せん食べなければ力が出ないのでなかば流し込むようにして完食。
一杯だけではではいささか食べ足りなかったので、結局一回だけおかわりを頂戴して朝食を終えた。
食べ終わったときにはすでに魔王さんの姿はなかった。
昨日は結局シアさんに後片付けをさせてしまったので、せめて今日からは、と片付けを申し出てみる。
「お、やってくれるか。じゃあよろしく頼むぞ」
私の申し出にすっぱりと了承すると、彼女はどこかへ去っていった。
そしてただっ広い部屋に一人取り残される私。いや、別にいいんですけどね。皆さんお忙しいでしょうし、別に寂しくなんてないですし……
何となく虚しい思いを感じつつも腕まくりをする。
……さて、お仕事を開始しましょうか。
洗い物は、すぐに済んだものの、終わってから見渡すとなかなか汚れていることに気付いた。
十数人は入れそうな十分なスペースがある。
そして台や棚が設置されておりかまどすらある。
…………かまど?
先ほどシアさんはかまどなど使わずに魔法で加熱調理を行っていた。
この調理室の中は、彼女の料理のスタイルとは明らかに噛み合っていない。
少しだけ好奇心が湧き上がり、
手頃な位置にある棚を開けてみる。すると大小さまざまな鍋、ヘラ、包丁など一般的なものから、使い方のわからないものまで見つかった。
少し見ただけでもわかる、一般家庭ではお目にかかれないほどの調理器具の豊富さ。
ここまで揃えられているのは、かなり大きな食堂か、富裕層の調理場くらいじゃないだろうか。
シアさんの先ほどの調理を見るに、これらの器具は使っていないのだろう。そもそもこれほど埃を被っていることから見て、だいぶ前のものだということが推測できるつまり……
つまり…………?
前に城の中に料理を趣味にする人がいたのだろうか?
よくわからない。
結局謎がが深まっただけだった。
朝食の後片付けを終え、これからどうしようかと考える。
シアさんに指示を仰ぎに行こうか、と考えてそこではっと気づく。
彼女の部屋までの道を覚えていない。なんせ昨日ここに来たばかりなのだ。自分の部屋すら危うい。ましてや暗い中一度行っただけのシアさんの部屋の場所など皆目見当もつかない。
仕方がないので、城内見学と洒落込むことにした。
最終目的地はシアさんの部屋ではあるが、まだ見ぬ城内に興味を隠しきれない。この城の外観から見て中は相当広いだろう。知らない場所を見てまわるのはワクワクする。
私は調理室を出て適当な方向に歩き出した。
まだ私が勇者だった頃、王城に訪れることも数回あったが、この石がむき出しの回廊といい、装飾一つない薄暗い城内と言い、結構違いがあって人と魔族の好みの違いみたいなものが感じられてとても面白い。
ただ漫然と適当に歩いていると突き当たりに大きな階段を見つけた。なんとなく興味を引かれて登ってみる。
登りきるとそこはこじんまりとした広場だった。
天井から光が差している。
薄ぼんやりとした光ではあるがこの城の中ではとても明るい部類に入るだろう。
その天井から取り込んだ光の落ちる先に、長椅子が置かれている。そして、長椅子の上には黒い服を着た男性が寝ている。
多分魔王さんだろう。
片腕を顔の上に乗っけるような態勢で横たわっている。
昼寝?いや昼寝にしては時間が早い。大体今は朝ごはんを食べたばかりのはず。ご飯を食べて眠くなったのだろうか。
眠たくなって、そのまま横になったら眠ってしまったパターンだろうか?
しかしそんなに寝ると、夜眠れなくなって生活リズムが狂う。
気持ち良さそうに寝ている彼には気の毒だが、起こしてあげたほうがいいのではないかと判断した。
「魔王さん?」
私の呼びかけにも彼はピクリともしない。
あれ? 何か既視感が。
初めて出会った時もこんな事をしたような気がする。
「魔王さん? 起きた方がいいですよー」
眠りが深いタイプなのかもしれない。
ゆさゆさといっそ無遠慮なまでに揺すってみるが一向に目を覚ます気配がない。
……起きない?
急激に不安に囚われる。わずかに胸が上下しているので呼吸はしているだろう。次に彼の手を取り、脈拍を確認する。ややゆっくりだが正常な拍を刻んでいる。問題ないはずだ。……しかし彼の心臓と呼吸以外のすべてが活動を止めてしまったような。なぜだかそんな錯覚にとらわれる。
魔王さんの手を取って固まっている私に、右耳のあたりにもふっとした感覚をうける。
慌てて振り返ると視界は真っ黒に覆い尽される。
一瞬パニックになるも、息を吸い込むと爽やかな若草の香りがした。
「……エマさん」
くるる……
穏やかに、私をなだめるような鳴き声。
橙色の瞳に浮かぶ穏やかな光を見てなぜだかとても安心した。
「魔王さん、寝てるだけですよね?」
エマさんは優しく目を細め一鳴きした。
なぜこんなに不安になったのかわからない。何故かわからないが彼が二度と目覚めないような気がして恐ろしくなったのだ。
それからはエマさんにしばらく寄り添ってもらって、ずっとそこにいた。
ふわふわの暖かい生き物の体温をそばに感じながら、降り注ぐ陽光を浴びて、少しだけうとうとしてきた頃。
ギシッと何かが軋む音。急速に私の意識がクリアになる。
慌てて視線を上げると、先ほどまで横たわっていた魔王さんが起き上がり、そこに腰かけていた。私は地べたに座りこんでいるので、椅子に腰掛ける彼は自然とこちらを見下ろす形となる。
目の前の彼は緩やかに首をかしげる。
「どうした? 俺に何か用事か?」
眠そうな瞳と乱れた髪は、まさに寝起きといった様子。
なぜだかこちらを無表情で認める彼の姿に無性に安心して、エマさんをぎゅうっと抱きしめた。
「良かった……もう私、本当に……」
何を言いたいかわからない支離滅裂な回答になってしまった。
急に視界が滲んできたのでエマさんを一層強く抱きしめる。
強く力を込めすぎたのか、エマさんはじたばたと暴れる。
「す、すいません!」
自分が中々に馬鹿力なのを忘れていた。すぐに解放するも、少しだけ距離をとられた。
せっかく仲良くなれたと思ったのに、ちょっと嫌われてしまったかもしれない。
少ししょんぼりしつつ。
起きたならもう大丈夫だと思い、後はエマさんに任せて退散することにしよう。
「それでは私はこれで失礼します」
「……ああ」
すっかり目的を忘れていた。シアさんが私を探していなければ良いなと思いつつ、本来の目的である彼女の部屋の捜索を再開することにした。
その時、私は背後の彼が退室しようとする私の背中を見つめていた事など知る由もなかった。