第七話 食料調達
ーーあれ、ここはどこでしたっけ。
起床して思ったのはまずそれだった。最初に目に入ったのは梁の交わった天井。
むくりと上半身を起こしあたりを見渡すと、机とクローゼットが目に入る。
窓はまだ暗闇、壁際に灯された揺れる炎の明かりだけが室内を照らしている。全体的に白と緑色の室内を眺めているうちにだんだん脳が覚醒してきた。
「あぁ、ここは……」
魔王城でしたね。
がちゃりと物音がする。慌ててそちらに目を向けると、入り口の前には魔人の少女シアさんが立っていた。
「起きたか」
「あ、おはようございます」
……じゃなくて!!
「ノックくらいしてください、 びっくりするじゃないですか!」
慌ててぼさぼさの頭を手ぐしで整える。
「のっく?…………わかった善処しよう」
いや絶対わかってないですよね、というのは今は一旦脇に置いておいて
「私に何か御用ですか?」
光の入り具合を見るにおそらく日の出前であろう。こんな時間から私のもとに訪れるとは、相当な急用かもしれない。
そう思いじっと彼女の言葉を待つ。
「エイフリル!!狩りにいくぞ!!」
…………ん?
「……狩りとは?」
「有り体に言えば食料調達だな」
いや、そういうことではなくて。
「すいません、まだ眠いんですがもうちょっと寝かせてくれませんか?」
すごく眠い。寒い。このふかふかのベッドから離れたくない。
甘ったれたことを言う私をシアさんは笑顔でバッサリと切る。
「お前が昨日、食料のストックまで食いつくしてしまったからなぁ……。朝食の分の食材を取りに行かなくてはなー」
うぅ…申し訳ないです。
それを言われると、耳が痛い。
こちらには空腹にかまけ、普段の二倍ぐらい食べてしまった負い目がある。
ベッドからのそのそ這い出した私を見て、満足にうなずく。
「では私は先に行く。お前の事はエマに頼んでおいたからおとなしく連れてきてもらうといい」
そう言うやいなや彼女の姿は一瞬にしてかき消えた。
え、ちょっと。急過ぎませんか!?
身支度済んでないんですが!
文句を言う相手もいなくなってしまったので、大人しく向かうことにした。
…………………。
ところ変わってここは魔界のどこか。水が満ちた沼地のような場所だ。周囲には背の高い気が何本も生え、水面に緑の葉を下ろしている。
あたりにはうっすらと白い霧がかかり、神秘的な雰囲気に満ちている。
そしてシアさんはというと水の上に浮いていた。
水面に佇む美しい少女はお伽話の泉の妖精のようで、なかなか絵になる光景だ。
かく言う私はそばの水際で体育座りしながら、彼女を眺めている。
「知っているかもしれないがわれわれは人間が食べるようなものは食べない。故に味覚も大分違っているのだ……。日ごろから何か違うのではないかと思っていたのだがな……」
黙って先を促す。
「昨日のお前の反応を見て確信した。……やはり、アレ、おいしくないのだろう……?」
恐る恐るといった様子でこちらにたずねてくる。
文脈から言って「あれ」とは昨日の晩御飯のことであろう。
答えにくい質問だった。ご馳走してもらってなんだが、確かに昨晩のあれは美味とは言い難い味であった。
「確かにかなり個性的な味ではありましたね……」
こちらの答えはなんとなくわかっていたのだろう。
やはりか……とつぶやく彼女はなんだか悲しそうだ。
「どこをどう変えたらいいのかさっぱりでな。 お前の意見を聞きたいと思って」
「なるほど、わかりました。そのような事でしたら力になりましょう」
あわよくば私もおいしいご飯にありつけるかもしれない。
彼女はいまだに、水面に立ったままである。曰く獲物が来るのを待っているらしい。
端っこで待っているのも暇なのでずっと聞きたかった事を聞いてみる。
「あの、魔王さんって人間なんですか?」
少なくとも外見上はどこからどう見ても人間だ。それに、私と同じものを食べていた。魔族というものは、一般的な食事を必要としないというのが定説である。
彼女は油断なく水面を睨みつけたまま、私の問いに答える。
「それは難しいところだが、少なくとも魔王という生物が魔族より人間寄りであるのは確かだろうな」
意味深な彼女の言葉に何か引っかかるものを感じたが、とりあえず納得する。
「それってーー」
「シッ! 静かにしろ。きたぞ……っ!」
そういうシアさんの目はギラギラ光っている。その目は捕食者のものだ。
見つめる先は一見、何もいないように見える。
が、次の瞬間青々とした緑に覆われた水面がぶくぶくと泡立ち、何か大きな塊が飛び出してきた。
それは一見すると魚のようであった。しかしとても大きい。彼女の体躯に匹敵するほどの大きさで表皮は黒紫色、落ち窪んだ目は何故か鮮やかな黄緑色。口元には鋭い歯が隙間なく生え揃っている。
ソレは水面から飛び出していきをそのままにシアさんに噛み付こうとしている。
その体の割に巨大な口は、彼女の頭など軽々飲み込んでしまいそうである。
「危ない!!」
思わず叫ぶ。
ーーそれは一瞬のことだった。
声もなく指を振る。
彼女の周囲が一瞬光ると、次の瞬間こぶし大の火球がいくつか出現する。七つほどの火の玉は全て魚の身に炸裂した。
ソレが水面に落ちる前に、引っ掴み素早くこちら岸へとぶん投げる。
無事に私のすぐ側に着弾した魚は、ビチビチとのたうち回っている。正直言って、かなり不気味だ。
あっという間に決着をつけたシアさんが地面に降り立つ。
「よしじゃあ次行こうか」
地面の上でのたうち回るソレの尾びれをがしっと掴むと、容易く持ち上げ背中に背負っている袋に入れる。
「すいません、これが目的のものなんでしょうか? 正直食べられそうにないんですけど……。あとそれ、生きたままだと運びにくくないですか」
生きているのであろう中身がビチビチ動いているのが見える。
「ああこいつで間違いない。それに、食材は鮮度が命だと聞いたのでな。」
ええ、確かにそうですけど、その通りなんですけど、そこまで鮮度を追い求めなくてもいい気が。
しかし彼女がとても満足そうなので、喉まで出かかったその言葉は飲み込んだ。
その後なんやかんやでとりあえず食材集めが終了した。
「ふふ……これで何とか朝食には間に合いそうだ。ありがとうな」
「いえ、というか私ほとんど何もしてませんし」
私がやったこと言えば、シアさんに指定された草を一緒に探したのと水とかの荷物運び位じゃないでしょうか。
シアさんはさっきとってきた、魚っぽい生き物を台に載せる。
「よし、やるか」
いうやいなやシュバッっと光が瞬くとさっきまで台の上に乗っていた魚が一口大にぶつ切りにされた。切り口から見るに、魚の身は鮮やかな紫色だ。さらに恐ろしいことに、血は目に突き刺さるような鮮やかなピンク色だった。
魔界の生き物って色鮮やかでなきゃいけないルールでもあるんでしょうか?
つぎに彼女はぶつ切りにしたそれらへ両手の手のひらを向ける。すると炎が立ち昇り、あっという間に魚がこんがりと焼けた。若干焦げてはいるもののそこはご愛嬌といったところか。
銀色の鍋に魚の味を投入し、汲んできた水もドボドボ投入し再び手のひらを向ける。
たちまち鍋が炎に包まれる。鍋の中身は瞬く間に沸騰し、やがて中身の水が黒く濁っていく。
鍋の底が見えなくなるほどどす黒くなってところでフッと炎は消え去る。
最後にスープの上にむしった葉っぱを散らす。
彼女は、ふぅ……と汗をぬぐうような仕草をしてから宣言した。
「よし! 完成だ!」
これら一連の作業がシアさんの魔法によって行われたらしい。
鍋以外の道具を使わず達成されたこれまでの作業に、料理と言う概念を覆されたような気分になる。
言いたい事はいくつかありますが、一番思ったのは
魔法、便利すぎませんか?
それはさておき確かにそこに出来上がったのは、昨日出してもらった食事そのものだ。
真っ黒いスープの上に浮かぶ紫色の物体、申し訳程度に散らされた緑の葉っぱ。
「 そういえばどうして煮汁が黒いんですか?」
煮込み始める前は確かに透明な水だったはず。
「あーそれはな、あの魚の血を煮込むとこうなるんだ」
成る程。あの鉄臭い後味はこの魚が原因だったのか。
この味をどうにかするには、材料集めからどうにかしないといけないのか……。
長い道取りになることををうすうす感じつつも、私はなんとしてでも美味しい料理を作ることを決意したのだった。