第六話 香美贅味
シアさんに一通りニヤニヤされた後、そろそろ魔王さんの晩ご飯の時間だと言うので、ついでにご相伴に預かれることになった。
待ちに待った食事だ。正直楽しみで仕方がない。
席につき、ワクワクしながら持っていると
白と黒のエプロンドレスを纏ったシアさん。小さなメイドさんのような姿は割と様になっていました。彼女が手にしている盆の上に
ーー白い皿にのった汁気の多い『何か』。
煮込み料理か何かでしょうか。皿からは湯気が立ち上っています。
しかし問題はその色。皿の底すら見えないほどドス黒い液体はてらてらと光を反射し、その中に小島のように浮かぶ正体不明の紫色の塊がアクセントを添えています。
辛うじて汁に浮かぶ緑色の植物の葉っぱらしき物だけ、何者なのか認識できました。
……………………………。
なんて言うか……
とってもグロテスクです……。
ちょっと待ってください、これ本当に人間が食べても大丈夫なんでしょうか。
咄嗟に隣を見ると、魔王さんは、何食わぬ顔で『それ』がのった匙を口に運んでいる。
いや、見た限り大丈夫……ですかね? 目の前の物体を観察する。まだ暖かいようでほかほかと湯気が立ち上っている。しかし湯気の完全なる無臭が逆に気味が悪い。皿の上に広がる黒とまだらな紫。いまだかつてこのような色をした食べ物は目にしたことがない。
「どうした?食べないのか?」
魔王さんは一旦手を止め、こちらを不思議そうに見ています。
戸惑っている私を見て、遠慮をしていると思ったのか
「おかわりもあるから、遠慮せず食べていいぞ?」
「……ありがとうございます」
魔王さんの気遣いが痛かった。
……なんて自分は至らなかったのだろう。城の主と共に食事をご馳走になるなど、破格の扱いではないか。
出された料理が少しくらい奇抜な見た目だからと言って、それがなんだというのでしょうか。
大体にしてご馳走してくれたものに文句を付けるなど言語道断です。
黒っぽいどろっとした煮汁に浮かぶ肉とも魚ともつかない紫色の物体。紫とか本当に毒じゃないですよね?
匙でつつくと塊はホロリと崩れる。早くも挫けそうになる己を叱咤しつつ、意を決して口に含む。
やや冷めているもののまだ暖かいスープが口の中に満ちる。
塊はやはり柔らかく、舌の上でたやすく崩れた。
ほんのり効いたわずかな塩味と、不自然なほどの甘さ、徐々に現れるしびれるほどのえぐみ。そして飲み下した後舌に残る血のような鉄臭い後味。何とも言えない独特の味。
飲み込んだものが空っぽの胃に落ちていくのが分かります。
冷えた手に温かい血が通うような感覚と脳に走る痺れるほどの多幸感。それを感じるやいなや、思考する前に私の手は動いていました。
再び一口。脳はその強烈な味を認識するも、手は止まらない。
「おかわりお願いします」
気づけば空になった皿を差し出していたのでした。
空腹にまずい物なしって本当ですね。不味いのに美味しい。極限状態の人間の体って不思議ですね。
それに味はともかくとして、あんなに有り難く思った食べ物はないです。
完食後も、体に変調はないので特に問題はなかったようです。
「まだ食べてますね」
「多めに用意したはずだが、足りるか不安になってきたんだが」
…………………。
「結局八回もお代わりしたぞ、奴」
「あの体のどこにそんなに入ったんですかね?」
……………。
二人がそんな会話を繰り広げていたとはつゆ知らず。
食後。
食欲が満たされて強烈な眠気が襲ってきました。閉じそうになるまぶたと必死に闘いながら、取り敢えず寝床を打診してみる。
「すいません、物置でも納屋でもどこでもいいので寝る場所ありませんか?」
「そうだな……」
考える仕草をしていた彼女が、ふと何かを思いついたように視線を上げる。
「あそこを使わせてもいいだろうか?」
いまだ席でうつらうつらとしている魔王さんに問いかけている。
「……別に構わないが」
彼が一瞬言い淀んだように見えたのは私の気のせいだろうか。
彼女は気づかなかったのか、私に向き直る。
「いい場所があるぞ。 案内するからついて来い」
クイっと手を振り踵を返したシアさんを追っていくと、石造りの城内の中で正直言って浮いている木製のドア。
開けるとそこは小さな部屋だった。
黒っぽい城の内装とは裏腹に部屋の中は、清潔感あふれる白と薄い緑で統一された調度が設置されている。
生き物の生気の薄い魔王城に、なにやら場違いなほど生活感が漂っているような。
まるで年頃の乙女の部屋のようだ。
「前に誰かが使っていたんですか?」
「まあな。この部屋は大切に使ってほしい。あと、内装もできるだけ動かさないでもらえるとありがたいな。……誰かに使ってもらったほうが、あいつも喜ぶだろう」
後ろの方は声が小さくて聞き取れなかった。聞き返そうとする前に彼女は別れの挨拶を述べる。
「ではおやすみ」
「はい、おやすみなさい」
また明日な、そう言って踵を返し去っていく。黒いローブが廊下の闇に溶けて見えなくなるまで見送ってから、部屋に入る。
迷わずふかふかのベッドに倒れこむ。ほとんど何も考えず眠りに落ちていった。
その日、夢は見なかった。