第五話 霧の中の古城
この世界では、魔力によって引き起こされる超常現象のことをまとめて魔法と呼ぶ。
ついさっき青銀の髪の少女シアさんが使ったのは転移魔法と呼ばれる類のものだろう。尋常でない魔力量を消費するらしく、人間であれば転移魔法を使えるだけで国の宝扱いなのだが、魔法に長ける魔族であればほいほい使えるのも別に不思議ではない。
先ほど私の背後に気配もなく現れたのも魔法によるものだったのだろうと一人納得した。
ーーと言うわけでエマさんに乗って移動することに。
そこで、問題が1つ。
移動するにあたって自然と魔王さんと相乗りのような形になる。彼は、女にしてはだいぶ背が高いと言われる私の身長より、頭1つは大きい。つまり男性としてもわりと長身の部類に入る。
そして乗れる部分はそう広くない。大きめの大人2人乗るとなるとそれなりに密着する形になるであろうことが想像できる。
つまり何が言いたいのかと言うと、とても気恥ずかしい。
「どうした? 」
そんな私の気持ちは伝わらなかったらしい。
「……えっと、エマさん潰れちゃわないでしょうか? ほら、私おっきいですし」
何がとは言わない。上背が大きければ質量も増加するのは自明の理だ。……別に私が特別重いとか、そういうわけではなく。心の中で意味のない弁明をする。
いくらエマさんが大きいといえども、大人2人分を背負わせて飛んでもらうのは酷ではないだろうか。
「大丈夫だ、こいつ星石熊も背負って飛べるから」
彼はエマさんの首の周りの、もふもふした羽毛のあたりをなでている。
気持ち良さそうに撫でられているのを見ても二人の信頼関係がうかがえる。
星石熊といえば、森に出没する魔獣で、野生動物の中では割と大きい部類に属する。しかし特筆すべきはその重量。地面が沈み込むほどの体重を持ち、その体重のかかった一撃は強烈。大きすぎる体重によって押し込められた大地は、しばらくの間痕跡を残し続けると言う。
見た目に似合わず意外に力持ちな一面を発見し、魔界の生き物というのは不思議だなあと一人感心していると、
もたもたしている私にしびれを切らしたのか、上から手を差し伸べてくれた。
意を決してその手を取る。握ったその手のひらは、想像より大きく、そして暖かかった。
本日2度目の飛行に臨む。まさかこんなことがあるとは、人生とはわからないものだなあと思いつつ。
さっきはぶん投げられて背中に乗せてもらったのでわからなかったのだが、背中まで座っていてもなかなかの高さがある。具体的に言うと乗る背中の高さが私の肩くらいなので、馬で言うところの足掛けのような何か足を引っ掛けるところがないと、登るのには厳しいものがある。
そういうわけでの魔王さんの差し出した手なのだろうが、私は曲がりなりにも成人女性である。そして一般的な女性よりもいささかばかり重量があることも自覚している。何度でも言うがデブというわけではない。
エマさんの上と言う不安定の足場で私を引き上げることができるのか、というとなかなか厳しいものがあると思う。そういう私の懸念とは裏腹にやすやすと、引っ張り上げる。
意外と力持ちなんですね。
「すまないな、窮屈だと思うが我慢してくれ」
いや、本来なら謝るのはこちらのわけで。
初めて気遣いらしきものを向けられて、彼に対する印象が少し変わった気がした。
エマさんは私が乗り込んだのを確認するやいなや翼を広げて飛び立った。
みるみるうちに高度を上げていきます。
さっきまでいた地表が小さくなって行くのを見るのはやはり不思議な感覚でした。
…………………。
吹き付ける強い風の音とバタバタと魔王さんの着ている黒衣のはためく音だけが響いている。
沈黙が気まずいので話しかけてみることにした。まず一番気になっていることを尋ねてみる。
「魔王さんは、どうしてあんなところで寝てたんですか?」
「…………あぁ。ちょっと昼寝を」
答えるまで少し間があった。
知らない人間に寝顔を見られたのは恥ずかしかったのかもしれない。ちょっと配慮が足りなかったかな、と、反省しつつ
「お日様の下で寝るのは気持ちがいいですもんね」
確かにお昼寝したくなるほどいい場所だった。太陽がサンサンと降り注ぎ、ちょうど良いそよ風の吹く。
短く一言。
「そうだな」
彼は前を向いているため、どんな表情浮かべているかはわからない。
なんとなく居心地が悪くなり景色へと目を向ける。
さっきはしがみついていたので景色がよく見えなかったが、今は魔王さんの衣服を掴ませてもらっているのでちゃんと座って眼下を見渡せる。
地上を見ると、赤っぽい土が露出しているのは同じだが、先程の場所とは違い、海に浮かぶ小島のようにちらほらと植物が群生している。
あそこだったら草を食べられるから、ちょっとはマシだったかなぁと、今更ながら残念な気持ちを抱く。怒涛の展開で、今まで忘れていたが、ひどくお腹がすいていた。シアさんにもらった水で喉の渇きは何とかなったが、今になって思い出したように空腹が蘇ってきた。空腹を意識すると、途端に力が抜けるような錯覚に陥る。
あー、お腹すいたなぁ。ごはんごはん。目的地に着いたら、何か分けてもらえるか聞いてみよう。
下の景色を眺めているとあっという間に時間が過ぎた。
目的地に着いたのだろう、ふわっとした感覚。そして、相変わらず衝撃をほとんど感じさせない丁寧な着地。
私たちを既についていたシアさんが出迎える。
「遅かったな。 待ちくたびれた」
肩を竦める彼女。
降り立ったそこをみてみると、想像していたものとは少し違う。
「暗雲が立ち込めるおどろおどろしい古城」というのが一般的な認識である。
かくいう私も蝙蝠がびっしりで魔物が跋扈しているイメージだったのですが。
あたりには白い霧が立ち込め見通しが悪いが、そこは確かにーー
「ここが、目的地ですか?」
どう見ても何もない平地である。
「そうだが」
戸惑う私に事もなげに返事をし、構わずスタスタといくものだから、慌ててついていく。
「……ああ」
先を歩いていた魔王さんは、ふと思い出したように振り返ると、やや芝居がかった仕草とともに言う。
「ようこそ魔王城へ。我々はエイフリル=リースの来城を心から歓迎する」
その言葉が終わるやいなや、目の前の情景が劇的に変化する。
先ほどまで、何もない荒地が広がっていた視界に、音もなく巨大な城が出現する。
闇そのものと見まごうほどの漆黒の城壁は、真っ白い霧とあいまって幽玄な雰囲気を纏っている。
何かに化かされたように、呆然とする私にシアさんは無邪気に言う。
「ふふ。どうだ、すごいだろう。
許可したもの以外の侵入を拒む幻術だ。この術式がなかなか凝っていてな……まあ、人間には見破れまいよ」
あー、なるほど。これなら辿り着けなかったと言うのも無理は無い。
術式と言うのは、魔法の設計図みたいなもので、自分以外の対象に自らの魔力で影響を及ぼそうとするときに必要になる。
高い魔力を持っている人には見えるらしいが、私はそっちの方面はからっきしなので理解できない。残念なことである。
ふと見ると魔王さんの姿は見えない。私たちを置いてさっさと行ってしまったようだ。
「人間が足を踏み入れるのも久しぶりだな。ふふっ、光栄に思うがいいぞ」
何やら得意げな様子である。
「これってシアさんの魔法なんですか?」
「いや、違う。並の者ではここまで見事な術式は作れない。エイフリルにも見せてやりたいな。組成がほれぼれするほど美しいのだ」
彼女の瞳はキラキラと輝いている。相当好きなのだろう、語るシアさんは見た目の年相応に見えて非常に可愛らしい。思わず抱きしめたくなるほどの可憐さだった。
「さて、魔王さまは行ってしまわれたが……とりあえず私の部屋についてきてくれ」
そう言うや否や彼女は黒衣を翻し歩き出した。城の中は興味を惹かれるものばかりだったが、意外にも早歩きのシアさんに置いていかれそうになったので、
またゆっくり見る機会もあるだろうと思い、ついていくことに専念した。
彼女はしばらく歩いたあと、ある場所で立ち止まった。
「ここだ」
廊下の中で一際存在感を放つ大きな扉。とても重そうだ。
シアさんが重厚そうな扉を開けると、天井近くまで積み重なっている本が目に入る。
……いや、むしろ本と紙以外のものが見えない。
「くれぐれも揺らすなよ、バランスが崩れるからな」
私はというと初めて見る本の量に、圧倒されていた。様々な厚さの本が絶妙なバランスで積んである。
少し目を凝らして背表紙を見てみるが何と書いてあるのかは読めなかった。そもそも私は読み書きがほとんどできない。何について書かれた本なのかは知らないが、これだけあったら一財産であろう。
本のタワーを抜けて行くと、奥にもう一つ扉があった。入り口の扉は重そうな扉であったのに対して小さい。中は本にさっきの埋もれていた部屋とは対照的にテーブルと椅子だけの置かれた簡素な部屋であった。
椅子が一つしかなかったがさっきの部屋から椅子を運んでくると、私に座るように勧めた。
今までにないほど厳しい表情と共に口を開く。プレッシャーがのしかかる。
「私からお前に言っておくこと。それは1つだけ。魔王さまに危害を加えないことだ。それを侵したらこちらは容赦なくお前の息の根を止めに行く……分かっているとはおもうがな。
……こう見えて私は、お前をそれなりに信用しているぞ?」
そこまで言い切ると私から目を切り、
「以上だ。お前から何か聞きたい事はあるか?」
「どうして、どうして私を」
連れてきたのか。油断ならない相手であろうに。
心にそこがずっと引っかかっていた。
「確かに、提案をしたのは私だが最終的に許可したのは魔王様だ。魔王様には魔王様なりの考えがあるのだろう」
そこで彼女は一旦言葉を切り、優しげに微笑む。
「私としては、そうだな……お前になら私たちにできないことができるのではないかと思ってな。できるだけ彼の力になってやって欲しい」
彼女の暖かい眼差しはきっと純粋に人を想うもので。この人のために働けるのなら悪くはないと思えた。
自分に出来ることなどたかが知れているが、力になれることがあれば喜んで力になろうと決意を固めた。
「っ、はい! ふつつか者ではございますが何なりとお申し付けーー」
『ぎゅるるーーー』
私の台詞にかぶせるように突然響き渡る異音。発生源は当然私である。
どうやら私のお腹は持ちこたえてくれなかったらしい。
穴があったら入りたいという気分をリアルに体感した。
「えっと……あの、その……何か、食べるものをいただけないでしょうか?」
そして盛大に赤面しながら浅ましくも食事を要求したのであった。