銀色の蝶
彼女は変わった子で、私はその変なところが好きである。私は所謂凡人で、彼女はその真っ平らなところを好いてくれている。
私達はいつも、病院の中庭で本を読んで過ごした。私は簡単な本を何冊も、彼女はつまらなさそうな難しそうな本を一冊だけ、それをじっくり読むのだ。
「今日のは何?」
私が両手に抱えた推理小説を芝生に積みながら訊ねると、彼女は持ってきた本の表紙をひょいとこちらに向けた。
「たね、た、やま」
「自由律俳句ってものの句集なんだって、掃除のおばさんから借りた」
彼女は、それだけ言うと膝にブランケットをかけ、それを読み始めた。私は「いつもより簡単そうな本だね」とだけ返して、自分の持ってきた本をペラペラとめくる。
「そういや、こないだね」
普段は本を読み終わるまで一言も話さない彼女が、こちらをむいて話しかけてくる。
「なぁに」
「こないだ、夜中に目が覚めた時に窓の外を見たら」
「怖いはなし?」
私は耳をふさぐ仕草をして彼女の目を覗き込む。彼女は、ふっと笑って首を振った。
「窓の外に銀色の蝶がいたんだよ」
「へ」
突拍子もない言葉に、私は間抜けな声をあげた。
「大きな翼のね、綺麗な蝶」
「何言ってるの、いるわけない」
「いたのになぁ」
彼女は残念そうに笑って、本に視線を戻した。
その夜、トイレに行こうと体を起こした私が何気なく窓に目をやると、いたのである。
「本当に、銀色の」
そこからあとは声にならず、喉をかすめるのは吐息だけ。あまりの美しさに、体中どくどく波打つほどだ。私は思わず手を伸ばした。指先は窓ガラスにコツンと爪の音を立ててそれを阻まれた後、ゆっくりと外へ通り抜けた。
「窓が」
ぼんやりそう呟く。銀の蝶が私の指にとまった。ひんやりと気持ちが良い。舌先で氷砂糖が溶ける、あの一瞬の冷たさだ。見つめれば見つめるほど、その輝きは増し、眩しくて目をつぶる。蝶の放つ光は、瞼を透かし赤い血液の色がはっきりと見える。
きっとこれ以上は体が燃えてしまう。強くなる光に、私は怖くなって叫んだ。
「たすけて!」
自分の声で目を覚ますと、どうやら私は中庭で眠ってしまったらしかった。例の蝶の夢を見たよと、彼女に話しかけようとしてハッとする。隣にいたはずの彼女は、いつの間にか居なくなっていた。
私は不安になり、院内に駆け込むと近くにいた看護婦を掴まえて訊ねた。
「あの子を見なかった?」
看護婦は、眉根を寄せたあと小さな声で部屋に戻るように告げた。
「見たかどうかぐらいは答えたっていいじゃない」
しずしずと廊下を歩き部屋に戻る途中、泣き腫らした目をした彼女の母親とすれ違った。
「おばさん、どうしたの」
私が訊ねても首を振るばかりで何も言わない。代わりに彼女の父親が、私を彼女の病室に案内した。
西日の射す静かな部屋に彼女はいた。穏やかな顔で眠っている。頬に触れると、ひやりと冷たい。
親指で頬を撫でる。産毛が光を纏って美しかった。ふと、私の触れたところだけが異なる光り方をしているのに気がついた。銀色のサラサラとした粉が、私の指に付着していたようだ。
「蝶々をみたよ」
体だけを残して旅立ってしまった彼女へ、伝える言葉が一つも思い浮かばなかった。
「あ」
閉まったままの窓すり抜けて、銀色の蝶が部屋に入ってきた。そして静かに彼女の額に羽根を休める。
「ありがとう、また会おう」
私が小さく呟くと、蝶は静かに飛び去った。西日は目に眩しく、燃え尽きた命の抜け殻を照らしていた。




