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EE 第三十二話 傷つき伏した元傭兵

 カルデネア・グリードは熟練の傭兵である。

屈強な肉体を誇り、近接戦闘を得意とする彼はその業界では二つ名をつけられるまでに有名になっていた。

金を求める傭兵には荒事を好むタイプが多く、必然的にいい噂というものをあまり聞かない。

力ある者は冒険者になるという道もあるのだから、あえて傭兵となる者には大抵そういうものなのだと世間では認識される。

中にはプロフェッショナルとして仕事を紳士に勤める者もいるにはいるが、少数派として数えられてしまうだろう。

 さて、それではグリードは果たしてどちらに該当するのだろうか。

そんなものは業界に属しているものなら聞くまでもないことだと、笑い飛ばされる。そして口を揃えてこう言うだろう。

奴は無類の戦闘狂だ、と。


 スラム街という所では皆足元を見て過ごしている者が多い。

それは日々の生活を必死に生きているという証であり、顔を上げて見上げている余裕なんてないということである。

朝起きて今日の天気はどうだろうか、と確認することはあれど、暢気に空を眺めている者などやることも成すこともない乞食程度だ。

 そうしたスラム街での一角で、グリードは空を見上げていた。

この街にしては勿体無いほどの晴れ渡る青空。草原にでも寝転がって見上げればさぞ爽快な天気だろう。

天井の穴から覗かせる絵画のような光景を上にして、崩落しそうな建物の中にグリードはいた。

残念ながら、彼は青々とした草葉をベッドにしているわけではなかった。

彼の背に敷いてあるのは瓦礫の山である。

ごつごつした硬質な感触が背中に伝わり、お世辞にも寝心地はいいとは言えない。むしろ最悪だ。

グリードも好き好んで石レンガのベッドに寝ているわけではない。

そうせざるを得ない理由があるからだ。

 グリードの全身はいたるところに大小の裂傷があった。

まるで巨大な扇風機の中にその体を突っ込ませたかのような燦々たる有様であり、地面にはその傷から漏れ出た血溜まりが広がっている。

不思議なことに胸のあたりには傷という傷があまり見当たらないのだが、他の部分があまりに酷い具合であるため焼け石に水状態だった。

このままではおそらく大量出血による失血死に陥るであろうことは明白だったが、グリードはそのことを悲観することなく笑っていた。

傷だらけの血塗れの男が笑顔を浮かべるなどホラー以外の何物でもないが、本人に至っては気にする様子など欠片もない。


 「あの小僧……面白れぇ……面白れぇなぁ……」


 かすれた声でそう呟くグリードは、さっきまで行われていた死闘に思いを寄せる。

目をつぶり、ヒューヒューと小うるさい自分の呼吸音に耳を閉じた。肺でもやられているのかもしれない。

幸いにも思い返すぐらいならば支障はないらしい。

死に掛けの状態ではあるが、そのことには感謝しなくてはいけないだろう、とグリードは思った。


 グリードが戦ってきた者たちと比べてあの子供は遥かに劣る存在だった。彼が最初から本気を出していれば、一瞬の内に決着はついていただろう。

敗北するのは万に一つと言っても過言ではなかった。

なのに何故、グリードは負けてしまったのか。

それは彼の悪い癖のせいでもあり、あの子供が戦いの中で成長し続けたというグリードにとっては喜ばしい事実のせいでもある。

 始め、あの子供は一撃でその小さな体は吹き飛ばされ、無様に地面を転がるだけだった。

すぐに死んではいないことにグリードは軽く驚きつつも、事前に得た情報から魔術師であろうことは予測していたので問題は何もなかった。

たった一撃をもらっただけで瞳を絶望の色に染めた時には、彼は大いに失望した。

所詮は子供か、と。その程度なのかと。

彼岸の力の差を知り、助かる余地はないと諦めて絶望する者たちをそれこそ腐るほど知っている。

そんな者たちの命をグリードは奪ってきた。

あぁ、これもそういうことなのかと。

いつものことだ、後は単なる作業になるとその手に力を込めていた時。

子供の瞳に光が戻った。絶望を知ったはずなのに、底から這い上がってきた。

そのような瞳を宿した者たちが手強いということもグリードはよく知っていた。

久しぶりの体を熱くさせる戦いの予感に、彼は心を抑えきれずに笑い出したのだった。


 それからの展開はまさに血湧き肉躍る最高に楽しい死闘の時間だった。

こんな幼い子供が自分とやりあっていることが楽しい。自分の本気の一撃を耐えれることが嬉しい。

攻撃を避けてカウンターを狙うその気概には拍手喝采したい気分だった。

けして諦めていないその瞳を目前にして打ち合っていることがグリードにとって最大の愉悦であった。

 途中で横槍はあったものの、グリードはその時間を満喫した。しかし楽しい時間というものはすぐに終わるものでもある。

もはや仲間に抱えられたまま、ぐったりしている子供に残された力はないだろう。

残念な気持ちがグリードにはあるにはあったが、幕引きは後を濁さずに速やかに終わらせなければならない。

それが戦ってきた者への手向けであると、グリードは思っていた。

だが。


 「それでも、まだ……立ち上がってくるんだからよぉ……。楽しませてくれる、小僧だぜ……本当に」


 思い返しながら笑おうとした時、喉に何かがつまって思わず咳き込んでしまうグリード。

口から吹き出し胸元に飛び散ったそれを見れば、血、だった。

今更血などみても騒ぐような心胆はしていないが、せっかく綺麗だった胸元が血に染まったのは残念に思うグリードだった。

そういえば、と彼は首に下げていたはずのアレを探し始めた。

もはや体もあまり動けなかったが、なんとか苦心して首だけを動かす。

それだけでも痛みがひどくなってきたが、目的のものは何とか見つけることは出来たようだ。

 それは粉々に砕けたタリスマン。

原型はすでに留めていないが、元は指輪に紐を通して吊り下げていた物で、その実体は魔術が掛けられていた魔道具だった。

銀細工の物でデザインはシンプル。文字が刻まれているわけでもなく、見た目はただの銀の指輪である。

魔力を持つものでも識別がしにくいように隠蔽の魔術がかけられており、魔道具であるとは気づきにくい代物だ。

効力は魔術に対するレジスト。

デザインの単純さに騙される輩も多いが、とある遺跡から発掘されたアーティファクトで見るものが見れば目玉が飛び出るような物、らしい。

 そうグリードは無口で言葉足らずな同行者に教えてもらった。

それが今や見るも無残な姿に変わり果てている。紐は四散して千切れ、指輪は破片となってそこら中に飛散していた。

もはや修復は不可能であろう。

これはすまないことをした、とグリードは思った。

いつも彼のことをバカだのアホだのと罵っていた彼女が、珍しくグリードに対してあげた物だったからだ。

指輪をはめるのが嫌いだったグリードは直接はつけなかったが、紐に通していつも身につけていた。

それを見て多少不満そうにしていた同行者を思い出して、グリードは笑いそうになった。

また咳き込みそうになってそれは未然に終わってしまったが。


 「何をしているのですか、カル」


 鈴のように透き通る声が崩壊しかけた建物の中に響き渡った。けして大きな声でもなかったのに耳にすんなりと届いたのは彼女の声質のおかげだろう。

グリードにはその声に心当たりがあった。グリードのことをカル、という愛称で呼ぶ者は少ない。

そして、ちょうど彼女について考えていたところだったのだから。


 「よぉ……リン、元気、だったか?」

 「カルよりは元気です」


 平坦な声でそう答えると、リン、と呼ばれた人物は大穴が空いた壁から器用に瓦礫を避けながら中に入ってくる。

彼女は小柄な体躯に全身を茶色のローブで包み込み、頭の部分もすっぽりとフードを被っていた。

見た目からはわからないが声だけでも女性ということは判別ができる、綺麗な声質を持っている彼女こそグリードの同行者であるリンという女性だった。

ローブをはためかせながら近づいてくるリンをグリードはただ見つめる。

リンはグリードの傍に寄ると、地面に膝を立てて怪我の様子を見た。あまりのひどさにくぐもった声を上げて隠すこともできなかった。


 「ひどい怪我、です……」

 「しくじっちまって……この有様だ」

 「軽く言うことではないです。まともに喋れてもいないじゃないですか。でも……治せる怪我です」

 「そいつは、ありがたい。……頼むぜ」


 回復魔術の優しい光を帯びる彼女の手を眺めながら、グリードは静かに目を閉じてその暖かさを感じるのだった。

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