EE 第二十六話 クラス
中部に三人が入ってから間もない頃、空気を振動させるほどの大きな爆音が辺りに鳴り響いた。
警戒しながら探索を始め、不気味なぐらいに静けさを保っていた最中の轟音に三人の背筋がびくりと震える。
思わず顔を見合わせたが、互いにどうなっているかなどわかるはずもなく、そんな中一番始めに動いたのはテトだった。
嫌な予感がした。
得てしてこういう時の勘が当たってしまうことを知っているテトは、その予感に突き動かされるように全力で走り出す。
スラムの上部以上に悪路な所ばかりだったが、彼は器用に障害となる箇所を避けて走る。
そうして一番最初にそこに辿り着いたテトが目にしたものは。
「なんだありゃ……」
これまでの常識を覆すような光景が目に飛び込んでくるではないか。
そこにいるのは筋肉質の巨漢と、その男と比べるとあまりに小さな子供が目にも留まらぬ速さで格闘戦を繰り広げていた。
一進一退に攻め続ける両者に守りという概念はないのか、激しさは増すばかり。
間に入ることは誰にも叶わないであろう嵐がそこにはあった。
スラムで起こる喧嘩がまるで子供だましに思えるほどの一連の攻防。
素人目にもあれが尋常ではないとすぐにわかる。
これが闘技場でも行われていれば拍手喝采で群集は沸き起こるであるだろう。
少なくともこんなスラムで見られるものでは決してない。
「あれは……あいつか!?」
テトには子供の方に見覚えがあった。何せそれは探し人そのものだったから。
可憐な容姿にくすんだ情景が並ぶスラムでも色あせない金色の髪。一目見たら忘れられないその容貌は間違いなくミコトそのものだった。
そんなミコトが殴り合いをしていることに、彼は驚きを隠せない。
こうして目の前にあるのだとしても、テトにはこれが現実だとはすぐには信じられなかった。
「いきなり、走り出すなよっ」
「全く、僕はそんなに速く走れないんだから、勘弁して欲しいよね」
そうテトの背中側から声を掛けてきたのはラトリとルーイだった。
ラトリの方は若干息をつく程度だったが、ルーイはどうやら体を動かすのはあまり得意ではないのか膝に手をつき疲労困憊といった様子だ。
大きめの声量だったはずだが、テトは振り返ることさえできなかった。
しばらく待つが反応さえしない。
そんな彼の様子に訝しんだ二人は、疑問に思いながらテトが見ている方向に視線を移した。
「……!?」
「すご……」
呆然と呟く二人にも目の前の光景が異常に映るのか、それっきり声も出せずに傍観者になるしかなかった。
そうしている間にも戦いは止まることなく、ぶつかり合う度に空気がビリビリと振動し苛烈さを周りに知らしめる。
互いに一歩も譲らぬ、いや、二歩三歩と相手側に踏み込む捨て身と疑わんばかりの攻めの姿勢。
引かぬ、引かれぬ。黙して語る拳の応酬。
「……!?あいつもいる!?」
濃密な激闘の観客と成り下がっていたテトだったが、ようやくその呪縛から解き放たれることができた。
ドレス姿の女の子を見つけたからだった。
渦中の争いからは大分離れた位置にぴくりとも動かず倒れているではないか。
噴水場で見たっきりの名前も知らぬ貴族の女の子、プリムラだった。
テトはすぐにでも駆け寄ると、プリムラの体を起こして状態を確かめる。
……どうやら気絶しているだけのようだった。
他に怪我をしている所はないかとくまなく探してみるが、特に怪我をしている様子はない。
ほっと胸を撫で下ろしていた所に残りの二人もテトの所へと小走りで駆けつけた。
「そいつ、あの時走って行っちまった……」
「……あぁ、あいつが探していた奴だろう」
「そうか……」
口数が少ないのは未だにショックが抜け切れていないせいだろう。
ラトリはそんな様子だったが、ルーイの方はというと。
「あの男、クラス持ちだね」
ルーイの普段はどこかのんびりしている顔立ちは引き締まり、口をきつく結びながらそう言ったのだった。
先ほどの動揺はどこへ行ったのか、冷静に二人の戦いを観察していた。
ルーイのその様子と聞きなれない言葉に彼は嫌な予感が更に増していくのを感じる。
「クラス?」
「聞いたことないかな。まぁ僕らには縁遠いことだしね」
そう口火を切ると、ルーイは真剣な口調で語り始めた。
クラス。
それは一種の称号であり、偶発的に会得することができるもの。
会得する条件は明白には未だ解明されていない。
ある程度の能力値に達した者に現れるもので、主に冒険者が手に入れることが多い。
ただクラスは称号というだけのお飾りではなく、会得した瞬間から能力が上昇したりスキルを覚えることがある。
上昇した能力はアナライズで計れないこともあって、正確にわかることはない。
だが、クラス持ちとクラスがない者ではアナライズ上のステータスが同じであっても、戦えば十中八九クラス持ちが勝利する。
そしてクラスには様々な種類があり、会得のしやすいものであれば同じ実力者の二、三人分の力が出せるだろうか。
それだけでも十分な効果ではあるが、これが上位クラスのものとなると、まさに一騎当千の力を発揮する。
戦争を制するはクラス持ち、という有名な言葉が残されていることからも窺い知れる。
「それをあの男も持っているって?」
「そう。それと信じられないけど……あの子も持っている可能性がある」
でなければあんな常識外な動きできるわけない、そうルーイは締めくくった。
いまいち彼にはその信じられないという理由が理解できなかった。クラスというものがどんなものか知らなかったからだ。
眉を寄せるテトにルーイは心中を察する。
一般の人が一生かけても会得できる者は少ない、と言えばわかりやすかっただろうか。
自らを練磨する者たちでさえ多くはクラスを会得していない。
そう説明することもルーイには出来たが、今はそんなことよりもここを早く逃げ出すことが先決だった。
「逃げるよ、テト」
「お前、何言ってるんだよ。あいつがまだ戦っているだろうが!」
「テトこそ何言ってるの。僕たちに出来ることなんてないよ」
「俺もそれには賛成だ。そのお嬢さん担いでここから出ようぜ」
「ラトリ!お前まで!」
ラトリが寝ていたプリムラを起こし、背中に抱える。ルーイもそれを手伝いながらテトを促した。
仲間のそんな行動に彼は歯噛みする。強く強く。
確かにあんな暴風のような中に飛び込むなど、命を捨てるようなものだ。
一切二人の動きが見えてはいなかったし、適うともテトには思えない。
だがそれでも、と思うのは命知らずなだけだろうか。
そんな時一際大きな打撃音が鳴り響いたかと思うと、はっと目を移せばミコトが男によって弾き飛ばされ空中を舞っていた。
受身もとれずにどう、と地面にぶつかると面白いように転がり回り、ようやく止まったのはその体が地面についてから五メートルの距離を稼いでしまった後だろうか。
あんなに玩具のように投げ出されたばかりのはずなのに、ミコトは震えながら体を起こし始めた。
息も荒く満身創痍。体中に傷を負い、脂汗が肌を伝っている。
深刻なダメージがあるのは誰が見ても明らかだ。現に巨漢は追撃をかけることなく、余裕そうにその様子を眺めている。
涼しい顔をした男は、唇の端を上げて笑いながらミコトが立つのを待っているようだ。
テトには絶望がその手足を覗かせている様な感覚を覚えた。
互角に渡り合っていると思っていたが、実の所その均衡は容易く崩れるものだったと知ってしまったから。
実力が伯仲しているのなら自分が加勢すればもしかしたら、という思いがテトには確かにあった。
だがそれは砂上の楼閣だった。
勝てない。殺される。
ラトリやルーイが言った通り、自分が助けに入ったところで何も出来ない。
せいぜい数秒時間を稼ぐだけで、次の瞬間には己の命を散らせることだろう。そして時間を稼いでも結果は……。
そう彼が結論付けそうになった時、ミコトの瞳がテトの目に映った。その瞳には未だ消えていない光が見えた。
生きようと、抗おうとし続ける輝かしい光。
絶対に屈しないとぼろぼろになりながらも気丈に立とうとしているその姿。
全身を震えさせて体を動かすのもつらいはずなのに、諦めることを忘れているかのようなその気概。
テトはその全てに胸を打たれた。
戦っている本人が諦めてもいないのに、未だ傍観者でいる自分が先に諦めてどうするというのか。
苦しいのは自分ではない。あの子だ。
胸を打ち抜いたそれは、まるで恋のように焦がれる気持ちを溢れ出させる。溢れて暴れていく。早くここから出せとでも言うように。
その瞬間、テトの体はすでに動いていた。
どこかで親しい誰かの声が聞こえた気がしたが、そんなものは耳にも入らずにただ思いのままに駆け出した。