EE 第四十四話 主と従者
グリエント魔術学校の内部には宿泊施設といったものが存在しない。
宿直室といった物もなく、夜中は完全に人気がなくなってしまう。
セキュリティの面で問題は大いにありそうなものだが、そこは魔術を極めんと志す者たちが通う場所。
昼間は趣のあるようにしか見えないただの校舎が、夜になるとスイッチが切り替わるように魔術的なトラップが敷き詰められているという。
一度足をついてしまえば全身麻痺に陥って昏倒してしまう雷撃の廊下。
扉を開けた先に何故か突如として現れる底なしの沼。
目の前を通り過ぎたと同時に動き出し、三メートル超の体を揺らして巨大な棍棒を持って追いかける銅像。
不埒な考えを持って浸入した輩を生きては帰さんと言わんばかりな悪質な罠の数々。
一部ではその罠にかからせない為に学内に寮などを建てなかったのではないか、と言われるぐらいであった。
そんな定かではない理由からか、グリエントに通う生徒たちは帝都内の宿屋に住まいを構えている。
これはグリエントから指定された宿ならお金を使わずに利用できることもあって、ほとんどの生徒が利用していた。
どうやら入学金にそのことも含めて払われていたようだ。
無論、実家が帝都にある者、宿を利用しない者にはお金の返金も行っているという話だった。
それでも人数としては少ないだろう。
親元から離れたいという理由から宿に泊まる生徒もいるそうである。
そんな全体から見れば少数にあたる人物の一人、クロイツ・シュトラウセは苛々とした様子を隠しもせずに部屋の中を歩いていた。
彼が泊まっている場所は実家というわけでもなく、水竜亭と呼ばれる豪勢な宿屋だった。
この宿は学校指定から外れている場所であり、泊まるとなると完全に自腹となってしまう。
宿泊施設にあまりお金をかけられないのか、学校指定の宿屋は可もなく不可もなくといった所が多い。
その点この水竜亭は目が飛び出るようなお金を支払わねばならず、その代わり大金相応に過ごせる快適な環境を提供している。
職人によるオーダーメイドの家具などは序の口である。
空調を整える魔道具や、上流階級の間でも持っている者は一握りであろう特殊な物まで普通に備え付けられている。
最近流行りだした物を冷やす魔道具……所謂、冷蔵庫のような物まで全室に普通にあるのだから驚きである。
「くそっ。くそっ、くそっ!!」
快適な気持ちとは程遠い罵声を上げながら、クロイツは地団駄を踏んだ。
いつも余裕げに上から人を見下していた彼からは想像も出来ない痴態であった。
ふかふかの上質な絨毯はクロイツの怒りを吸収するように騒音の一つも立てない。
だが彼にとってそれは尚更腹立たしいことだった。
感情のまま、擦るように絨毯を蹴りつけてから手近にあった椅子に座った。
「坊ちゃん、荒れていますねぇ」
暢気な声で自分の無精髭を擦りながらそう言ったのはオラフと言う男である。
三十路に差し掛かったこの男もクロイツと同じくグリエントに通う学生であり、彼のガードマン的な役割も兼ねて同じ教室に席を置いている。
見た目は完全な大人であり少年少女ばかりの教室では完全に浮いているのだが、何処吹く風よと平然とした態度で授業を受けている豪胆な性格の持ち主だった。
「僕のことをそんな呼び方をするなっ!子ども扱いされているようで腹が立つ!」
「そんなこと言われましても、昔っからこの呼び方じゃないですかい。今更変えようにも難しいでさぁ」
「大体お前!どうして必要な時に傍にいないんだっ。あの時もお前がいたら無様な姿を晒さずに済んだものを!」
「そりゃあ……まぁ……坊ちゃんの実家に行ってたんですよ。旦那様に定期報告をちょいと」
そう言って肩をすくめるオラフ。
釣り上がる眉根にクロイツの心情が現れていたが、それ以上追求することはしなかった。
彼は小さく舌打ちをして顔を背けながら言葉を発した。
「父に、か。それで父は何と言っていた?」
「なんとも。いつも通りでさぁ」
「…………」
オラフの側からはクロイツの表情は窺えなかった。
だがしかし、子供の頃から彼の傍に仕えてきた身としてどのような顔をしているのかは見なくてもわかっていた。
いかんともし難い現状にオラフはため息の一つでも洩らしたい所だったが、それは主人であるクロイツの方がよっぽどだろう。
気の効いた言葉が思い浮かばないオラフは、怒りが再燃するとわかっていても別の話題を挙げることを選んだ。
「そういえば小耳に挟んだんですがね。坊ちゃん、新人戦に出るそうですね」
「……あぁ。元より出るつもりだったが、今は気の持ちようが違う。どうしても力の差を教え込まないといけない相手が出来た」
そう言ってクロイツは顔を上げた。
その顔には憎んでも憎みきれない憎悪が浮かんでおり、美形だったクロイツだからこそ際立って見える。
第三者から見ればけして良いとはいえない表情に、しかしオラフは安堵を覚える。
あてのない感情をずっと抱えているより、そうやって感情を向けられる相手がいるというのは喜ばしいと思っていた。
まぁこんな感情を向けられる相手には気の毒に思うが、クロイツ側の人間としてはご愁傷様と言うしかない。
「しかし相手は緑の生徒と言うじゃないですか。油断でもしてたんですかい」
「そのことは話したくない」
「坊ちゃん。あっしに話したくないのはわかりますが、次も同じようなことにならないとも限りませんぜ。相手のことを知ることこそが肝要だと思いますがね」
「…………正直な話、わからないとしかいえん。何をされたのかもわからなかった」
拳を握りながらそうやって悔しそうに言うクロイツ。
緑の教室にてミコトにやられた時のこと……実際はシルフィードにやられたのだが……を思い出して歯噛みしていた。
プライドの高い主が誤魔化すことなく仔細を明かしていくのを、オラフはふんふんと頷きながら聞いていた。
「坊ちゃんが緑の教室に遊びに行くのはいつものことですが、そこに女性と見間違う程の綺麗なエルフがいた、と。
その少年?にやられたんですね?」
「……そうだ」
「気付いたら頭に強い衝撃を受けていた、と」
「詠唱の一つも聞こえなかった。他の奴らが唱えていた様子もな」
「であるならば無詠唱のスキルを使った可能性も高いですが、緑の生徒というのが解せないですね。そんな実力者がいる所ではないでしょうに」
「そんなものは知らん!!もういいだろうオラフ。これ以上は不愉快だッ!!」
思い出すだけでも沸々と屈辱感が湧いてくるのだろう。
これ以上聞き込むことは無理だと判断したオラフは、乱暴にグラスをとって水を流し込むクロイツを横目に思案する。
実力を隠して緑に紛れ込んでいる?魔道具の効果によるもの?
それともあるいは、姿の見えない第三者がいた可能性もある。
全ては可能性に過ぎず、やはりこれだけでは判断のしようがなかった。
オラフがその結論に至った時、ちょうどクロイツのグラスの中身も空になったようだった。
幾分か冷静を取り戻したであろう主にオラフは話しかけた。
「あっしもその新人戦、出ますぜ。いいですかい?坊ちゃん」
「ふんっ。それは当然だろう。何の為にお前を傍に置いていると思っている。働けない無能なら文字通り首を切るぞ」
「おぉ怖い。ご期待に沿えるように働かせてもらいますぜ」
「お前はそれでいい。だがこれだけでは足りんな」
「と、言いますと?」
空になったグラスに水を注ぎながらオラフはクロイツの顔を窺った。
その時の主の表情は非常に彼らしい、といった方がいいような嗜虐的な笑み……高みから下賎な者を睥睨する権力者の顔をしていた。
「新人戦の予選はバトルロワイアル。敵も味方も入り乱れる乱戦になるだろう」
「それはまた革命が起きそうな戦いになりそうですね。力のない者でも勝ち抜くことは出来そうですぜ」
「そうだな。だからその芽を始まる前から潰す」
クックックッ、と喉の奥で笑うクロイツ。
何を考えているのかオラフには手に取るようにわかっていた。しかしそれを止めようとは思わない。
さすがにルールに反するならば言葉の一つでも挟むつもりだったが、オラフが考えている通りのことなら何も問題はない。
少なくともルール上は、という意味では。
倫理的に考えればとても褒められるようなことではない。
だがオラフはクロイツの従者であり下僕である。黙って付き従うことこそ正しい姿なのだとオラフは信じているのだった。




