二章 EE 第二十七話 師匠と弟子
「今頃、二人で話をしてるんですかね」
サンドウィッチを齧りながら彼女はそんなことを呟いた。
もそもそと食べるその姿は、いつもおいしそうに食事をするマリーと同一人物とはとても思えない。
浮かない顔で心ここにあらずといった様子で、そんな弟子の姿にアリエスは思わず笑ってしまう。
「笑い事じゃないですよっ。師匠」
「いや、だってアンタ、食べ物につられたんじゃなかったのかい」
「違いますよ。あれはただ二人にしてあげた方がいいんじゃないかと思って乗っただけです。
師匠もそのつもりだったのでしょう」
「まぁそうさね」
「ミコトはそう思っていないでしょうけど」
「なんだい。気付かれない方がいいだろうにその不満顔は」
「……方法に釈然としないだけです。もっと別のやり方もあったと思うのですけど」
どうやらマリーはアリエスのやり方に文句があるらしい。
年頃の女の子が食に貪欲な姿など外聞が悪い。男の子ならば健啖、という言葉で済ませられるだろうが。
少なくともマリーはそう思っていた。
思っているが、普段の生活を早々に変えることを出来ないのが最近の悩み事であった。
「なら食べるのを止めるがいいさね」
「……お腹すいていたのは嘘じゃないですから。これ、おいしいですね」
「全く、アンタって子は」
抑えきれない笑い声が喉をつき、くっくっとアリエスはくぐもった声を上げた。
半ばそんな反応を予想していたマリーは、怒ることはしなかったが半眼でアリエスを睨む。
それでもサンドウィッチを手から離さないのはさすがだろう。
ずっと彼女は魔物退治の間、果実等で腹を騙し騙し続けていた。
だから、まともな食事に食いついてしまうのはわからない話ではない。
でもミコトたちを心配しながらも食べるのを止めない、というのはどうかと思ってしまうのだ。
諸々の事情も含めて、アリエスはそんな弟子の姿がおかしくて可愛くて仕方ない。
笑ってしまうのも仕方ないといえるだろう。
「はぁー。もういいです。あたしのことなんて笑い者にすればいいんです」
「そう拗ねなさんな。そんな顔じゃ、アタシを面白くさせるだけさね」
「今日の師匠はいつも以上にいじわるですね!あたしの質問にも答えてくれないし……」
「ん、ミコトとシルフィードのことかい」
これ以上はぐらかしても意味はないだろうと思い、アリエスは顔を改める。
何もこのままマリーに答えないつもりはなかった。ただそんなに深刻そうに聞く話でもない。
アリエスは確信しているのだから。
彼女はシルフィードから事情は聞いていた。ミコトの身に何が起こったのかも含めて。
それは悲しくも絶望に陥るような不幸なことだ。
親しい人の死。ありふれているといえばありふれている。
長く生き続ければ当たり前のようにみんな経験することなのだから。
だからといって当事者にそんなことを言えるはずがない。ありふれている、と一言で済まされるはずが無いのだ。
アリエスだって何度だって経験したことだから痛いほどわかる。
残されてしまった者の痛みを知っている。
未だにアリエスは慣れていない。仲が良かった人がいなくなれば何も感じずにいるということは出来ない。
親しい人、それも自分の母親の死。
ミコトが受けた衝撃とはどれだけのものか、アリエスは想像することしか出来ない。
自分の経験をミコトに当てはめるのは愚かだろう。彼はきっと同情なんて望んではいない。
似たような経験はあれど、ミコトの思いを全て理解することは叶わない。
そんな少年の訪れた更なる裏切り。どれ程の怒りと憎しみがミコトの中に渦巻いたのだろうか。
だがそれでも彼女は確信めいたこんな言葉を口にするのだった。
「あの二人なら大丈夫だろうさ」
落ち着いたその声にマリーはでも、と声をあげかけた。
ミコトのシルフィードを見る瞳。憎悪に満ちた怖ろしくも悲しい瞳だった。
あの場では何も出来なかった。魔物に襲われたり、シルフィードが倒れたりとごたごたしていたからでもあるが。
でも少しだけでも話すことはもできたはず。
それが今、少女にとって後悔といった形となってしこりを残していた。
マリーの声を遮るようにしてアリエスは言葉を続ける。
「誤解が重なっているだけさね。それが長い時間をかけて絡まってしまっているだけさ」
「そう、なんでしょうか。……師匠は、知っているんですよね」
アリエスはその声に頷くだけで詳細は教えてくれなかった。
マリーはミコトと過ごした数年間でなんとなくの事情は知っている。
だけど、何故、どうしてといった理由は一度も聞いたことがない。
知りたい。ミコトがどのような道を辿ってきたのか。
どうしてあんな風になってしまったのか。いつも強さを追い求めて、生き急いでは無茶を繰り返す。
彼はぶっきらぼうで口数も少なく言葉も乱暴、マリーに対する態度もいいとはいえない。
だけど、脇目も振らず目的へと邁進するその姿に憧れを抱いた。
ふとした瞬間にとても寂しそうに瞳を伏せるその姿に何故か心が締め付けられた。
この気持ちがなんなのかはわからない。
だけど、どうしようもなくミコトのことを知りたいと思ってしまうのだ。
「マリー、アンタは知りたいのかい」
いの一番に頷けばどれ程楽だっただろうか。しかしマリーは頷くことも、知りたいと言葉にすることも出来なかった。
ミコト本人から何も聞いてはいないのに、他の人から聞きだすのはあまりに卑怯ではないだろうか。
そんなことが胸をよぎったのだ。
結局、はいともいいえとも言えない。知りたい、けど、知れば自分を許せなくなる。
そんな難儀なことを悩む弟子を前にして、欄干に座っていたアリエスが唐突に体を後ろに倒す。
次の瞬間には頭から地面に激突か、と思いきや猫のように回転しながら足から無事に着地。見事な身のこなしだ。
マリーがぎょっとしたのも一瞬だけ。
師匠が体力お化けなことを考えれば、今のは危険でも何でもないことだと平静を取り戻した。
それにしてもいきなりこんなことをされたら心臓に悪い。
おかげでさっきまで考えていたことが頭から吹き飛んでしまった、とマリーは眉をひそめる。
それこそがアリエスの目論見だったわけだが。
「アタシはウジウジ悩むのは好きじゃない。そんなことをしているならまずは体を動かして行動するのがいいさね」
アリエスは空に拳を突き出す。
微動だにせぬ、体幹のしっかりとした体から繰り出される拳は目にも止まらぬ速さ。
凡人には切り裂くような鋭い音しか耳に聞き取ることしかできないだろう。
すーっと拳を引き戻せば、さっきまで立っていた姿勢と寸分と違わない。
「……それってあたしが直接ミコトに話を聞きに行けってことですか?」
「教えてくれると思うなら聞けばいいさね」
「…………」
マリーの中で苦い思いが蘇る。
雪が全てを白く染めんとばかりに降り積もったあの日。
お節介と遠まわしに拒絶されながらも、踏み込んではいけない場所に踏み込んでしまった日のことを思い出していた。
あんな館に閉じ込められ、全身に傷を負ったミコトにただならぬ事情があるのは最初からわかっていた。
だからマリーは自分の中に溜め込むのではなく、他人にその心情を話せば楽になると思った。
そうすればもっとその人の助けになれる。
甘かった。
ミコトがアリエスを憎むその理由を聞こうとした次の瞬間にはもう後悔した。
強烈な視線で追い返されてしまったのだから。
だから尚更、もう一度ミコトに同じことを聞くのは躊躇われる。
多少は仲良くはなっているとはいえ、今度こそ本当に嫌われてしまうのではないかと思うから。
「まぁ事情を知ろうが知るまいが、あの子はまだ大丈夫だよ」
「……師匠?」
過去の事を振り返ったマリーのように、アリエスも遠い昔に思いを馳せるような遠い目をする。
それは彼女が冒険者になる前、子供時代にまで遡る昔のこと。
ある兄妹が浮かべていた瞳の色が忘れられない。あの、人の道を踏み外してしまった狂った瞳の色が……。
「あの子は……ミコトはまだ瞳に光を持っている。だから大丈夫」
アリエスの言っている事はマリーには全然わからなかった。
でもどこか自分の言い聞かせているようで、そこはかとない不安を抱いてしまう。
僅かに逡巡しながら声をかけようとしたが、その前にアリエスが振り返る。
その顔にはいつもの表情が戻っており、マリーはわけもわからずほっと胸を撫で下ろす。
アリエスの次の言葉を聞くまでは。
「それで人の心配をする前に、自分はどうなんだい。マリー」
胸の鼓動が一つ大きく音を立てた。
アリエスが訊ねているのは聞くまでもなくわかっている。
卒業という名の試験が終われば、こうなることはわかっていた。
だから寝る間も惜しんで、例え幸せな食事の時間だろうとそのことについて考えていたのだ。
すぅっと息を飲み込み、束の間、瞳を閉じる。
重大な決断だった。だってそれは別れを決定付ける言葉になる。
自分を家族のように扱ってくれて、時には厳しくも暖かいアリエスという師匠と。
そして三年という短い間ながらも共に過ごし、マリーの心の中に住み着いてしまったミコトという少年との。
己で導き出した答えを、マリーは言葉にする。
「あたし、魔術学校に行きます」




