第二話 刀と狂った戦い
デスゲーム開始。
笹生劉生によるこの忌まわしい宣言を聞いたプレイヤーたちは、大きく三つに分かれた。一つ目は今の内に優位を確保するべく広場を飛び出し、狩り場へと直行した者たち。二つ目は何かの冗談、もしくは本当だったとしてもすぐに解決されると信じて広場や街で時間をつぶし始めた者たち。三つ目は恐怖に戦いてしまい、手元にある初期資金でこれからどのように過ごすのか算段をつけ始めた者たちだ。
笹生の宣言からまだ一時間も経っていない現在では、まだ二番目の勢力が圧倒的多数を占めていた。一番目と三番目の勢力は非常に少なく、特に狩り場へ直行した者に至ってはβテスターのうちでも積極的な者に限られているだろう。日本人の平和ボケはこういう事態でも発揮されるのか、大多数のプレイヤーたちは事態を楽観的にとらえていた。どこから湧いてきたのかは知らないが「日付が変わればシステムが更新されて、デスゲーム状態は解除される」などという根拠のない噂まで流れてしまっている。
「まずいな……」
俺にはなぜか、笹生の言ったことはすべて真実のように思えてならなかった。根拠はない、あくまでも勘だ。しかし俺の嫌な勘は――往々にして当たる。できれば外れていてほしいが、きっと今回も当たってしまっていることだろう。
ゲームの世界と言うのは基本的に先に行くものが絶対的な有利となっている。
今スタートを切るのか明日スタートを切るのかでは、非常に大きな差が出てくるのだ。だから俺としては一刻も早く狩りに向かいたいのだが、なかなかそれがうまく行かない。
「一緒に狩りに行かないか? 乗り遅れるとやばいぞ」
「えっ? もうちょっと様子見てからでも大丈夫だろ」
「そうだぜ、そんなに必死になんなくてもよ」
広場に座り込んでいるプレイヤーたちに次々と声をかけていくが、そのほとんどが「様子を見てから」とか「焦りすぎ」などといった消極的なものだった。たまに狩りへ出かけようとするプレイヤーたちの姿も見ることができたが、彼らはすでにPTを結成済みで、新たにメンバーに加えてもらうことは難しかった。どうやらシオンとサクラに置いていかれる俺の姿は多数のプレイヤーに見られていたらしく、俺自身に何か大きな問題でもあると思われてしまっているらしい。仕方ないとはいえ、クソ、腹立たしい!
「こうなったら、ソロしかないか」
メニューウィンドウを開き、現在の所持金を確認する。無機質な半透明の画面には3421Zと表示されていた。初期資金が3000Zだから、今日一日で421Z稼いだことになる。一日の稼ぎとしてはちょっと少ないような気もするが、その分ドロップアイテムがかなり多い。それを売れば、おそらく4000にはなるだろう。これだけあれば、初期装備よりは幾分マシな装備が買えるはずだ。
ウィンドウを閉じると、すぐさま街の西側に広がる市場へと走り出す。出遅れたとまではいかないが、何事も急ぐことが肝心だ。常識的に考えて、一万の人間が全て十分にレベル上げなどができるリソースなどこのCOにはない。早い者勝ちの原理が現実以上に適応されてしまうのが、この世界だ。
市場の区画へ入ると、すぐに剣や盾のマークを掲げた武器屋と防具屋の姿が飛び込んできた。現実の街や村と変わらぬ規模を誇るVRMMOの都市だけあって、その数は一つや二つではない。視界に入るだけでも、武器屋と防具屋は合わせて五店舗ほども存在した。おそらく、どこかの店は安くてどこかの店はぼったくりだとかそういう設定もあるのだろう。けれど、そんなことはまだ分からない俺はとりあえず門構えのしっかりした店へと飛び込む。
広々とした店の中にはずらりと刀剣が並べられていた。博物館よろしく、壁一面に武器が飾られている。その奥にはカウンターがあり、小柄な老人が椅子に腰かけて刀を磨いていた。青白い刃を睨むその鋭い目つきは、熟練のプロを感じさせる。
「すまない、刀はあるか?」
「刀かい? そうさねえ、お前さんに扱えそうな物となるとそこの樽の中だな」
老人は右の方を見ると、顎をしゃくった。そこには「大安売り! 一本千Z!」と書かれた紙が貼られている大きな樽があり、大量の刀や剣が突っ込まれていた。入っている剣や刀はどれもかなりの年代物で、錆びていたり柄に巻かれている布がほつれていたり、かなりボロボロの状態だ。
「これ、いくらなんでもひどくないか?」
「初心者丸出しのお前さんには、それぐらいでちょうどいいのさ。下手にいい物を買ってもすぐダメにしちまうからな」
いやらしい笑みを浮かべる老人。こいつ、絶対に「最近の若者は~」とか言うタイプの人間だ。もっとも、彼はNPCだから人間ではないのだけれども。
「そんなこと言わずに売ってくれよ。例えばその刀とか、結構よさそうじゃないか」
「みる目がないのう。この刀はな、『青波』という名刀中の名刀だ。お前さんにはとてもとても。ま、うちも商売だから五十万ぐらい持ってくれば売ってやらんこともないがの」
「あるわけないだろ。しゃあない、樽の中の奴を一本もらってくぞ」
樽に差さっている刀のうち、一番状態がよさそうなものを選ぶとカウンターの上に置いた。するとたちまちウィンドウが開き『無名の刀:攻撃20 コスト10』と表示される。初期装備の刀が攻撃10のコスト10であることを考えると、意外といい数値だ。店主の人柄は良くないが、売っている品は悪くないのかもしれない。
「これをくれ」
「まいどあり。確かに1000Z頂いたよ。今後ともご贔屓に」
「生きてたらまた来る」
俺はそう言って店を出ると、看板を確認した。木目の目立つ分厚い看板には、黒々とした文字でローガ武具店と書かれている。なるほど、ローガ武具店か。一応、名前だけは覚えておこう。
新しい刀を仕入れた俺は、初期装備の刀と貯まっていたドロップアイテムを売り払い、新しいブーツと回復用のポーション十個を買いそろえた。どうして鎧ではなくブーツなのかと言うと、鎧は高すぎて買うと資金がなくなってしまうからである。
こうして一通りの準備を整えた俺は、恐る恐る街の西側の門を抜けた。日ははすでにとっぷりと沈んでしまっていて、あたりはすっかり闇の中。空に浮かぶ満月の青白い光だけが、草原を寒々と照らしている。離れたところに居るリトルボアが見えるか見えないかと言った明るさだ。
夜になったので、出現するモンスターが変わっているかもしれない。
そう警戒した俺はしばらく門の周辺で様子を見ていたが、さほど大きな変化はないようだった。リトルボアの動きも特に変わらず、凶暴化などといった兆候は見られない。空を横切っていく蝙蝠が唯一、昼間との違いだろうか。
とはいえ、用心に越したことはない。何せここはデスゲームなのだから。俺はゆっくり刀に手をやると、門まで走って戻れる程度の範囲内で狩りを開始する。幸い、狩りをしているプレイヤーがまだ少ないせいかリトルボアはそこら中で草を食んでいた。
「せやあァ!!」
<居合切り・発動>
刀が白い軌跡を描き、リトルボアの毛皮を引き裂く。柔らかな毛皮は深々と裂けて、傷口から紅の液体――血が噴出する。咲き乱れる紅の華を見た俺は、たちまち石化してしまった。
「なんで……血が……」
刀に付いた血を見て、身体が芯から冷えた。モンスターたちはただのデータにしか過ぎないはずだ。なのになぜ、これほど生々しい血が出るんだ。生き物の気配がするんだ。こいつらは生きてなんかいない、魂なんてないただの機械仕掛けの存在にしか過ぎないはずなのに――。
「わっ!」
思考停止状態となっていた俺に、リトルボアが突っ込んできた。とっさのことで対応ができなかった俺は、地面に尻もちをついてしまう。無理な姿勢になってしまったのか、腰のあたりがきりりと痛む。慌ててHPバーを確認すると、HP自体はほとんど減ってはいなかった。が、昼間は感じなかった痛みがあった。
「痛みあり、流血あり……マジで狂ってる」
刀を握る手に自然と力が籠る。このおかしな世界で頼れるのは、この刀だけのような気がした。あの時と同じだ。あのときの俺もまた、頼れるのはカバンに入っていた小さなカッターナイフだけだった。それで俺は――。心がねじれていく。頭の中を景色がぐるぐると廻った。やがて手のひらが燃えるように熱くなり、青かったはずのシードが赤く点滅をはじめる。それはさながら、興奮して血液を滾らせる心臓のようだった。その赤い輝きを見た途端、俺の頭の中は真っ白に染まる。
殺す。
斬る。
鮮血。
虐殺。
「はあはあ……」
気がつくと、俺は街からかなり離れた場所に居た。無我夢中でリトルボアを狩っているうちに、すっかり遠くへ移動しまっていたようだ。俺はポーションを一本飲んでHPを回復させると、すぐさま街のそばまで帰ろうとする。するとその時――。
「ウガアアアァ!!!!」
緋色の巨体が、俺の背後で咆哮を上げたのであった。