引きこもり令嬢は冷たい愛をご所望です
「…初対面で悪いが、私はお前と婚約することはない」
とある国のとある都市。そこに存在する大きな屋敷の一つにて、貴族である二人は屋敷の中の応接室で顔を合わせた直後。
肩まで伸びた銀色の髪に鋭い青い瞳。見た目からは人間らしい温かみを感じさせることのない、まるで氷を彷彿とさせる青年は開口一番に目の前に少女に向かって口にする。
そんな青年の言葉を受けた、焦げ茶色をしたセミロングの少女の名前はリリア・ニーベルト。
この国に仕える貴族の一人であり、伯爵でもあるカルマ・ニーベルトの一人娘である。
この少女は貴族であるにも関わらず、人生の大半を魔道具製作に賭けていた。何せ彼女は、魔道具製作が趣味だからだ。そのうえ、屋敷に引きこもってずっと、である。
それでもなお、二人はお互いに親の指示のもとにお見合いを始めたのだ。何せこれは、貴族同士の仲を深めるための縁談だったために。
…が、室内を支配する、凍てつくような沈黙。
この国の貴族であり、その冷徹さから氷の男と恐れられる青年……レイナード・グラキシスは、拒絶の意思を隠そうともせずにリリアを射抜くような視線で見下ろしていた。
普通の令嬢であれば、この時点で涙を流して部屋を飛び出すか、侮辱されたと憤慨するかのどちらかだろう。
…しかし、リリアは違った。彼女の心を満たしたのは、絶望ではなく、天にも昇るような歓喜だった。
「(やった…! 完璧なまでの塩対応…! これならいけます!)」
リリアもまた、本当は結婚などしたくはなかったからだ。魔道具製作を愛する彼女にとって、公爵夫人という窮屈な籠に閉じ込められるのは死と同義である。
リリアは内心のガッツポーズを完全に押し殺し、淑女としての完璧な微笑みを顔に貼り付けたまま、静かに手にしていた紅茶のカップをソーサーに置く。
「…それは奇遇ですね、レイナード様」
「何?」
予想外の穏やかな、どこか楽しげな返答に、レイナードの美しい眉が微かに動く。
リリアは背筋をピンと伸ばし、真っ直ぐに青い瞳を見返して言葉を返す。
「実は私も、レイナード様との婚約を結ぶつもりは毛頭なかったのですよ。どうにかしてこの顔合わせを破談にできないかと、そればかりを考えて本日ここへ来たくらいです」
「…ほう」
レイナードの瞳に、明らかな警戒の色が混じる。女たちが自分を誘惑しようとあらゆる策を講じてきたのを見てきた彼にとって、リリアの言葉は新たな駆け引きの一種に聞こえたのだろう。
「思わせぶりな態度で気を引くつもりなら、無駄だ。私は、お前のようなつまらない女に興味はない」
「つまらない、ですか。ふふ、確かにそう見えるかもしれませんね」
リリアはクスリと笑って椅子から立ち上がると、レイナードの正面へと歩み寄った。
「では、単刀直入に申し上げます。私たちは今、完全に利害が一致しています。貴方は望まぬ婚姻を避けたい。私もまた、自由を奪われる結婚などお断り。……ですが、お互いの実家がこれほどまでに押し進める縁談です。ただ"嫌だから"という理由で断れば、次にはもっと厄介な別の婚約者を宛がわれるだけだとは思いませんか?」
レイナードの視線が、リリアの動きを鋭く追う。彼女の言葉には、感情論ではない冷徹な事実があった。確かに、グラキシス公爵家を継ぐ彼が独身のままでいることを周囲の貴族や王室が許すはずがない。
何故なら、彼は公爵の一人息子である。血を残すためにも、必要なことなのだ。
「…何が言いたい」
「利害の一致による、期間限定の偽装結婚。私は、これを提案します」
訝しげにしているレイナードを視界に捉えつつも、リリアはニコリとした笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「…私は、魔道具製作をしていたい。レイナード様は煩わしい令嬢たちを追い払いたい。…なら、今ここで偽りの婚約を交わし、それらを引き離すのはどうでしょう?」
「…ふむ」
リリアのアイデアを聞き、レイナードは少しばかり逡巡した後に口を開き、リリアの出した案に対して返答をする。
「…いいだろう。それに乗ってやるとしよう」
レイナードはリリアの案に頷きを返し、口にする。
彼にとっても、この案は悪くない。彼の周りには取り入ろうとする令嬢たちが後を立たないからこそ、頷いて肯定をしたわけだ。
「…だが、これだけは先に言っておく。私は、お前を愛することはない」
「ええ、それはわかっています。私も、別に愛されることを求めてはいませんからね」
お互いの思惑もあり、最終的に偽装結婚をすることになった二人であったが、彼女らは共に相手を愛するつもりは欠片もない。
リリアは魔道具製作に没頭するため。レイナードは自身に擦り寄ってくる令嬢たちを断るための理由として。
各々で目的は違うが、利害は一致した。よって、リリアとレイナードの二人はそうしたわけである。
「…そういうことで、お願いしますね?」
「ああ。とはいえ、お前には私の屋敷に来てもらうがな」
「…まあ、それは仕方ないですね。わかりました、それではお願いします!」
お互いの意見もすり合わせ、合意を示した二人は今この時を持って偽装婚約をすることとなった。
そして、リリアはレイナードの住む屋敷へと行くことになり、この場は一度解散となる。
…が、リリアはその結果を確認し、不満は感じていない様子だ。
「(偽装婚約ではありますが、これならば周りからとやかく言われることもないですよね!よーし、これからは魔道具製作し放題、です!)」
こんなことを心のうちでは考えていたからである。まあ彼女の目的は最初からそれだったため、そうなるのも無理はない。
なんにせよ、こうして二人は婚約者となり、レイナードの屋敷にてメイドと共に暮らすことになったのだが……偽装婚約を行うことになった日からちょうど一ヶ月が経った頃。
レイナードは一人のメイドを自身の元に呼び出し、何やら問いかける。
レイナードから問われたメイドはリリアに仕える侍女であり、彼女のことを聞き出すために呼んだのである。
「…おい、お前」
「は、はい…!」
突如屋敷の主人であるレイナードに呼び出されたからか、緊張したように顔をこわばらせている侍女に向けて、レイナードは口を開く。
「…あいつは今、どうしてる?」
「…り、リリア様のことですか?リリア様なら、今日もお変わらずに魔道具製作を行なっております」
侍女の言葉を聞き、レイナードは深くため息をついた後に思考を巡らせる。
「(…確かに、私は彼女を愛することはないと言ったが……流石にここまで放置されるとはな。それも、この一ヶ月の間も、か…)」
レイナード自身も、別に止める理由はないうえに愛することもないとは口にした。
そのため、なんらかの文句を言える立場ではないといえるが……それはそれでため息もつくだろう。
「(…ならば、少しは彼女の元に行ってみるか。顔を合わせるのは食事の時のみではあるが、元気なのは知っている。とはいえ、こうも引きこもり続けていては気分もよくはないだろうし、一応はな)…では、あいつの元に行ってみるとしよう。お前はついてこい」
「は、はい…!」
そのように結論を出したレイナードは、リリアの侍女を連れてリリアがいる部屋へと歩き出す。
そして、リリアの部屋についたレイナードは、わずかに躊躇いながらも扉を開いて中に入ってすぐに、目の前の光景を見て顔を顰めることとなった。
…何せ、リリアのいる部屋というのがまさしくゴミ屋敷の如き汚さであり、あちこちに魔道具の素材らしきものやなんらかの魔道具などが散乱していたからだ。
「…おい、お前」
「…あっ、レイナード様!よく来ましたね!何か用でも?」
「…それよりもお前、こんなに部屋を散らかして…」
「あ、あはは……ま、まあいいじゃないですか!そ、そんなことよりもレイナード様!見てください!新しく魔道具を使ったのですよっ!」
ニコニコとした屈託のない笑みを浮かべながら、そう言って自身お手製の魔道具を見せ、かつ聞いてもいないのにしてくる説明をして聞き流しつつ、レイナードは誰にともなく思考する。
「(…私に対して黄色い声をあげることもなく、趣味に没頭か。しかも、裏表のなさそうなこの純粋な笑顔ときている。…こいつは、他の令嬢とは違う、のか…?)」
思えば、初対面時から彼女は色目を使わず、むしろ距離を取ろうとしていたな。
っと、レイナードは考えるが、思い返せば今までに出会ってきた令嬢たちとは根本的に違うだろうというのは明白だ。
彼女の目的。それは、魔道具製作である。
ならば、こうなるのも無理はないのかもしれないとレイナードは思考を切り上げる。
「ーーなんですよ!…って、レイナード様?聞いてましたか?」
「…すまない、考え事をしていて聞いてなかった」
「もうっ!なら簡潔に伝えますが、この魔道具は魔力を使って植物への栄養を広範囲に届けられるのです!」
「ほう、そんなものを作っていたのか」
改めて説明をされた魔道具に対して、レイナードは僅かながらに驚きを見せる。
何故なら、今リリアが説明した魔道具というのが革命的なものだったからだ。
「…よければ、いりますか?」
「…いいのか?」
「はいっ。私にとっては、作れるだけで満足なので!」
無邪気に明るく笑うリリアは、楽しげな様子でレイナードに言葉を返す。
が、その表情を見たレイナードは何やら憧れの人物を見たような表情を浮かべ、心の中で一人ごちる。
「(…本当に、自分のやりたいことに真っ直ぐなんだな。人生を賭けるような趣味があるのには、少しばかり憧れてしまうものだ)…ならば、是非とも受け取ろう。…感謝はしておく」
「ふふ、ならよかったです!んじゃ、私はまた新しい魔道具の制作に取り掛かりますね!アイデアはたくさんあるので!」
何かに夢中で、裏表のない純粋な笑顔。
自身のやりたいことに全力で励み、計算のない純朴な優しさを見せる彼女。
…自身に愛されず、どれだけ冷遇されても変わらない様子で笑うリリアに、レイナードは何やら僅かに見惚れたような視線を向ける。
「(…それほどまでに、自らの行動に揺るがない自信を持っている、ということか)」
自分には人生を賭けるような趣味も、胸を張って誇れるような特技もない。あるのは、愚直なまでに鍛え上げた剣術と魔法のみ。
そのせいで、目の前のリリアの放つ圧倒的な熱量に、ただただ気圧されるしかなかった。迷いのない瞳。まっすぐに前を見据える横顔。その姿が酷く眩しくて、同時に少しだけ羨ましかった。
自分だったら、何か一つのことにそこまで全てを捧げられるだろうか。失敗したときの恐怖や、周囲の目が気になって、きっと足がすくんでしまうに違いない。
「(…ああ、そうか。だから私は、彼女のことが気になるんだ)」
そのような気持ちと共に、全てが腑に落ちたようなストンとした静かな納得感が、レイナードの心のうちに落ちる。
自身にはないものに惹かれるのは、人として当然だ。だからこそ、レイナードは自分に色目を使わないリリアへの興味が、今この瞬間になって沸いた。
…まるで、運命の相手が出来たかの如く。
「…来たぞ」
「…またですか?まあ、ここは私の家ではないのでとやかくは言いませんが……見ていて面白いですかね…?」
リリアの言う通り、ここ最近のレイナードは頻繁にリリアの元を訪れている。
言葉は少なくも取り止めのない会話をしたり、魔道具について語り合ったり。あるいは、食べたばかりの料理のことを話したりなど、彼にとって今のリリアとの会話はとても心地よく、落ち着ける存在であるからだ。
が、彼女はレイナードが自らに会いにくる理由がわからないため、このタイミングで胡乱げに言葉と視線を返したわけだが、心の中では思考を巡らせ続けている。
「(…多分、私の魔道具が思いの外使えるものだったから、おおかた利用しようとでも考えているのでしょうか?愛すことはないと言ってましたし、その可能性は高そうですね)」
レイナードの心のうちとは違い、彼女の思考には気に入られたのだろうといった感情は持ち合わせていない。
何せ、彼自身が愛することはないと言ったために。これは、レイナードにとっても後になって失敗だと思ったことだ。
しかし、リリアは魔道具製作を続けられるのならば気にすることはないようだが、不審な気持ちを感じているのも事実らしい。
そんな最中、レイナードは少しだけ言い淀んだ後、リリアに向かって一言、口にする。
「…今日は、お前をお茶会に誘いにきたのだ。いけるか?」
「お茶会、ですか。…そうですね、区切りはいいですし、せっかくの申し出なのでいきましょう!」
レイナードからのお誘いを受け、少しばかり考えた後にリリアは受け入れることを伝えると、レイナードは見知った者でなければ気付かなさそうなくらいに頬を緩ませ、「ならば、こい」と言葉を投げかける。
…もちろん、今のリリアが気づくことはなく、了承を返した後にレイナードの後ろをついていくこととなった。
なんやかんやで一時間後。屋敷の敷地にある中庭にて、二人はお互いの侍女を連れて真っ白なアンティーク調の椅子に座り、対面する形で紅茶を手にしているのだが……リリアの表情には少しばかりの緊張が残っている。
「(…ど、どうしてこんなに整えられた場所でお茶なのですか…!?私、てっきり非公式な感じのゆるい場所だと思ったのですけど…!?)」
お茶をするのを受けたのは自分だが、だとしても緊張がなくなるわけではない。
ーーリリアは引きこもりである。
そのため、こうした日の差し込むような場所での交流に緊張をするなというのは、酷というものだろう。
「…そこまで身構えなくてもいいぞ?これは、ただの私的なお茶会だ」
「そ、そう言われましても…!?」
レイナードは苦笑を漏らしつつ、リリアへと緊張を和らげるために言葉をかけるも、リリアの緊張はなくならない。
だが、少なからず落ち着かせることは出来たらしく、少しだけ慌てていたリリアの呼吸も徐々に和らぎを見せる。
「…さて、久しぶりに面と向かい合うことになったが……お前は相変わらずのようだな?」
「あ、相変わらず、ですか…?」
目をぱちくりとさせながら、リリアは緊張気味に答える。
が、レイナードはそんなリリアを見てもなお、目の前にある真っ白なテーブルの上に置かれている皿に乗ったケーキを切り分け、フォークで刺した後にリリアに向かって差し出す。
「…また、寝食を忘れて没頭していただろ?全く、お前ときたらすぐにそうなる。ほら、食べるんだ」
「こ、このくらいは自分でも食べられ…」
「…私に、ひと匙の役目もくれないのか?」
「うぐっ…」
何やら切なげな表情で口にしたレイナードの言葉に躊躇いを見せたリリアだったが、彼女は視線をあちこちに彷徨わせた後にようやく向き直し……覚悟を決めて口を開け、レイナードの差し出してきたケーキをパクリと食べる。
「…どうだ?」
「…美味しいです」
差し出されたケーキを咀嚼し、飲み込んだ後にリリアは言葉を返す。
しかし、彼女の心のうちではこの状況に戸惑った様子を見せている。
何せ、自分のことを愛するつもりはないと言っていたレイナードが、こうも自らに甘く接してくるからだ。
ならば、リリアが戸惑ってテンパるのも無理はない。彼女からすれば、何か目的かもわからないのだから。
「(…な、なんだか凄く甘やかされてしまっている気がしますね…?な、何故でしょうか…?別に私、愛されることなど望んでいないのに…?)」
次から次へと差し出されるケーキをもぐもぐと食べながら、リリアはそのように思考する。
…あの時のセリフが本当なら、今頃はこうしてお茶会をすることもなかったはずだとリリアは考えるのだが……レイナードは表情を変えずにケーキを小さく切って、自身の口元へ運んでくるのだ。
「(…ケーキは美味しいですが、こんなにも甘やかしてくるのな本当に何故なのか…?…あ、そういえばこのお茶会に来て緊張していたせいで忘れていましたが、渡すものがあるんでした…!)…ゴクン。…その、レイナード様」
「ん、なんだ?」
ケーキを差し出す手を止めてレイナードに対し、リリアは足元に置いてあった一つの魔道具を手に取り、壊れ物を扱うようにしてテーブルの上に置く。
取り出されたものは、金属の歯車と不揃いな魔石が組み合わされた、お世辞にも美しいとは言えない、ゴツゴとした手のひらサイズのブローチ型魔道具だったために、レイナードは訝しげに眺めている。
「…これは?」
「えっと、この魔道具は焔水晶の暖炉と言いまして、寒い場所でも熱を発することで暖かく出来るものです。…レイナード様は日頃から寒そうにしてたので、これを用意したのですが…」
その言葉を聞き、わずかとはいえレイナードは驚きを見せる。
何せ、自身の抱えていた体質のことは口にしていないはずなのに、リリアは彼を心配して魔道具を作ったからだ。
…レイナード・グラキシス。彼の抱えている体質というのは、氷属性の魔力が常に身体中を回っているというものである。
体質のお陰で彼は氷魔法を得意とし、尚且つ夏でも変わらずに全身が冷え切っているのだ。
それを、わずかしか接していないはずのリリアが勘付いたのかとレイナードは驚くわけだ。
「…私が受け取ってもいいのか?貴重な魔道具なのでは?」
「もちろん大丈夫ですよ!単に私が作りたかっただけですし、レイナード様のことを心配して作ってみただけなので…!あ、もしもいらなければ返却してもらってもいいですからね!」
自信満々な様子でニッコリと笑みを浮かべたと思った次の瞬間には、慌てたように言葉を続けるリリア。
レイナードはそんな彼女を見て、リリアの前で初めてクスリと笑みを漏らす。
すると、リリアは大層に驚いた様子を見せるが、それでもレイナードの心のうちは変わらない。
「(…ああ、やはりリリアの心は優しく、温かいな。まさに、心が溶かされるような気持ちだ。この温かさはきっと、魔道具のおかげだけではないだろう)」
氷の男と呼ばれているレイナードだったが、まさにその温かさには固く閉ざされた心が少しずつ溶かされるようだった。
リリアの純粋なる思いが、自分を心配してくれる気持ちが、心に触れるかのような温かい手が、自身の心に響いてくる。
「(…私はきっと、彼女のことを悪くは思っていないのだな。むしろ、好ましく思っている……のか?)」
初めは単なる偽装結婚相手であった。…が、彼女の真っ直ぐな姿勢に、熱中して取り組む生き様に、自分のことを思ってくれる態度に、レイナードの心は動かされた。
そして今、この瞬間。彼のリリアに対する気持ちは、少しばかり傾いた。
「…ありがとう、と言っておこう。早速つけても?」
「どうぞどうぞ!そのために作ったのですからね!」
その言葉通り、レイナードは恐る恐るブローチを手に取り……胸元に付けた直後。
僅かながらに感じていた肌を刺すような寒さは消え去り、まるで春の木漏れ日の中にいるような、じんわりとした温かさがレイナードを包み込んだ。
「…温かいな」
「ふっふっふ、ならよかったです!」
レイナードの発言に対し、リリアはどこかホッとしたような表情で口にする。
…が、レイナードが温かいと思ったのは身体だけではない。彼女の優しさが、自身の心を溶かすように温めてきていたのだ。
全身を包む温かさを感じ、少しだけ頬を緩ませながらレイナードは椅子から立ち上がり……目の前まで移動を済ませてからリリアの頭を優しく撫でつける。
「…ひゃっ!?」
「ありがとう、リリア。お前のおかげで、私は温まることが出来る」
「れ、レイナード様、私の名前を…!?」
初めて呼ばれた自身の名に、リリアは顔いっぱいに驚きを露わにする。
彼女は偽装ではあるが婚約を済ませた後、一度も自身の名前を呼ばれたことはなかった。
だからこそ、今この瞬間に初めて呼ばれたことに穏やかを露わにしたのだ。
それも、優しげな眼差しで頭を撫でられながら、である。
「(…こ、これはきっと偽装の演技なんだし、勘違いしちゃダメ…!)」
愛おしそうに頭を撫でられることに頬を赤くし、照れた様子でリリアは心の中でそんなことを思いながら、レイナードからプイッと視線を逸らす。
…彼から愛おしげに接され、甘やかされる理由はわからないが、これはこれで悪くはないとリリアは思っている。
…とはいえ、恥ずかしくなってしまうのは避けられないのだが。
彼女の人生の中で恋人がいたことは一度もないので、どう接すればいいかも判断がつかないからだ。
「…ほら、次はこれを食べるといい。これは、私のオススメなのだよ」
そうして二人は、甘い雰囲気のままお茶会を楽しみ、日が暮れてきたタイミングでお開きとなるのだった。
「…なあ、リリア?」
「ん、なんですか?レイナード様?…というか、どうしてまた私の研究室にいるのです?」
「いいじゃないか。それに、ここを用意したのは私だぞ?」
「うぐっ、そう言われると何も反論出来ませんね…!」
リリアはむくれたように頬を膨らませ、言葉を詰まらせる。対してレイナードは、リリアを見て満足そうに口元を綻ばせた。
が、両者ともに悪い気分ではないのは確かだ。
彼女もレイナードと接するのには心地よくなっているらしく、レイナードも彼女のことを気にしている。そのために、どれだけ言われても悪く感じることはないらしい。
…とはいえ、リリアからすれば何の要件で来ているのかは不思議に思うのも確かなのだが。
「…まあいいです。で、何のようです?私、忙しいのですけど?」
「…単刀直入に言う。気分転換に、私と一緒に街へ出ないか?」
「ふむ、気分転換ですか」
レイナードの発言を聞き、リリアは一度手を止めて考える。
「(…確かに、最近は魔道具製作ばかりで休むこともなかったですし、ちょうどいいといえばちょうどいい、のかも?)」
今の今まで夢中になっており、休む時間はとっていなかった。
故にリリアは、心の中でそう思ったわけだ。しかも、このタイミングでレイナードから一緒にどうかと誘われたのだから、断る理由などあるはずもない。
「いいですよ!私も行きたいです!」
「決まりだな。では、早速いくぞ」
「え、もうですか…!?」
慌てた様子であるリリアを見て、レイナードはクスリと笑みを漏らす。
彼にとって、今のリリアは大切な人と言う他ない。
その気持ちがあるからこそ、こうして善は急げとばかりに街に出かけようと述べたわけだ。
「…とりあえず、リリアの支度を頼む」
「かしこまりました。では、リリア様。お手を失礼しますね?」
「ちょっ、まっ…!?」
レイナードからの指示を受け、側に控えていたメイドたちは早々に動き出し、リリアの服装や化粧などを施していく。
もちろん、レイナードが部屋を出てから、だ。とは言っても、そこまで待たせる気はメイドたちにはないため、少しだけ急ぎでリリアの身支度を整えていく。
「…ひ、久しぶりに日差しを浴びて、灰になってしまいそうです…!」
「…リリアは吸血鬼だったか?」
「た、単なる例えですよ…!うぅ、陰の私には如何ともし難いです…!」
街に出かけ始めてわずか数分にて、リリアはその可愛らしい顔をわずかに歪め、差し込む日差しから隠れるかの如くレイナードの後ろに回り込む。
陰のオーラを纏う彼女にとっては、街中に来てもその賑わいに少しだけ震えてしまうらしい。
…だが、この場にいるのは彼女だけではない。
「…リリア」
「ひゃっ…!?れ、レイナード様…!?」
「大丈夫だ、私がいる」
リリアの手を壊れ物を扱うように握りながら、レイナードは優しげに声をかける。
その声色にはリリアの思う気持ちが込められており、リリアも穏やかな口調のレイナードの言葉を聞いてわずかながらに見せていた緊張が解けていくのを感じ取った。
「…ありがとうございます、レイナード様」
「ふふ、構わないさ。ほら、今はせっかくのお出かけなのだから、楽しもうじゃないか」
「…はい!」
そのように言葉を交わした後、二人は揃って街中を歩き出す。
そして、まさしくデートの如く様々な店を冷やかしたり、あるいは買い物を済ませたりしていたリリアとレイナードだったが、存分にお出かけを楽しんで日も暮れ始めてきたタイミングにて、レイナードはリリアに向かって口を開く。
「…その、リリア」
「んむ、なんですか?」
「…行きたいところがあるのだが、いいか?」
「まあ、構いませんよ。でも、こんな時間にですか?」
「こんな時間だから、だ。とりあえず、ついてきてくれ」
「…?わかりました」
歩き出したレイナードの目的地はわからない。
だが、自分に対して何か悪いことをしようとしているわけではないのはわかる。
頭の中では疑問を浮かべつつも、リリアはレイナードに連れられる形で歩き続け……ようやく目的地に着いたらしく、レイナードは立ち止まる。
「着いたぞ、ここだ」
「ここは……高台、ですか…?」
そうして連れてこられた場所は街の外れに存在する高台であり、リリアたちを天に輝く星たちが照らしていた。
「…私はここが好きで、幼い頃からよく来ていた場所だ。見えるか?ここからなら、街並みを一望出来るんだ」
「…綺麗」
レイナードの示した通り、リリアの瞳には星明かりに照らされている街の全貌が映り、目の前に広がる綺麗な光景に思わずリリアは言葉を漏らす。
しかし、無理もない。引きこもりである彼女はこのような景色を見たことなど片手で数える程度しかないため、圧倒されてしまうのも当然のことだ。
「…リリア」
「…あ、れ、レイナード様…!」
「…その、今日のお出かけはどうだった?」
景色に見惚れていたリリアに向けて、レイナードは言葉を投げかける。
彼はリリアにとっても楽しいかは少しだけ不安になっていた。誘いに答えてくれたのはリリアだが、かといって楽しかったかはわからないからだ。
「…えっと、その……すごく、楽しかったです。…こんなに楽しいのは、生まれて初めてかもしれないくらいには」
「…そうか」
リリアからの返答を聞き、レイナードは噛み締めるように目を閉じながら言葉を返す。
彼の脳内には、これまでの出来事が浮かび上がっている。
「ふふ、ならよかったです!んじゃ、私はまた新しい魔道具の制作に取り掛かりますね!アイデアはたくさんあるので!」
「もちろん大丈夫ですよ!単に私が作りたかっただけですし、レイナード様のことを心配して作ってみただけなので…!あ、もしもいらなければ返却してもらってもいいですからね!」
「た、単なる例えですよ…!うぅ、陰の私には如何ともし難いです…!」
「…ありがとうございます、レイナード様」
リリアの楽しげな笑み、自身を思ってくれるが故の言葉にプレゼント、涙目で庇護欲を沸き立たせるリリアの表情。
そのどれもが、レイナードにとっては新鮮で、なによりも尊いものだった。
「…リリア」
「…は、はい、なんですか?」
「…その、私ではリリアと一緒に過ごすのも、幸せになってもいいのかはわからないが…」
レイナードは少しだけ逡巡するように言葉を迷わせていたが、覚悟を決めたような顔つきでリリアへと視線を向け、口を開く。
「…こんな無愛想な私だが、結婚をしてくれないか?」
「…リリア、いるか?」
「あ、レイナード!よく来ましたね、今日もアレを?」
「ああ、訓練中の騎士たちに必要でな。用意出来るか?」
月日は流れ、とある国の城内にて二人の人間が言葉を交わす。
彼らの正体は、リリアとレイナード。二人は自身の仕事として城に通っており、時折こうして顔を合わせている。
だが、今回はレイナードが良くリリアから貰っているものを受け取りに来ていた。
そのあるものとは…
「ええ、もちろん!はい、傷を癒す塗り薬です!」
「いつも済まないな」
「ふふ、気にしないでください!これでも私、国家魔道具師ですからね!」
この言葉通り、リリアはこの国に支える職業……国家魔道具師に就いている。
しかも、レイナード自身も同じように国に支える騎士団、それも騎士団長の座に上り詰めているのだ。
そのため、二人がこうして顔を合わせるのは自然と言えるだろう。
「…しかし、騎士団のメンバーも大変ですね。騎士団長であるレイナード直々に鍛えられていますし」
「ま、あいつらも承知の上さ。実力が上がるのに悪いことなどないからな」
「そ、それはそうなんですけどね」
リリアはレイナードの言葉に苦笑を漏らすも、止めるようなことを口にはしない。
リリアからしても、レイナードの言葉には納得出来るからである。
とはいえ、だからといって特訓でついた傷が治るわけでもないため、こうして傷薬を渡しに行くだが。
「それじゃ、私はいかせてもらおう。これは貰っていくぞ?」
「はい、また夜に!」
二人が交わした別れの言葉と共にレイナードがリリアの元から去っていくと、同じタイミングで同僚である女性が二人、リリアの元にやってくる。
彼女たちはリリアのことをよく知っているため、毎度とは言わずとも、時折リリアの元にやってきているのだ。
「リリアってば、相変わらずお熱いわねぇ?」
「あの騎士団長の顔、本当にリリアのことを大切に思っているのね?」
「も、もう!茶化さないでくださいよ!ほら、今は私のことよりも仕事に、です!」
同僚の発言を聞いてリリアは頬を赤く染めるも、仕事だと言わんばかりに声を上げて元の場所に戻っていく。
…そんなリリアとレイナードの左手の薬指には銀色の指輪が嵌められており、リリアは熱のこもった視線で一瞥した後、仕事に戻っていく。
…リリアたちの道は、今も、そしてこれからも変わることはない。
例え何があろうとも、二人は一緒だと誓ったために。




