第16話 「春の潮騒と、新たな影」
今日の灯台荘より
**「春が来ても、傷は消えない。
それでも朝を迎え、光を分け合う。
それが、人として生きる、静かな春。」
第16話 「春の潮騒と、新たな影」
春の訪れを告げる柔らかな風が、灯台の周囲を優しく撫でていた。
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朝の七時。灯台荘の台所は、十人分の椀でいっぱいになっていた。
冬を越えた九人に加え、新たな漂着者・二十四歳の青年・渡辺 蓮が、静かに席についていた。海人が作る出汁の効いた味噌汁に、彩の春野菜の卵焼き、遥香が摘んだ山菜の浅漬け。
蓮はまだほとんど箸を動かさず、窓の外の桜色の海を見つめていた。「…………ここ、暖かいですね。」
蓮の第一声は、それだけだった。澪が微笑み、いつもの言葉をそっと重ねた。
「ここにいてもいいんですよ。」食後、海人は蓮を灯台の機械室へ連れて行った。
窓から差し込む春の光の中で、Ólafur Arnaldsの「Saman」が低く流れていた。「この光は、季節が変わっても回り続ける。
嵐の夜も、桜の朝も。」蓮が震える声で語り始めた。
「僕は……会社で、部下をいじめていた。
上司に『強いリーダーになれ』と言われて、弱い者を突き放した。
ある日、部下が辞めて……それから、僕自身が壊れた。
自分が一番弱かったことに、気づいてしまった。」海人は静かに頷いた。
「人は、傷つける側にも、傷つく側にもなる。
どちらも、生きている証だ。」午後、十人は岩場へ降りた。
春の潮が優しく寄せ、桜の花びらが波間に舞っていた。
耕平が息子の近況を、俊介が漁師仲間に教えた小さな喜びを、遥香が新作の絵を皆に見せた。彩が蓮の隣に座り、
「私も、笑うのが怖かった。
でもここで、傷を隠さずにいられるようになりました。」蓮の目から、静かに涙が落ちた。
「僕……もう、人を傷つけたくない。
ただ、誰かのそばに、静かにいられたら。」夕暮れ、澪が皆を集めて小さなノートを開いた。
「ここに来た人たちの言葉を、ずっと書き留めています。
いつか、誰かの春になるように。」夜。
機械室ではMax Richterの「On the Nature of Daylight」が、春の夜風に溶けていた。 海人は皆の前で、珍しく穏やかな声で言った。
「この灯台荘は、季節とともに変わっていく。
人が増え、光が分かたれていく。
人として生きるって、きっとこういうことだ。」十の杯に温かい春のハーブティーが注がれた。
言葉は少なく、でも心は確かに重なり合っていた。深夜、海人は一人、最上部に上がった。
春の星空の下、回転する灯台の光が白い帯を描く。(遥……春が来た。
お前が好きだった季節だ。
新しい影がまた、ここで光を見つけ始めている。
俺は、これからも回し続けるよ。
ここにきてくれる誰かに、『ここにいてもいい』と、静かに伝え続ける。)遠い海上で、数隻の船が灯台の光を捉え、春の潮に乗りながらゆっくりと進んでいた。
灯台荘の窓から、十の小さな灯りが、夜の海に優しく映っていた。(第16話 完)




