第12話 「波の記憶と、戻る灯り」
第12話 「波の記憶と、戻る灯り」
朝の八時を少し回った頃。
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灯台の回転光はもう完全に朝の陽光に溶け、代わりに海面がきらきらと反射していた。台所では四人分の朝食が済み、洗い物が静かに終わっていた。
新しく来た山田耕平は、まだほとんど言葉を発さない。
ただ、ほうじ茶の湯飲みを両手で包み、窓の外をぼんやりと見つめている。海人は黙って彼の隣に座り、同じ方向を見た。
澪と彩は少し離れたテーブルで、昨夜の記録をノートにまとめていた。「…………あの海、俺の船だったんだ。」
耕平が唐突に、掠れた声で言った。三人が静かに視線を向ける。
耕平は湯飲みを見つめたまま、ゆっくりと話し始めた。「二十年近く、沿岸の貨物船を走らせてきた。
家族はもういない。妻は十年前に離婚して、息子は連絡を絶った。
最後の航海で、エンジントラブルを起こして……そのまま流されて、ここに漂着した。
もう、船にも海にも、戻る気はなかった。」海人は小さく頷いただけだった。
澪がそっと息を吸い、
「ここにいてもいいんですよ。」
と、昨日と同じ言葉を、けれど少しだけ柔らかく繰り返した。耕平の肩が、ほんの少し震えた。その午後、海人は耕平を灯台の機械室に連れて行った。
Ólafur Arnaldsの静かなピアノが、今日も低く流れている。「ここは、ただ光を回す場所だ。
誰かのために。
誰が見ているかわからなくても。」海人はレンズの回転機構に手を添え、ゆっくりと説明した。
耕平は黙って見上げていたが、ふと指でガラスに触れた。「……俺の船も、この光を頼りに何度も港に戻ってきた。
気づかなかった。」夕暮れが近づく頃、彩が提案した。
「みんなで、灯台の外の岩場まで行ってみませんか。」四人はゆっくりと階段を下り、潮の引いた岩場に立った。
波が静かに寄せては返す。
耕平は靴を脱ぎ、素足で海水に触れた。すると、彼の目から一筋の涙が落ちた。「俺……息子に、最後に『帰ってくるな』と言ったんだ。
自分が父親失格だって、わかっていたから……もう顔も見せられないと思って。」澪はそっと彼の隣にしゃがみ、
「でも、海はまだここにあります。
光も、まだ回っています。
息子さんがもし、この灯りを見ていたら……『ここにいてもいい』って、思ってくれるかもしれませんよ。」耕平は声を殺して泣いた。
大きな背中が、波の音に混じって震えていた。夜になった。
機械室のスピーカーからは、Max Richter - 「On the Nature of Daylight」が流れていた。海人は一人、灯台の最上部に上がった。
回転する光のすぐ横で、遥の幻を思い浮かべる。(遥……お前は、こういう夜を待っていたのか。
人が、少しずつ自分の闇を吐き出して、光に触れる瞬間を。)下の部屋では、澪が耕平に温かいココアを差し出していた。
彩がそっと毛布を肩にかける。
耕平はまだ泣きやまなかったが、その目には、昨日にはなかった小さな灯りが宿っていた。海人は心の中で呟いた。「もう少し、この灯台荘を続けよう。
漂着者が来るたびに、俺たちもまた、救われていくのかもしれない。」遠くの海上で、一隻の漁船が灯台の光を捉え、ゆっくりと進路を修正していた。




