第7話 最低ラインの契約悪魔と、最悪な代償
学食の騒々しさから逃れるように、俺は大学の裏庭にあるベンチに座っていた。
昼休みの喧騒は届かない、静かな場所だ。
「で、どうするんだよ、人狼コーチ」
胸ポケットにいるウォルフに、小声で問いかける。
視界の端には、ステータスウィンドウ。
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共鳴値:1.1
契約悪魔候補: 《インク》 必要5.0/会話サポート
《ミスト》 必要8.0/感情安定
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『鳴海こはるは、水谷しずくとは別種だ。会話のテンポ、使う単語、距離感。おまえとは種族が違いすぎる』
(知ってるよ。だからって、レゾが足りないもんは足りない)
『だが、あの娘の足もとの“歪み”は、地味子の比じゃない。放置すれば、早々に異界の存在を呼び込むだろう。悠長に5.0貯める暇はない』
昨日見た、墨を垂らしたような濃いノイズを思い出す。
「じゃあ、この《インク》と契約するのは無理だってことか?」
『無理ではない。緊急手段がある』
ウォルフの声が低く、囁きめく。
『契約は、レゾと「代償」のバランスで成立する。レゾが不足する場合、おまえが最も大切にしている何かを対価として捧げれば、強制的に契約を完了できる』
「……何を大切に、って?」
「おまえの現状を考えれば、取るべき対価は一つしかない」
ウォルフは、少しだけ沈黙した。その間に、俺の心臓は嫌な音を立てて早鐘を打つ。
『《インク》の能力は「会話の流れを最適化」すること。つまり、おまえが望む異性とのコミュニケーションを完璧にサポートするチートスキルだ』
「チート……」
『その力を得る代償として、おまえが最もその能力を使いたい相手に対して、その力を**《凍結》**させる』
「……は?」
「最も使いたい相手。つまり、白木百合香だ」
背筋に冷たい水が流れたような気がした。
『この悪魔を契約している間、おまえは白木百合香との会話において、最適な言葉、適切な距離感、感情の機微を読む能力を、強制的にすべて失う。おまえは、非モテ大学生・斗真慶太の“恋愛スキル:0”状態に逆戻りする』
最低だ。
「ふざけんな! 俺は、白木さんを守るために、このクソみたいなゲームをやってるんだぞ!」
『だからこそだろう!』
ウォルフは声を荒げた。ぬいぐるみの体で、だが、威圧感がすごい。
『力を得るには、本命を犠牲にするしかない。それが悪魔契約の常だ。さあ、選べ。本命と話す不器用さを残して、白木百合香を歪みの餌にするか。それとも、本命との会話能力を捨てて、守るための力を得るか』
最低で、最悪な二択。でも、俺に残された道は、もう一つしかない。
もし白木さんが、俺が話しかけられなかったせいで、歪みに巻き込まれたら。
それは、最悪だ。
「……わかった」
喉が張り付いたような声だった。
「契約する。レゾ1.1と、俺の白木百合香との会話能力を対価にする」
『よろしい。契約成立だ』
ウォルフがそう告げた瞬間、視界のウィンドウが真っ赤に点滅した。
全身の血が、一瞬で冷えていくような感覚。頭の中の回路の一部が、強制的にシャットダウンされたのがわかった。
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【契約完了】
契約悪魔:《インク》
コスト:共鳴値1.1 + 言語化能力の凍結(白木百合香限定)
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ステータスウィンドウが更新される。
スキル一覧の欄に、新しく一行が加わっていた。
特殊スキル: ・レゾ生成体 ・会話補助:《インクの筆》
デメリット: ・白木百合香への言語化凍結(大)
(……手に入れた)
『悪魔は、今からおまえの言語中枢を補助する。相手が望む言葉、会話が次に進むための最善手。これを自動で選ぶ』
(つまり、チートってことか)
『ああ。ただし、白木百合香の前ではな。試してみるがいい。次のターゲット、鳴海こはるにどう近づくか』
俺は深く息を吐き、立ち上がる。
「よし。次はギャルだ」
手に入れた力は、最低で、最高だ。このチートで、まずは鳴海こはるの歪みを潰す。そして、白木さんを守る。そのために、俺は、白木さんに二度と気の利いた言葉をかけてやれなくなった。
背中を押してくれたのは、そんな理不尽な代償だった。
翌日、鳴海こはるが所属するサークルの部室を覗くために、俺は歩き出した。




