第5話 初級クエスト達成!
四限が終わるチャイムが鳴った瞬間、俺はノートと教科書を掴んで教室を出た。
(逃げたい……でも行くって言っちゃったしな)
『いい傾向だ。逃げたい方角に、大事なものはだいたいある』
胸ポケットの中で、ウォルフが勝手に名言を吐く。
(静かにしててくれよ。図書館で独り言になったら終わりだからな)
『心配するな。声はおまえにしか届かん』
そう言われても、緊張は勝手に増える。
図書館の二階。窓側の四人掛けテーブルの端っこに、水谷さんはすでに座っていた。
カーディガンの袖を指でつまみながら、レポート課題のプリントを見つめている。
「お、お待たせ」
「ううん、私も今来たところ」
ベタなやりとりをしつつ、向かいの席に座る。机の下、彼女の足もとには――うっすらと、黒いノイズが揺れていた。
(……まだ、残ってる)
『さっきよりは薄いな。続きはここからだ』
プリントを広げ、参考になりそうな本を何冊か積む。静かな空気に、ページをめくる音だけが混ざる。
「テーマ、“現代社会における共同体の再定義”って、ざっくりしすぎじゃない?」
「だよね。なんか、急に社会学者になれって言われてるみたいで」
思ったことをそのまま言うと、水谷さんがくすっと笑った。
「斗真くん、そういうの、はっきり言うんだね」
「え、悪かった?」
「ううん。なんか、ちょっと安心しただけ」
その瞬間、視界の端で数字が跳ねる。
【共鳴値+0.2 → 0.5】
机の下のノイズが、少しだけ薄くなった。
しばらくは真面目に文献を読む時間が続いた。わからない単語に線を引いて、ノートに意味を書き写す。たまに、同じところで詰まる。
「……“インフォーマルなつながり”って、具体的に何だろ」
「SNSとか、サークルとか、バイト先の飲み会とか?」
「あー、たしかに」
言葉を拾い合うたびに、レゾがちょっとずつ加算されていく。
【+0.1】【+0.1】
数字として見えると、妙にゲームっぽい。
『いい流れだ。勉強会でレゾを稼ぐとか、なかなか渋いプレイスタイルだな』
(黙っててくれない? 集中できない)
『はいはい』
集中し始めると、時間は案外早く過ぎる。気づけば、プリントの設問の半分以上は方針が決まっていた。
「……意外と、形になりそうだね」
「な。最初の絶望感から考えたら、だいぶマシになった」
そう言うと、水谷さんはほっとした表情を浮かべた。
「一人だと、途中で『もういいや』って閉じちゃってたと思う。ありがと」
「こちらこそ。たぶん一人じゃ、俺も現実逃避して動画見てた」
笑い合った瞬間、机の下のノイズが、ふっと消えた。
まるで、最初から何もなかったみたいに、そこだけ空気が軽い。
【共鳴値+0.3 → 1.0】
【初級クエスト達成!】
視界の中央に、システムメッセージがドーンと出た。思わず目を瞬かせる。
(ちょ、でかいでかい、邪魔)
『おめでとう。これで一つ目のノルマクリアだ』
心の中でだけ、ウォルフが拍手する。
「どうしたの?」
「え?」
変な顔をしていたらしく、水谷さんが首をかしげた。
「いや、その……レポート、なんか、いけそうだなって思って」
「うん。ね」
そう言って、彼女は照れたように笑った。
「もしよかったら……また一緒にやってもいい? 次の課題とか」
「もちろん。むしろお願いしたい」
そのやりとりに、レゾがまた小さく跳ねる。
【+0.1 → 1.1】
(……ほんとに、“いい感じの時間”で増えるんだな)
自分で考えておきながら、目の当たりにすると妙な感覚だ。
片付けを終えて、二人で図書館を出る。階段のところで、自然と別れた。
「じゃあ、またゼミで」
「うん。また」
水谷さんが去っていく背中を見送ってから、俺はポケットの中のウォルフに小声でつぶやく。
「……どうだよ、人狼コーチ」
『悪くない。歪みはきれいに消えた。共鳴値も1.0を超えた』
(で、ごほうびは? ゲームなら、ここで何か解放されるやつだろ)
『せっかちだな』
ウォルフが、わざとらしく咳払いをした。
『では、特典その一。契約悪魔リストへのアクセス権だ』
視界に、新しいタブが追加される。
【契約悪魔一覧(ロック中)】
タップするイメージを思い浮かべると、モノクロのシルエットがずらりと並んだウィンドウが開いた。
名前の横に、小さなアイコンと、必要レゾ。
《インク》 必要レゾ:5.0 属性:会話サポート/情報補正
《ミスト》 必要レゾ:8.0 属性:感情安定/ストレス緩和
《ブリンク》 必要レゾ:12.0 属性:瞬間移動系(短距離)
……などなど。
そしてリストの一番下には、レベル帯も表示すらされない“???ランク”がいくつか。
(……5.0。今の俺が1.1だから、あと4.0)
『一体契約するだけでも、それなりに“動き”がいるだろうな』
(ていうか、《ブリンク》とか普通に欲しいんだけど)
『高望みするな。まずは《インク》あたりからだ』
ウォルフの声は、少しだけ真面目になる。
『忘れるなよ、斗真。これはただの恋愛ゲームじゃない。今おまえが消したみたいな小さい歪みの先で、本気で人を壊しにくる連中が動いている』
「……わかってる」
小さく返事をする。
それでも――レゾの数字と、モノクロの悪魔たちのシルエットを眺めながら、胸のどこかで、少しだけワクワクしている自分もいた。
好きな子を守るために、まずは別の子とレポートをする。
そしていつか、画面の向こう側の“悪魔”たちとも、契約を結ぶ。
図書館を出た夕方のキャンパスは、オレンジ色で、ほんの少しだけゲームのスタート画面に見えた。




