第3話 最初のターゲットは、地味子?
翌朝、目が覚めて一番に見たのは天井……じゃなくて、頭の中のウィンドウだった。
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クエスト:
『歪みを抱えた異性を一人見つけろ』
進行度:0/1
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「……夢じゃなかったか」
ため息をついた瞬間、枕元のぬいぐるみがもぞっと動いた。
灰色の狼――ウォルフが、片目だけ開けてこちらを見る。
「おはよう、レゾ製造マシーン」
「おはようの前に人権くれない?」
「権利が欲しければ義務を果たせ。今日から稼働だ」
そう言ってまた目を閉じる。
こいつ、朝に強いのか弱いのかよくわからない。
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午前中の必修講義。
大教室は、いつも通りのざわざわした空気に満ちていた。
席に着きながら、俺はなんとなく教室を見渡す。
真ん中あたりには、友達同士で固まっているグループ。
前の方には、やる気満々の真面目勢。
後ろには、ほぼ寝る気の人たち。
窓際の列、三つ前に白木百合香の後ろ姿が見えた。
いつも通り、静かにノートを出して、ボールペンを並べている。
それを見ただけで胸のあたりがちょっと騒ぐ。
(守るためには、まず別の子を――だもんな)
昨日の会話を思い出して、自分でもひどい構図だと思う。
『感傷は後回しだ。観察しろ』
頭の中で、ウォルフの声だけがはっきりとした。
机の上を見るふりをしながら、視線だけを動かす。
教室の隅、窓から一番遠い列。
そこに、一人で座っている女の子がいた。
地味……といえば地味だ。
肩までの黒髪はきちんと結ばれているのに、前髪だけ少し目にかかっている。
細いフレームの眼鏡。淡いグレーのカーディガン。猫背気味の姿勢。
顔は整っているけど、ファンデもほぼ塗ってないみたいで、目の下のクマがそのまま出ていた。
モニタにかじりつくみたいにノートを見つめて、ペンを握ったまま、ふっと肩が落ちる。
その瞬間――
彼女の周りの空気が、ちりっとノイズを走らせた。
黒でも赤でもない、画面に走る砂嵐みたいな揺らぎが、一瞬だけ。
「……今の、見えたか」
ウォルフの声が低くなる。
(あれが、“歪み”?)
「軽度だ。まだ表面がざらついている程度だがな。ああいう場所から、じわじわ広がっていく」
もう一度彼女を見る。
名前は……出席番号順の名簿を思い出す。
たしか――二階堂。二階堂しずく。
講義は始まったけれど、頭にはさっぱり入ってこなかった。
黒板の文字を写しながら、視界の端で何度も二階堂さんを追ってしまう。
彼女はずっと無言で、時々ノートの上でペンを止めては、苦いものを飲み込むみたいに唇を噛んでいた。
『言っておくが、見るだけではレゾは溜まらんぞ』
(知ってるよ……)
『第一章のサブヒロイン、悪くない選択だ』
(選んだ覚えないけど)
講義が終わるチャイムが鳴る。
周りの学生たちが一斉に席を立ち、教室から出ていく。
白木さんも、友達と二言三言交わして、すぐに姿が見えなくなった。
……二階堂しずくは、まだ席に座っていた。
ノートを閉じることもなく、ペンを指で回している。
今だろ。どう考えても今だろ。
『さあ、行け』
(簡単に言うな)
人生で、自分から女子に話しかけた回数なんて、片手で余る。
しかも今日は、「歪み」とか「レゾ」とかいう謎システム背負っての初手だ。
それでも、ここで何もしなかったら――昨日の“引き受けます”が嘘になる気がした。
椅子から立ち上がり、教室の隅まで歩いていく。
手汗がひどい。呼吸も浅い。
「……あの」
声を掛けた瞬間、自分の鼓動の音がやけにうるさくなった。
二階堂さんが、少しびくっと肩を揺らして振り向く。
近くで見ると、想像以上に顔色が悪い。
「えっと、二階堂さん、だよね」
「あ……うん。えっと、同じ、講義の……?」
向こうも戸惑っている。そりゃそうだ。
ここ数ヶ月、ろくに会話したことない男子に、いきなり話しかけられてるわけで。
「斗真。斗真慶太。あの、前のほうの席に……いる」
「……あ、ノート、きれいな字の人」
思わぬところで認識されていた。恥ずかしい。
「さっき、その……なんか、しんどそうだったから。体調悪いのかなって」
自分で言っておいて、あまりの不器用さに頭を抱えたくなる。
でも、二階堂さんは少しだけ目を丸くして、それから申し訳なさそうに笑った。
「顔に、出てた?」
「いや、その……ちょっとだけ」
「そっか。ごめん、変な心配させて」
彼女はノートを閉じて、胸の前で軽く抱える。
近くで見ると、指先が少し震えていた。
「貧血、とか?」
「そういうんじゃないから、大丈夫。……大丈夫って言うと大丈夫じゃないっぽいけど」
自分で言って、苦笑いする。
その笑い方が、無理してる感じで、逆に心配になる。
「でも、ありがとう。話しかけてくれる人、あんまりいないから」
その一言と同時に、視界の端で何かがきらっと光った。
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対象:二階堂しずく
歪みレベル:1 → 1(変化なし)
共鳴値:0 → 1
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レゾの数字が、ぴょこん、と1だけ増えた。
(……これで増えるのかよ)
『当たり前だ。“誰も声をかけてくれない”場所に、ひとつ線を引いた。立派なレゾだ』
ウォルフの声が、少しだけ満足げに聞こえた。
「もし、またしんどかったら、その……保健センター、一緒に行こうか」
言いながら、自分でも何を口走ってるんだと思う。
二階堂さんは、ほんの少しだけ目を見開いて、それからこくりと頷いた。
「……うん。そういう日が来たら、お願いするかも」
そのとき、彼女の後ろの空気に走っていたノイズが、わずかに薄くなった気がした。
クエストログの端に、新しい文字が浮かぶ。
【サブクエスト発生】
『二階堂しずくの話を聞け』
『一人目、ロックオンだな』
ウォルフの声は軽い。
でも俺の胸の中は、さっきまでより少しだけ重く、そして少しだけ温かかった。




