第2話 最悪なクエスト内容
本の上で立ち上がったそれは、どう見てもただのぬいぐるみだった。
銀色の毛並み、小さめの体、丸いガラス玉の目。ゲームセンターにぶら下がっていても違和感ないタイプ。
ただひとつ、おかしいのは――そいつの口が、勝手に動いたことだ。
「初対面だな、斗真慶太」
喉の奥に直接響くような低い声。ぬいぐるみの口元はほとんど動いてないのに、はっきり聞こえる。
「……は?」
俺は情けない声を出して、ベッドの上で尻もちをついた。
本がひっくり返り、その上にちょこんと狼のぬいぐるみが座り直す。
「落ち着け。悲鳴を上げていいのは女の子だけだ」
「いや男も上げさせろよ!?」
「ツッコミができるなら、まだ余裕はあるな」
ぬいぐるみは、小さく鼻を鳴らした。
ガラス玉みたいだった目に、月明かりが反射して一瞬だけ本物っぽく光る。
「名乗っておこう。俺の名はウォルフ。元・人狼の騎士だ。向こう側の世界から来た」
「……人狼?」
「狼にも人にもなれた、って意味だ。今はこのショボい器だがな」
ショボい言うな、その見た目で。
状況が理解できなさすぎて、頭のどこから処理すればいいのかわからない。
とりあえず、さっき出たステータスウィンドウをもう一度意識する。
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名前:斗真 慶太
年齢:20
状態:健康/非モテ
恋愛スキル:0
共鳴値:0
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出た。やっぱり幻覚じゃない。
ためしに「詳細」と心の中でつぶやくと、「恋愛スキル:0」の横に小さな注釈が出た。
《告白成功回数:0/デート回数:0/キス経験:0》
「おい、余計な情報増やすな」
「事実だろう?」
ウォルフが即答した。うるさい。
「……これ、お前がやってるのか?」
「正確には、この世界に“窓”を開くためのインターフェースだ。俺が貼り付けた。おまえの頭の中が一番空いてそうだったからな」
「ディスり混ぜるな」
混乱とイラつきで、逆に少し落ち着いてきた。
深呼吸を一回して、真正面からぬいぐるみを見る。
「じゃあまず、一個だけ整理させてくれ。
――これは夢じゃない?」
「違う」
「幻覚でもない?」
「違う」
「俺、そろそろヤバい病院に行った方がいいとかでもない?」
「それはこっちの専門外だが、少なくとも今見ているのは“現実の上に被さった別レイヤー”だ」
「ゲーム用語で言ってくれる?」
「チュートリアル中、ってことだ」
急にわかりやすくなった。
ウォルフは少しだけ体勢を変え、尻尾をとん、と本に当てた。
それに連動するように、ステータスウィンドウが書き換わる。
――――――――――
名前:斗真 慶太
年齢:20
状態:健康/非モテ
恋愛スキル:0
共鳴値:0
クエスト:
・白木百合香を守れ(NEW)
特性:
・レゾ生成体(詳細)
――――――――――
「……今、勝手に増えたよな」
「仕様だ」
俺は「レゾ生成体」のところをじっと見る。
意識を向けると、説明が浮かんだ。
《異性との“いい感じの時間”から、自動的に共鳴値を生成する体質/スキル》
「いやそんな体質いらねえよ」
「いる」
ウォルフはきっぱり言う。
「共鳴値は、“契約”のための燃料だ。おまえの世界で言うなら通貨だな。普通の人間は、人生でほんの少ししか発生させられない。だが、おまえはそれを意図的に稼げる」
「それが、俺の……固有スキル?」
「そう聞こえるほうが、おまえはやる気になるだろう?」
くやしいけど、ちょっとだけテンションが上がりかけた自分がいる。単純か。
「で、そのレゾってやつを集めて、何をすんのさ」
「悪魔と契約する」
あまりにも直球な単語が返ってきて、言葉が止まった。
「……悪魔?」
「この世界のシステムの裏側にいる連中だ。契約すれば、力を貸してくれる。条件はただひとつ――対価だ」
ウォルフは、短く指を鳴らすような仕草をした。
部屋の隅。壁と天井の境目あたりが、一瞬だけぐにゃりと歪んで見える。
さっき昼間、白木さんの本の上で見た“ノイズ”に似ている。でも、さっきより濃くて、はっきりしている。
「見えるか?」
「……あれが、何なんだ」
「“歪み”だ」
ウォルフの声が、少しだけ低くなる。
「人間の感情が擦り減った場所に、空間のズレが出る。放っておけば、あそこから“向こう側”のものがにじみ出てくる」
「さっき図書室でも、ちょっとだけ……」
「だろうな。あそこは溜まる。疲れと焦りと眠気がな」
冗談みたいな説明なのに、変に納得してしまう。
「問題は、その“歪み”が、ある特定の人間を追いかけはじめていることだ」
「特定の……人間?」
嫌な予感しかしないフレーズだった。
ウォルフははっきりと言う。
「白木百合香。おまえの好きな子だ」
心臓が一回、変な跳ね方をした。
「彼女は、こちらに転生した“鍵”だ。向こう側と世界をつなぐ扉にも、餌にもなる。あっちの連中は、彼女を見つけようとしている」
「だから、守れって?」
「そうだ」
ウォルフは、ゆっくりとうなずく。
「そのための条件がひとつ。おまえは、複数の異性から“いい感じ”をもらい、“共鳴値”を稼がなければならない。レゾを対価に悪魔と契約し、その力で歪みを潰し、向こうの連中を叩き返す」
「……まとめると」
自分で言いながら、頭が痛くなってくる。
「好きな子を守りたかったら、まず別の女の子たちと仲良くなって、いい雰囲気作って、ポイント稼いで、悪魔と契約しろってこと?」
「そうだ」
一ミリの迷いもなく肯定された。
「最低かよ、そのクエスト内容」
「最低だ。だが、他に効率のいい方法はない」
ウォルフは、はっきりと言い切った。
「言っておくが、これは“選ばれし勇者”の物語ではない。おまえはただの大学生だ。だからこそ、“こちら側のルール”で動ける。講義、サークル、バイト、飲み会、合コン。舞台はいくらでもある」
「合コン前提で話進めるな」
「嫌なら、今ここで全部忘れて布団をかぶれ」
ウォルフは、少しだけ視線をそらした。
「ただし、その場合でも歪みは広がる。白木も、そのうちどこかで巻き込まれる。おまえが知らないところで、な」
さっき見た、図書室のノイズ。
白木さんの笑った顔。
ベッドの上で震えていた自分の手。
全部が頭の中でぐしゃぐしゃに混じりながらも、ひとつだけはっきりと浮かぶ。
――いやだな、それは。
「……ひとまず、聞くだけ聞く」
小さく息を吐いて、言った。
「どうすればいいか、具体的に。何から始めればいいのか」
「そうこなくては」
ウォルフは、少しだけ口元を吊り上げた。
ガラス玉だったはずの目が、ほんの一瞬だけ、狩人のそれに変わる。
「まずは、レゾ稼ぎの初歩だ。明日、大学で一人――“歪み”を抱えた相手を見つけろ。属性は問わん。地味系でも、地雷系でも、ギャルでもいい」
「選択肢ひどくない?」
「おまえの世界で言うところの、第一章のサブヒロインだ」
ステータスウィンドウの端に、小さく文字が浮かぶ。
【クエスト更新】
『歪みを抱えた異性を一人見つけろ』
自分の人生に、初めて「クエストログ」なんてものができてしまった。
最低で、最悪で、でも少しだけワクワクするチュートリアルが、こうして始まった。




