第1話 図書館で人狼騎士と出会った件
「好きな子を守りたければ──まず、別の女を攻略しろ」
そのセリフを聞いたとき、俺は本気でこの世界の神を殴りたいと思った。
◇
俺、斗真慶太。大学二年。
彼女いない歴=年齢、告白歴=黒歴史一件。サークルもバイトも中途半端で、唯一ちゃんと続いているのは「講義サボって図書室にいること」くらいだ。
その図書室には、たまにだけど、同じ場所にいる女の子がいる。
白木百合香。
同じ学部、同じ学年。
いつも窓側の席で、分厚い本を抱えて座っている。ロングヘアをゆるく結んでいて、前髪の隙間から落ちる視線が本にすっと吸い込まれていく感じが、なんか好きだ。
別に特別美人ってわけじゃない。派手でもない。
でも、ページをめくる指先とか、行を目でなぞるときのまぶたとか、そういう細かいところがいちいち丁寧で、目が離せなくなる。
今日も、なんとなく同じ時間に図書室へ行ったら、やっぱり彼女はいた。
「……あ」
目が合った。
一瞬だけ、白木さんのまつげが揺れる。すぐに、ふっと小さく笑って会釈された。
「斗真くん、だよね。昨日ぶり」
「う、うん。昨日ぶり」
昨日、レポートの参考図書の場所をちょっとだけ教えただけなのに、ちゃんと名前を覚えてくれていた。それだけで、今日一日の経験値バーが一気に伸びた気がする。
「今日も、課題?」
「半分は。半分は現実逃避」
「正直でよろしい」
白木さんは肩をすくめて笑うと、抱えていた本の表紙をこちらに向けた。
「これ、返す前にもう一回読みたくて」
洋書。黒い装丁に、銀色の文字でよくわからないタイトル。
その下に、小さく日本語で「術式と契約の基礎」と書かれている。
「なんか、厨二くさい本読んでるなって思った?」
「い、いや、そういうわけじゃ」
「大丈夫。思っていいよ。自分でも思ってるから」
くす、と口元だけで笑ってから、続ける。
「中身は意外とまじめなんだよ。昔の魔術師が“契約”とか“代償”とかをどう考えてたか、宗教学寄りの本。……まあ、章のタイトルはだいぶ中二だけどね」
ぱら、とページがめくられる。
そこに、見慣れない図形が並んでいた。円と線と文字で描かれた、よくある“魔法陣”的なやつ。
そのときだった。
ページの余白の上に、ふっと黒い「ノイズ」みたいなものが滲んだ。
テレビの砂嵐を一滴こぼしたみたいな、ざらついた黒。
本の上にだけ、そこだけ、現実の解像度が乱れたみたいに見える。
「……え?」
思わず目をこする。
もう一度見たときには、そこには何もなかった。さっきと同じ、ただの紙とインクだけ。
「どうかした?」
「い、いや。目がチカチカしただけ」
変なことは言えなかった。
自分でも、何を見たのかよくわからない。
白木さんは首をかしげてから、そっと本を閉じた。
「この本、今日で返却なんだ。もう一回ちゃんと読み直したかったけど、さすがに延長は怒られそうで」
「人気あるの?」
「ゼミで何人か回し読みしてるからね。……よかったら、先に読む?」
差し出された本に、一瞬だけ固まる。
「お、俺が?」
「うん。斗真くん、こういうの好きそうだし」
図星すぎて何も言えない。
代わりに、両手で本を受け取る。思ったより重たい。中身が詰まっている感じがする。
「ありがとう。じゃあ、ちゃんと読みます」
「変な呪いとかかかってないといいね」
冗談めかして、白木さんはそう言った。
その横顔は本当に冗談っぽく笑っていて、俺もつられて笑う。
まさか、その一言がほぼ正解だなんて、このときの誰も知らない。
◇ ◇ ◇
その夜。
アパートの自室のベッドに寝転びながら、昼間預かった本を開いた。
「術式と契約の基礎」
表紙を指でなぞると、図書館のラベルとは別に、どこかの誰かが書いたっぽい小さなサインがあった。読めない崩し字で、何かが書いてある。
「……やっぱ厨二感すごいな」
ぼそっと独り言をこぼしてから、ページをめくる。
序文、歴史、宗教観。想像してたより真面目で、眠くなるタイプの活字だ。
数ページ読み進めたところで、不意に視界の端がチカッと光った。
「……ん?」
本じゃない。
目の前――正確には、自分の視界の真ん中あたりに、薄く半透明のウィンドウが浮かんでいた。
RPGのステータス画面を、限界までシンプルにしたみたいなやつ。
――――――――――
名前:斗真 慶太
年齢:20
状態:健康/非モテ
恋愛スキル:0
共鳴値:0
――――――――――
「は?」
思わず声が出た。
瞬きしても消えない。スマホの通知でも、部屋のどこかの映り込みでもない。明らかに“ありえないもの”が、当たり前みたいな顔をして浮かんでいる。
さらに、一行が追加された。
【新規クエストが発生しました】
『対象:白木百合香を守れ』
条件:複数の異性との“共鳴値”を獲得すること
数秒遅れて、脳が意味を理解した。
「……好きな子を守りたかったら、まず別の子を口説けってこと?」
誰に聞かせるでもなくつぶやいた瞬間、
どこからか、低い笑い声がした。
喉の奥に直接届くみたいな、銀色の声。
「ようやく、窓が開いたか。ようこそ、契約候補者」
その声と同時に、本のページの上に、影が落ちた。
小さな狼のぬいぐるみみたいなシルエットが、紙の上からゆっくりと立ち上がる。
この夜から、俺の現実は、派手にバグりはじめた。




