クロス・チェック
薄曇りの空。午後の微光が庁舎の窓を鈍く濁していた。
ゼロ課、地下分析室。
高城誠は、黙ってスクリーンに映る文字列を見つめていた。
「……“任務”だと?」
背後からの問いに応じたのは、南の壁際に立つ真鍋隼人だった。机上には、矢吹から提出された聴取報告書。
手書きの走り書きと音声記録のタイムコードが、いくつか赤で囲まれている。
「ええ。マティアスは、最後にはそう言ったらしい。“私の任務は完了した”……と。」
「亡命者の言葉にしては、ずいぶん歯切れが良すぎる。」
「しかも直前のやりとりも、妙に食い違ってるんですよ」
沢渡圭吾がデータターミナルに視線を落としながら応じる。
手元には、ヴェルカスタン側の軍制改編に関する未公開資料。沢渡自身が独自にスクレイピングして入手した断片群が解析中だ。
「彼が挙げた“知っている部隊名”とやら……確かに存在していた。でも、それは昨年度で廃止された。改編計画も、実行日も、こちらの独自ルートで突き合わせた。誤りはない」
「そして、彼はそのことを“知らなかった”。」
真鍋の言葉に、室内に微かな沈黙が落ちる。
矛盾は、そこにある。
「普通、ありえないよな」
高城が呟いた。「彼は情報局の出身だったんだろう? つまり、軍制改編を事後で知らされない立場ではなかったはずだ」
沢渡が頷き、ひとつの仮説を口にする。
「意図的に、“更新されていない情報”を掴まされた――って線ですね。情報の供給者が、マティアスに正しいアップデートを渡していなかった。……あるいは彼自身が、更新の必要性に気づかないほど、長く“表舞台”から外されていたか」
「後者なら、スパイというより“使い捨ての捨て駒”だな」
「ですね」
高城が椅子にもたれ、両手を組む。
「問題は……“誰が”彼にそれを仕掛けたのか、だ」
部屋の空気がわずかに変わる。
声を発したのは、それまで口を閉ざしていた篠原結衣だった。
彼女は壁際のボードに張られた相関図を見つめていた。
「ゼロ課の記録では、“彼の亡命”が事前に漏れた形跡はない。だから、表向きは『自発的な越境』という建前が守られていた……けれど」
「けれど?」
「彼の発言に沿えば、日本の部隊構成や名称の“かなり深い部分”まで、把握していた節がある。どこで知ったのか、本人は曖昧なままだけど――少なくとも、それは“こちらに来る前”の知識だったはず」
「つまり」
高城が言った。「亡命の“意志”が生まれる以前から、日本側の構造に何らかの関心が注がれていた可能性がある、か」
「はい。しかもその情報は、部分的に“古い”。」
篠原の指先が、ボードの一角に触れる。
そこにはヴェルカスタンで過去に報告された非公式部隊の記録と、日本国内の過去事例が並べて貼られていた。
「この部隊名」
彼女はある一行を示した。
《Special Operation Group – Purple Rabbits》
「マティアスが言及した名称と一致する……ただし、公式記録には残っていない。あくまで非公開の作戦群の一部として、ログの片隅に引っかかっただけ」
沢渡が補足する。
「しかも妙な点がある。“パープル・ラビッツ”は、実際には五年前に解体されたとされてる。でも、その情報が収められていたデータベースの一部に、“最近”のアクセスログがあった」
「誰が、何のために?」
「わかりません。ただ、ファイルの一部が暗号化され直していた。しかも、プロトコルは“今の連携機関では使われていない”形式です」
高城がわずかに眉を寄せる。
「旧式のプロトコルで、誰かが封印し直した……?」
「ええ。そして、その作業は“国内”のノードから実行されていた可能性が高いです」
分析室に、ひとつの重い沈黙が落ちる。
矢吹が入室してきた。報告書の更新版を手にしている。
「……マティアスが最後に言った言葉、“任務は完了した”という件だけど」
と、彼は篠原に視線を送る。
「その時の彼、咬筋に強い反応があったの。言葉を“正しく選んだ”兆候――通常の緊張とは明らかに違ってた」
「抑圧じゃないのか?」
「いえ、“上書きされた記憶”のパターンに近い。生体反応は、むしろ安定していた。“そこに迷いがない”ことを示していた」
沢渡が言う。
「そして彼が挙げたコードネーム、“P.R-09”……過去、日本でも一度だけ出現してます。ある不正通信のログ内。事件は迷宮入りでしたが、唯一の痕跡がこの文字列だった」
「紫の兎、09番……?」
「おそらく、“パープル・ラビッツ”という部隊内での個体識別番号。つまり、彼はそのときから既に“タグ付け”されていた存在だった」
高城が静かに言う。
「亡命の意志は……本当に自発的だったのか?」
篠原が頷く。
「むしろ、こちらへ来ることすら“設計された経路”だった可能性がある。本人の言動にはいくつか一貫性があるけど、“知っていたはずの情報”だけが、なぜか不自然に抜けている」
「記憶の“削除”じゃなく、“選択的な留保”か」
真鍋が低く呟く。
「つまり、誰かが……“彼に持たせる情報”を選んで送り出した」
「その目的は?」
「わからない」
高城は言った。「だが少なくとも、“彼が握っていた情報の欠落”と“ここに来た経路”は無関係じゃない。Purple Rabbitsに何があったのか――それを辿る必要がある」
誰もが、スクリーンに浮かび上がるそのコードネームを見つめた。
滲むように表示される、不自然なログとプロトコルの痕跡。
過去のどこかで断ち切られ、再び現れた名。
《Purple Rabbits》
亡霊のようなその影は、依然として現在に痕跡を残していた。
(続く)




