アンダー・ザ・マスク
コンクリートの壁が反響するほどの静寂が、また戻っていた。
矢吹はマティアスの目を見据えたまま、わずかに視線を落とし、資料の一枚をゆっくりと指先でめくる。
「では次に、あなたが保有しているという“ヤグリェン計画”の内部情報について伺います」
マティアスは姿勢を崩さないまま、矢吹の声の抑揚を慎重に聞いていた。
その返答は、いつも通り丁寧で、慎重だった。
「当初のコードネームは“プロジェクト・アニマ”。約五年前、国防省直属の研究班が設立され、私が軍の技術監査役として関与しました」
「その研究内容は?」
「人間の認知介入技術――軍事的には“意志干渉”と表現されていました。要するに、敵部隊の戦意を損なう、あるいは限定的に従属させる……そういった研究です」
一瞬、矢吹の眉がわずかに動いた。だが彼は即座に表情を戻し、問いを重ねた。
「その実験は、実際に行われていた?」
「はい。被験者は主に……志願した受刑者や、失踪者の中から補足された人物でした」
――冷静すぎる。
矢吹の胸に、ふと微かな疑問が芽生える。
「この情報は、相手が本当に実体験を語っているのか? それとも、用意された“脚本”なのか?」
矢吹は資料に目を落としつつ、手元のペンで何かを走り書きするフリをして、一瞬だけマティアスの指先に目をやる。
細く動いたその指の仕草は、どこかぎこちない――“訓練された演技”のようにすら見えた。
「あなたは、その計画が中止されたと証言していますね」
「はい。公式には三年前に凍結されました。ただ、私は……信じていません。あれだけの予算が、途中で無かったことにされるわけがない」
「なぜ、あなたはそのとき軍を辞めなかった?」
「……辞める理由がなかった。少なくとも“その時点では”」
わずかに遅れた応答。
矢吹は小さく頷いたが、胸の中では別の疑念が形になり始めていた。
(――なにかが、噛み合っていない)
矢吹はマティアスの返答を聞きながら、内心で何かが引っかかっていた。
(……話は通っている。言葉にも破綻はない。だが、どこか噛み合っていない)
内容ではない。もっと根本的な“感触”のようなものだった。
マティアスは過去の階級、関係性、軍内部の変化に至るまで、細かく言葉を選んで語っている。その様子は、まるで何かを「証明」しようとしているかのようだった。
「マカロフ少将の死は――あなたにとって、どういう意味を持ちましたか?」
矢吹が何気なくそう問いかけると、マティアスはわずかに口元を引き、淡々と応えた。
「彼は、信念に殉じた軍人でした。私のような人間が語るべきことではないかもしれません」
一見、整った答え。しかし、その一言の“揺れなさ”こそが矢吹の胸に違和感を残した。
(言葉に「間」がない……痛みの実感がない)
経験からくる違和感――まるで事前に用意された台詞を、躊躇なく演じているような受け答え。
矢吹は改めて、彼の目を見る。
揺れていない。曇っていない。だが――見ている先が、少しだけ焦点を外しているような。
その瞬間、矢吹の脳裏に一瞬だけよぎる。
(……この男、何かを隠している)
だが、今はそれ以上を掴むことはできない。まだ証拠も、確信もない。
「……続けましょう。あなたが接触したという技術者の名前、正確にお願いします」
一歩引いて、次の問いを投げる。
矢吹の思考は、音もなく静かに、深く潜っていった。
(続く)




