フェイク・トレイル
薄曇りの午後。ゼロ隊本部、戦術分析室。
篠原結衣が端末に向かい、照合プログラムの進捗バーを静かに見つめている。
「──出たわ。やっぱりこの“ミナト”って名前、正式な登録記録には存在しない」
「じゃあ、コードネームか仮名ってことか?」
真鍋が腕を組んで覗き込む。
「コードネームすら怪しい。“ミナト”という名は一部の廃棄ログに断片的にしか現れない。けど……蓮見水奈。彼女の経歴とクロス・チェックをかけると、特定の時期にだけこのミナトという識別名が並走してる」
篠原の指が止まり、1枚の古い記録を表示する。
蓮見水奈(Hasumi Mina)
・1994年生まれ
・旧通産省系プロジェクトに技術協力
・2017年以降、記録途絶
・失踪扱いとなるが、正式な死亡認定は未発行
「いわば“データ上は死んでいない人間”。記録上の幽霊」
高城と沢渡が背後から資料を覗き込む。
「H-04の試作段階にいた技術協力者か……それが人格化されて残されたとすれば」
「まだ、“中にいる”かもしれないってわけだな」
矢吹が静かに加わる。先の取り調べ後、短時間の休息を取っていたようだが、その目はすでに現場に戻っていた。
「……彼女が何を知っていたかはわからない。でも、問題はその“記憶”が誰かに利用されてる可能性があることだ」
「篠原、過去の国内アクセスログと、マティアスが示した国外からの異常ログを突合して」
「やってる。……あった、一致するIP経路。匿名プロクシ経由だけど、跳ねてるホストの一つが“霞が関”だわ」
隊員たちの間に一瞬、沈黙が走る。
「外務省か?」
「わからない。でも、ある種の“身柄保全”が行われた可能性はある」
「そして、今また誰かがそれを掘り起こそうとしてる」
沢渡が、ゆっくりと座る。「“蓮見水奈”──彼女が消えた2017年、霞が関の旧通産系部局でシステム障害が頻発してた。調査報告では“外部干渉の兆候なし”とされていたが……今見ると、逆に“内部的な隠蔽”があったように読める」
「水奈は、そのときすでに“保護”されていた……というより、“封印”された可能性があるわけね」
篠原の声が硬くなる。
「それに」矢吹が言う。「マティアスの供述。“中には声がある。女の声だ”……あれ、比喩じゃなかったかもしれん」
「人格データの再構築か、あるいは技術的に抽出された知識の模倣……いずれにしても、彼女がキーだ」
高城が静かに結論づけた。
篠原が端末の別画面を呼び出す。「この“蓮見水奈”と、“ミナト”という識別名が最も密接に結びついていたのは2015年から2017年。その間、彼女は極秘プロジェクト“ARCH-IV”に関与していた記録がある。“拡張型情報収容体”──巨大な記憶保管装置の試作プログラムよ」
真鍋が息を呑んだ。「それが、H-04の中核技術ってわけか……」
「ありうる」沢渡が短く言う。「当時のプロジェクト資料が一部残ってる。“選択的記録保存”──つまり、“未来に必要な記憶だけを残す”思想。それを実現するには、かなり偏った倫理判断が求められる」
「その技術のプロトタイプを、水奈が設計した」
矢吹の声には、かすかな苛立ちが滲む。
高城が低く言う。「そして今、何者かがそれを再起動させた。幽霊を宿したままの構造体を、動かそうとしている」
一瞬、静寂が落ちる。
「篠原。ログの経路をさらに洗え。“霞が関”を通った後の経路に、国内の別ルートがないか。間接経由でもいい。民間や大学回線でもいいから、痕跡を追って」
「了解。こっちは沢渡と連携する」
「真鍋は、2017年当時の関係者リストを洗ってくれ。“ARCH-IV”に関わった人物の現在地。可能なら非公開人事の照会もかけろ」
「やってみる」
矢吹が一歩前に出た。「俺は再びマティアスの取り調べに入る。“ミナト”の正体について、今度ははっきり聞く」
高城が頷く。「動いてくれ。向こうが手を伸ばした以上、こちらも先に掴まなければならない」
ゼロ隊の戦術分析室に、再び静寂が戻る。だがその沈黙の奥には、探知すべき過去の残響と、未来に向けた不穏な気配が、確かに蠢いていた。
(続く)




