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花束  作者: 辰井圭斗
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cmd/c-rd/s/q-c:\ 走馬灯

「雨ですね」

 窓を水滴が流れていく。注文したコーヒーのカップに手をあてる。喫茶店、窓際で向かい合って外を見ている。

「覚えていらっしゃいますか、ここのこと。一面雪景色になっている葬儀場の駐車場とどちらにしようか迷いました。もちろん始まりでいけばあちらなのだけど、何となく、こっちもいいかと思いました」

 私はあなたには喋らせない。あなたに喋らせるのは不敬だからだ。だから、これは全て私のセリフ。

「今、この作品は30人くらいに読まれてます。そうは見えないでしょう笑。あなたなら多分容易に想像してくれると思いますが、まあ色々と醜いことを考えるわけです。私はみんなの前でいくらでも苦しんで見せることができる。いくらでも怨嗟を叫んで、自分を切り刻んで見せることができる。でもね」

「やっぱり私は美しくありたかった。美しいものを書きたかった。だから、もういいのです。これから私は私の走馬灯をあなたにだけ見せます。少し目を瞑ってくれますか」



 葬儀会館の外に出ると、本来駐車場であったはずの所一面に雪が降り積もっていた。その数日の雪は勢いを弱め、ただ静かに降り続いていた。玄関から一歩踏み出すと、僕の足は膝まで埋まった。そのまま歩き出し、やがて僕のズボンには黒いシミが広がっていったが気にはしなかった。駐車場には随分前から停めてあったのだろう、一台の黒い車があった。僕は葬儀会館から見えないようにその車の陰まで歩いて行って、雪の上に座った。

 一人だった。

 僕はとにかく色々なものを喪失していた。差し当たって、病気で失われたものばかりが頭を占めていたし、そもそも最初から持っていないものも多かった。その時持っていたのは、手の中で小さく光る、「文字という僕ら最大最後の魔法」だけだった。



 線路を踏み越え公園の奥へ。雪に包まれた公園に人はいない。開けた場所まで行って、雪の上に横になった。冷たい水分の匂いがする。このままこうしていたら死ぬだろうか。死ぬだろう。けれど、どこか、自分は寒さに耐え切れずに立ち上がるだろうという気がしていた。京都でも死ねなかった。そして青森に帰って来た。

 自分はどこに行くのだろうか。

 どこにも。どこにも行けなかったのだ。僕はそのことを知っていただろうか。半ば知っていたから、死にたかったのだし、半ば知らなかったから、僕は僕の人生の物語を書いた。

 必ず膝をつく、必ずその手はまたナイフを握る、お前がここから抜け出すことは無い。と綴った呪詛がいつか僕に追い付くことを僕は知っていたが、僕はそれでも信じていたのだ。――何を? ありもしないものがある、ということを。



 だがふと最後に自分の小説を見てみようという気になった。編集画面から自分がこれまで書いてきた小説の一覧を見る。よくもまあ、これだけごみのような小説を書いてきたものだ。しかも最近ではこれよりもひどい小説しか書けていないではないか。自分の小説を見ても自分自身に愛想が尽きこそすれ、何か希望を見出すようなことはなかった。自分と同様にこれらの小説も不要のものだった。

 消そうと思った。お片付けは全うしなければならない。ところが削除メニューを開いたところで手が止まった。pv数が見えたのだ。四部構成の小説に4pv。一気読みだと思った。この星のどこかに自分の小説を一気読みした人間が一人いる。天涯孤独な自分と誰か一人が自分の小説を通じてつながった。

 いや、関係あるものかと思った。もう自分には読者もpvも関係が無い。やはり消そうと思って「削除」をタップする。すると確認画面が出た。これは取り返しがつかないがいいのかと。二、三秒躊躇ってOKをタップした。小説は消えた。

 驚いたことに、次の瞬間自分は苦悶の声をあげた。なにか心臓の中身をごっそり持って行かれたような気がする。これを自分はこれからごみ小説の数だけやる。「本当にやるのか?」と思った。意外過ぎた。自分にここまで惜しいものがあるとは。

 包丁を畳の上に置くと、うずくまって涙を流した。自分が死ぬとはこれまでの小説とこれからの小説を殺すということで、それを今これだけのことで涙を流す自分ができるのかと言えば、答はNOに近かった。

 嘘だ。小説だ。自分には自分が書いたものが信じられなかった。本当は、自分が実際にやるならばこうはならないのではないかと思っていた。でも、きっと、書きながら信じようとしていた。



 花畑が燃えている。あのコスモスを植えたのは君。あのすみれを植えたのも君。あのスズランを、あの金木犀を、ここに咲いた、ここに咲く、ここに咲くはずの花を植えたのは君。そしてそれに火をつけたのも君。君は君の心の中の地獄を外に解き放たんことを願い、君が手塩にかけた花畑にガソリンをまいた。

 ――君は、驚くだろう。君の書いたものが、時に歪みながら時に食い違いながら、君の未来をかなりの精度で克明に描いているということに。君は「宿命と闘いの物語」を書いているのだとよく言っていた。「宿命と闘う物語」ではなく「宿命と闘いの物語」。宿命は変えられない。君は、それが、君の物語であることも知っていたが、それほどまでに君自身の宿命を綴っているとは知らなかった。それとも、君は君の書いたものに引きずられただけなのだろうか。



 この瞬間血の一滴、涙の一滴も流さない私の心情は分かってもらわなければならないのです。

 夕暮れの電車の中人はいません。窓の外には大きな河が見えて、水面がオレンジの光を反射しています。河にかかる橋の鉄骨が電車の中にまで影を伸ばして横向きの赤い座席に座る私の身体を次々に横切っていきます。河の下流の方で太陽が最後の輝きを見せています。あれは沈みません。ずっと沈みません。この電車が河を渡り切ることが無いのと同様に。

 所在なく、私は立ち上がって別の車両に移動しようと、そうすれば他に人がいるかもしれないと、車両同士を繋ぐ扉に手をかけて左から右へスライドさせて――

 病院にいました。閉鎖病棟です。

 私はそこで「当然の理屈として死ななければならない」と言った私の言葉が全く理解されなかったのを思い出します。この瞬間血の一滴、涙の一滴も流さない私の心情が理解される日など来ない。そのことを痛切に寂しく思います。そうでしかあれなかったのです。美しくはないと思いながら。

 果て無く続く円環の中で。「僕ら最大最後の魔法」は。自分の死体からとった血で描いた絵は喋らない。合理的な最適解が「私」の死であることを認識しながら動けない私のポケットには、ずっとナイフが入っている。でも。けれど。



 これが、光だよ。



 なぜ私は、最後に負けたと書かないのでしょう。なぜ、ありもしない希望がまだあるように書くのでしょう。なぜ、肝心な時になると、思いに反して、この手は「小説」を書くのでしょう。答はここに至ってとても簡単であるように思えます。

 それが美しいから。

 走馬灯はここまでです。


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