第七章
これは、光輝にカラオケアプリを教えた後の、翔太のお話。
翔太は帰って行った光輝の後ろ姿を、嬉しそうに見ていた。
「なにニヤついてんの?翔太」
「沙奈か」
「やっほー。光輝がどうかした?」
沙奈は嬉しそうな翔太を見て再び聞いた。
「雅と会う前の光輝を覚えてるか?」
「もちろん。人のためにも、自分のためにも何かしようなんてせずに、なにかを諦めてたよね」
「そんなあいつが、雅のために何かしようと悩んでたんだよ」
沙奈は翔太が嬉しそうにしていた理由が分かり、その話を聞いて自分も嬉しくなったのか、笑みがこぼれていた。
二人は光輝のことを大切に思っており、いい方向に変わっているのが嬉しいのだろう。
「この先、きっと光輝は辛い思いをするよね。雅ちゃん、生きれる可能性低いから」
「そうだな。あいつが自分の気持ちを自覚しているとは到底思えないけど」
「自分のこと何も分かっててないもんね」
二人は全く同じことを思っていた。
光輝がまた、昔のように笑ってくれますようにと。
◇◆◇
「で、プリクラだっけ?」
「うん。現像できなくていいけど、写真が撮りたいの。猫耳つけたりできるって聞いたし」
そういえば、沙奈が中学生の時にマジカルカメラとか言うアプリを勧めてきたな。
確か、フィルターによってカメラに写った人に猫耳を生やしたり、顔を入れ替えたりできたはず。
俺はスマホで調べた。
「……こういうのでいいわけ?」
アプリの説明画面を雅に見せると、目を輝かせて雅は頷いた。
プリクラは撮ったことないけど、本人がいいって言うならいいか。
「一緒に撮ろ!」
「断る」
「即答ってひどくない?こういうのはみんなでとるもんなんだよ。ほら、寄って寄って!」
俺は雅に腕を引っ張られて、渋々ベットの隅に座った。
アプリのカメラ設定を内カメラにして、点滴が刺さっていない方の腕を伸ばした。
カメラに映る俺の顔には猫耳がついている。
「撮るよ〜?はい、チーズ」
カメラがシャッター音を立てた。
はい、チーズって古くね?
そう思ったけど声には出さなかった。
俺の感覚がおかしいだけかもしれないから。
「見てみて〜!光輝くん、すごい仏頂面〜」
「悪かったな、表情が乏しくて」
「そんなこと言ってないよ〜」
そんなこと言ってないだあ?
仏頂面って無愛想とか、不機嫌とかの意味がある。
一体何が違うんだよ。
「光輝くん」
「何だよ」
「楽しい?」
「…………知るかよ」
俺は顔を背けて言った。
ガラにもなく少し楽しいと思ってしまったことは、雅には築かれてないといいな。
最近俺はおかしい。
雅の満足した顔を見ると、嬉しいと思うようになっている。
それだけじゃない。
翔太や沙奈といた時、前は感じなかったのに、楽しいと思うようになった。
「他、何をやりたいんだっけ?」
「花火見たい!」
「花火?だいぶ先だぞ?それに――」
お前はその時にはもう死んでるかもしれないのに。
そう言いかけて止めた。
流石に不謹慎すぎると思ったからだ。
雅はそれを察したのか、切なそうに笑った。
そして、静かに窓の外を見た。
「生きていたら、連れて行ってね」
「……バカ言え、病院に怒られるっての」
「確かに」
雅は笑った。
この時の俺は気づかなかった。
こんななんでもない日が、いつか大事な日になるということを。
◇◆◇
俺は家に帰って、家族で晩飯を食べていた。
会話もしない、ただ飯を食べるだけ。
「……最近、雅ちゃんのお見舞いに行ってるみたいね」
母親が口を開いた。
だからなんだというのか。
俺は手を止めずに頷いた。
「変なことしてないでしょうね?」
「変なこと?俺は母さんにそう思われるようなことを何かした?」
「したでしょう!」
母親が机に手をついて立ち上がった。
飯の時間くらい静かにできないのか。
義父は止めないし、何も言わない。
「いつ何をした?言えよ」
「こ、この間雅ちゃんが教室で倒れたやつ……」
「はあ、先生から何も聞いてねぇのかよ。俺の教室に来て、あいつの感情が昂ったかは倒れたんだよ。それ以上でもそれ以下でもないだろ」
「…………あんたはいつだってそうよね……。合理的で、人の感情を全く知らないみたいな顔して……。あの人が死んだ時だって!」
「やめないか」
黙っていた義父が口を開いた。
今更何を言うつもりなのか。
ずっと黙り込んでいたのに。
「光輝にだって理由があったんだろう。人の心を勝手に決めるのは良くない」
「何?急に父親ヅラ?別にいらないから」
俺は冷たく言い放った。
母親が何か言いたそうにしたけど、義父が静止した。
「光輝、雅から色々聞いたよ。あの子に構ってくれてありがとう」
「…………」
「楽しそうにしている雅、久しぶりに見た」
「……俺は役割を押し付けられただけ。あいつが楽しかろうが別にどうでもいい」
「光輝っ!」
母親が睨みつけてきた。
けど、俺はなんとも思わない。
父親が死んでからはずっとこんな感じだから。
「いいんだ。それでも、君が雅に楽しみを作ってくれていることは分かっているから」
雅に似て温厚だ。
いや、あいつは温厚じゃないか。
父親が温厚ならば、あいつの母親はあいつに似てジャジャ馬だったのかもしれない。
あれ?
あいつの母親はなんでいないんだ?
そんな疑問が生まれた。
けど、義父に訊くのはなんだか気が引ける。
雅に訊いてみよう。
「あの子から、病気のことは聞いたかい?」
俺は頷いた。
すると、義父が「そうか」と切なそうに言った。
義父も辛いのだろう。
余命半年の娘を持って。
気まずい空気が流れる。
「ごちそうさま」
俺は立ち上がって、部屋に戻ろうとした。
しかし、腹に違和感を覚えてトイレに行った。
腹を下したわけでもないのに、変な感じがした。
気のせいかもと思って、手を洗って階段の方に行くと、義父と母が話す声が聞こえてきた。
「やっぱり、雅ちゃんと光輝は関わらせるべきではないと思うの」
母の声だ。
やっぱりそう思ってたんだな。
知ってたよ。
そう思ってることだって。
「なぜそう思う?」
「あの子、きっと雅ちゃんが亡くなっても悲しまないわ。そんなの不憫よ」
「悲しむか悲しまないか分かるのか?」
「ええ。涙を流すかどうかで分かるでしょう?」
母が返事をした。
「……君は何も分かってないね」
「え?」
「涙を流さなければ、悲しんでないと?」
「ええ、そう思っているわ」
「では、俺は薄情者だな。愛する妻が死んだ時、俺は泣かなかったから」
え……?
死んだ……?
雅の母が……?
どういうことだ?
「あ……。いや、そういうことじゃ……」
「俺は妻に泣かないでくれって言われたんだ。……もしかしたら光輝にも何か理由があったんじゃないか?」
「…………」
「少し光輝にも寄り添ってあげてくれ。君にとっては、夫にどんどん似ていく光輝をみていられないかもしれない。でも、向き合わない理由にはならない」
これ以上は聞きたくない。
そう思って、俺は静かに階段を登って部屋に戻った。
そして、机に置いてある家族写真を手に取った。
「…………父さん……」
部屋の薄暗い明かりが、写真を照らす。
そこには、昔の俺と父親、母さんが写ってる。
まだ雅がうちに来る前。
父さんが死ぬ前の、笑顔の三人。
父親の顔はぼんやりとしか思い出せないのに、写真の中の笑顔は妙に鮮明だ。
一日が終わるたびに、父の記憶がおぼろげになっていくのを感じる。
ずっとずっと、幼い頃からわからない。
俺は机に写真を戻して、本棚から何冊か本を取り出した。
調べても調べても、俺が泣けなかった理由が分からないんだ。