第五章
――半年後
あれから、沙奈はよく義妹と行動するようになり、冬が来た。
なぜかあいつは、3学期に入ってからずっと入院している。
沙奈は毎日のように見舞いに行っているようだが、俺は一度も行かなかった。
顔を合わせれば口論ばかり。
最近は全く顔を合わせてない。
ある日、沙奈が俺のところに来た。
「雅が光輝に会いたいって」
「…………嫌なんだけど」
「行ってあげな」
「…………」
正直、あいつに自ら会いに行く気にはなれない。
俺は仕方なく義妹に会いに行くことにした。
沙奈は用事があるらしく、俺だけで行く。
気が重い。
◇◆◇
俺は受付で名前を書いて、義妹の部屋に行った。
ノックすると、明るい声で返事が返ってきた。
ドアを開けて中に入ると、点滴中の義妹がベッドに横たわっていた。
顔色が悪いな。
久しぶりに会ったけど、顔色が悪く、体調が良くないことは一目瞭然だった。
俺は椅子に座った。
「何か用?」
「うん、そろそろ話がしたいなって」
「いつもの話なら帰るぞ」
「違うよ。私がどうして入院してるのかって話」
別に言わなくてもいいんだけど。
でも、真剣かつ切なそうなその目に、俺は何も言えなくなった。
「私ね……もうすぐ死んじゃうんだなんだ」
あまりにも軽く、日常会話みたいに言うから一瞬聞き間違えたかと思った。
けど、その目は笑ってなくて、冗談なんかじゃないとすぐに分かった。
「……は?」
声が勝手に低く漏れる。
「……何が言いたいの?俺に、同情してほしいのか?」
違う。
こんなこと言いたいわけじゃない。
なのに、口が勝手に。
「……ただ、光輝くんにちゃんと話しておきたかっただけ。前までは時々倒れたりとかで済んでたんだけど、最近はもう立ってるのも辛くて」
ああ、だから半年前のあの日、クラスに乗り込んできたときに倒れたり、病院に通っていたのか。
点と点が繋がっていくようだ。
「……私ね余命があと半年もないんだって」
「…………」
「光輝くんにお願いがあるの。半年だけでいいから、私のお兄ちゃんになってくれない?」
「……半年?」
俺は自分の声がどこか遠くに聞こえる気がした。
「兄」という役割は、母に押し付けられた、重く意味のない肩書きだった。
なのに義妹はそれを、余命わずかという現実の中で、たった半年間だけと差し出してきた。
「お願い……。ねぇ、駄目かな?」
彼女は俺が「兄」であることを、心から願っているのか。
それは、血のつながりや母の再婚といった理屈ではなく、純粋な想いだった。
「……なんで、俺なんだ?」
俺は、絞り出すように言った。
納得できなかった。
まともに義妹と話そうともしなかった俺に、そんなことを頼むなんて。
「なんで……。なんで俺なんだよ。俺はお前が倒れた時も、何もしなかった。なんでそんな俺に、お兄ちゃんなんて頼むんだよ……」
俺の声は震えていた。
それは怒りでも、苛立ちでもない。
義妹は小さく笑った。
「だってね……。光輝くんしかいないんだよ」
その声は震えてなくて、妙にまっすぐで。
冗談でも弱音でもなく、本当にそう思ってるんだと分かってしまった。
「友達には頼めないでしょ?お義母さんには心配させたくない。お父さんにも迷惑をかけたくない。だから、光輝くんにお願いするしかないんだ」
俺は何も言えなかった。
喉が詰まって、声にならない。
「半年でいいの。私が生きてる間だけでいいの。……普通の兄妹みたいに過ごしてみたいんだ」
義妹の言葉が病室の静かな空気に重く響いた。
――普通の兄妹みたいに。
その言葉が、胸に刺さる。
半年。
たった半年。
義妹の目は真剣で、でもどこか穏やかで、俺をまっすぐ見つめてくる。
俺は目を逸らし、窓の外の駐車場に視線をやった。
車がゆっくり動いてるのが、いつもみたいに現実感が薄い。
「……普通の兄妹……ね」
俺は低く呟いた。
「俺、そんなの知らない。どうやって兄になるかなんて、分からない」
義妹は小さく笑った。
弱々しいけど、どこか温かい笑顔だ。
「うん、分かってる。光輝くん、家族ってあんまりピンとこないって言ってたもんね。でもさ、別に難しいこと頼んでないんだよ。傍にいてくれるだけでいい。話して、笑って、たまに喧嘩して……。そんな感じでいいんだ。半年……。たったの半年だから、私の夢を叶えて」
俺は拳を握り、膝の上でぎゅっと力を込めた。
「お前……なんでそんな簡単に言うんだよ。半年って、お前……」
言葉が詰まる。
余命半年。
頭では理解してるのに、心が追いつかない。
義妹はベッドに横たわったまま、点滴のチューブを見つめながら静かに続けた。
「自分でも分かる。もうすぐ死ぬんだって。自分がもうすぐ死ぬって分かったとき、頭真っ白になって……。でも、思ったんだ。怖がってる時間なんて、もったいないって。だったら残りの時間でやりたいことやろうって。光輝くんと、ちゃんと家族になろうって思ったの」
「家族……」
その言葉が、頭の中で反響する。
あの夏の日の記憶。
母の笑顔、父の眼差しがチラつく。
父の葬式で泣かなかった俺を、母が「人でなし」と呼んだ声。
あの時から家族って言葉は重くて、冷たくて、俺には縁遠いものだった。
なのに、義妹はそんな俺を兄に選んだ。
なんでだよ。
「光輝くん」
義妹の声が、静かに俺を引き戻す。
「あのね、私、ずっと一人っ子だったから、兄とか姉とかに憧れてたんだ。光輝くんと家族になれて……嬉しかった。口喧嘩ばっかだったけど、でも、なんか、ほんとに家族っぽかったんだよ」
「家族っぽい……?喧嘩だけじゃん」
俺は苦笑しながら頭を掻いた。
「俺、お前とまともに話したことほとんどねえじゃん。」
「うん、でもさ」
義妹は少し照れたように笑う。
「光輝くん、こうやって来てくれるじゃん。めんどくさいって言いながら、ちゃんと来てくれる。それ、すっごく嬉しいんだよ」
何も言えなかった。
眩しいくらいの笑顔で言われたら、断ることもできない。
なれるのか?
人でなしと呼ばれた俺に。
こいつの夢を叶えられるのか?
めんどくさいのに、断れない。
いつも通りの感情だ。
誰に何をお願いされても、結局断れずにお願いを聞いてしまう。
「……分かったよ」
俺は深く息を吐き、椅子の背もたれにもたれた。
「半年……。お前の兄になってやるよ。ヘタクソな兄でいいならな」
義妹の顔がパッと明るくなる。
「うん! ヘタクソでもいい! 光輝くんが傍にいてくれるなら、それでいいよ!」
その笑顔に、胸の奥が熱くなる。
こいつは本当に感情を表に出しやすいよな。
よく泣き、よく笑い、たまに切ない顔をする。
俺もこんなふうだったら、母さんとの関係も壊れなかったのかな。
「……で、兄として何すればいいんだ?」
「えっとね……」
義妹は少し考えて、ニコッと笑った。
「とりあえず、コンビニでプリン買ってきて! 病院のデザート、めっちゃまずいの!」
「は? いきなりそれかよ」
俺は苦笑しながら立ち上がった。
「ったく、わがままな妹だな」
「ふふ、いいでしょ? 妹なんだから!」
義妹の笑い声が、病室に小さく響く。
初めてこんな風に話した気がする。
胸の奥のモヤモヤが、ほんの少しだけ軽くなった。
「あとね、光輝くん」
「何だよ」
「私のこと名前で呼んでよ」
「……は?」
唐突すぎて思わず声を出してしまった。
名前、呼んだことなかったっけ。
思い返すと、呼んだことないかもしれない。
「わーったよ」
返事をしても雅は俺のことをじっと見ている。
それは、今すぐ呼べと言っているようだった。
こいつ……。
俺は頭を掻いて、目を逸らした。
「み、雅……」
「はい!!」
雅は嬉しそうに笑った。
こうして、雅と俺の兄弟ごっこが始まった。