第四章
「光輝。今日は総合病院に行くの?」
沙奈が帰り際に訊いてきた。
行くかと聞かれたら本音は行きたくない。
「行くなら私も連れて行ってくれない?」
「別にいいけど……。何で?」
「話したいことがあるんだよ」
「誰に?」
「雅さんに」
「……何でだよ」
「私なりに気になるから」
はっきり答えるわけでもなく、沙奈はぼそっと呟いた。
好奇心なのか、義妹の事情に首を突っ込みたいのか。
正直めんどくせえ。
こいつまで義妹と同じようなことを言い出したらどうなることか……。
「……勝手にしろ」
「ありがと」
沙奈は軽く笑った。
俺はその笑顔がなんか気に食わなくて、わざと無言で歩き出した。
街の空気がじわじわと夕方に変わっていく。
蝉の声はまだうるさいほど響いている。
◇◆◇
総合病院の受付で俺と沙奈は並んで立ち、受付の女性に声をかけた。
「……真田雅のとこに来たんですけど」
俺が淡々と言うと、受付の人はカルテか何かを確認して、軽く首を傾げた。
「真田さんですね?もう退院されましたよ」
「……は?」
思わず声が漏れた。
「本日午前中にご家族と一緒にご自宅へ戻られました」
淡々と告げられる。
後ろで沙奈が小さく「あー……」と声を漏らした。
「じゃあ、もうここにいないってことですか?」
「はい。今はご自宅で安静にされているはずです」
俺は受付に軽く頭を下げ、沙奈と無言で病院を出た。
病院に来るまでの時間と空気、全部が無駄になった気がした。
「……はぁ。来る意味なかったな」
吐き捨てるように言うと、横で沙奈が少し眉をひそめた。
「でも、分かったじゃん。家に戻ったって」
「わざわざここまで来る必要なかっただろ」
「そんなの、来なきゃ分からないでしょ」
「……」
言い返す気にもならなかった。
「……帰るか」
短くそう言って歩き出す。
「光輝」
沙奈が追いついて横に並んできた。
「何だよ」
「そんなにイラつくことないじゃん」
「無駄足踏んだんだ。イラつくに決まってんだろ」
「でも、家に戻ったって分かったんだから」
「……知ったところで何になる」
言葉が勝手に荒くなる。
正直、病院に来たのは沙奈に合わせたからとしか言えない。
じゃあ、何で病院まで来たのか。
自分でも答えられない。
沙奈は少し黙ったあと、ぽつりと言った。
「私さ、もう一回会ってみたいんだよね。雅さんに」
「……だから、何でだよ」
「気になるんだよ。光輝の家のことも、雅さんのことも。別に悪い意味じゃない」
「……勝手にすれば」
ぶっきらぼうに吐き捨てて、前を向いた。
「家、帰りたくねぇな」
「え?私と一緒にいたすぎて?」
「ちげーよ。家に帰ったらあいつがいるって言う事実が受け入れられない」
俺がそう言うと沙奈は「あー」と察したような声を出した。
俺が義妹を好いていないことを知っているから理解が早いわ。
「そういえば、お前は家族なんかクソ喰らえって言ってたよね」
「そんなに言ってないよ。胸糞悪いって言っただけ」
何が違うのか全くわからん。
思い返せば、沙奈の口から家族の話を聞いたのは初めてかもしれない。
考えるのもおぞましいみたいな感じだし、何かあったのか。
「ねぇ光輝、聞いてくれる?」
「嫌だ」
「聞かんかい」
沙奈は俺を無視して話し始めた。
「私の家ね、お父さんとお母さんが優等生を育てたがる人でさ。私に英才教育を叩き込もうとしてきたの」
「…………」
「嫌気がさした私は、両親が思う優等生像から遠く離れた、成績もど底辺の不良になろうと思ったの。でもそんなのは許さないとでも言うように、学校以外の外出は禁止されて、大切にしていた本も、スケッチブックも、ゲームも捨てられた。成績が悪ければ怒鳴られて、殴られる。そんな親のことが好きなわけないじゃん」
そう語る沙奈の顔は寂しげで、消えてしまいそうだった。
暴力家庭か。
いや、毒親の方が合っているな。
「私の友人関係にも口出しをされて、家に人を呼んだことも、放課後遊んだこともない。中学校ではいつも煙たがられた。高校では自由になりたくて、名門校は受けずに一般的な高校を受験した」
「……親は黙ってたのかよ」
「まさか。中学に怒鳴り込むほど怒ってたよ。でも、中学校側が本人の意思を尊重するべきだって言ってくれた。初めてだったな。自分の意思を尊重してもらえたの」
知らなかった。
沙奈がこんなとんでもない環境にいたなんて。
明るくて無邪気で、アホでバカで、一緒にいてもつまらないような俺と友達でいてくれるやつが。
「……なに?憐んでくれるの?」
「少しだけな」
「何それ。まあ、今はあのクソ親とも縁を切って、おばあちゃん達と一緒に暮らしてるから、間違った選択ではないかなって思ってるよ」
沙奈がもう苦しい環境にいないと知って、少しホッとしたのは気のせいだろうか。
「たまには自分の意見言うのも大切だよ、光輝」
なぜそれを俺に言うのか。
いや、分かりきっているか。
こいつにはバレてるんだな。
俺が家族に本音を伝えてないことを。
ほんとに、バカのくせに勘だけはいい野郎だ。
「とはいえ、親のことは大嫌いだし、命の話なんて胸糞悪い。奇跡なんて起きっこないのにね」
「どんだけあの授業が嫌なんだよ」
「ん?死ぬ程」
「重いな」
「だって私達は、神様によって生まれる日も、死ぬ日も決められてるんだよ?それなのに奇跡だなんだと言って。くだらない。運命は奇跡なんかじゃない。この世に奇跡なんて存在しないんだよ」
神様なんていないよ。
そう言いそうになった。
けど、生まれる日や死ぬ日は決められている。
そこには普通に共感ができてしまった。
――人はいつか死ぬんだから。
「そんなことない!!」
後ろから声が聞こえて、驚いて振り返る。
そこには義妹が立っていた。
「お前……」
「くだらなくなんかないよ!」
義妹は俺達の近くまで近づいてきた。
デジャヴだな。
沙奈も戸惑っている。
「確かに命が生まれるのは奇跡ではないかもしれない。でも、この世に奇跡は存在してるよ!」
「存在してる……?じゃあ、どんなことが奇跡なのよ」
「人との出会いだよ!」
「は?」
あまりに不確定すぎて思わず声が出てしまった。
人との出会いが奇跡?
「人と出会えば奇跡なの?意味わかんないんだけど」
「この世に何千、何万、何億人もの人がいる中で、人と出会えることは奇跡なんだよ!」
そんなわけない。
人と出会えれば奇跡なんて、そんなのただのご都合主義だ。
アホみたいな考えだ。
「人生は決められてるんだよ?出会いも別れも運命なんだから、奇跡もクソもないでしょ」
沙奈が冷たい声でそう言った。
義妹は首を振って、まっすぐと沙奈を見た。
「確かに生まれてきたことも、人生を歩むことも神によって決められていたことだよ。奇跡じゃない。でも、私は思うんだ。神が定めたのは生まれる日や死期だけ。出会いも別れも私達自身が決めるもの。これこそが奇跡だと思うんだ」
「…………」
「だって、出会った人とどういう関係になるべきか、本に書いてあるわけでもない。未来のことなんて何もわからないから、私達は考えて行動する」
「…………」
珍しい。
沙奈が押されるなんて。
「行動に間違いはないよ」
「綺麗事だ」
俺は思わず口を挟んだ。
義妹は俺を見て固まった。
「行動に正解がないなら、なぜ怒られる?なぜ責められる?なぜ後悔をする?」
「それは……」
「お前の言っていることは矛盾してるんだよ。いい加減気づけ」
「正解はないけど、不正解はあるよ!」
本当にご都合主義で、何も考えずに発言する女だ。
何も分っちゃいない。
「じゃあ何が不正解だって?」
「人に迷惑をかける行動だよ!」
「普通行動をしても、他の人にとっては迷惑な行動かもしれないだろ」
「それでも!多くの人の迷惑になら正解だよ!」
「じゃあ聞くけど、痴漢や盗撮はどうなるんだよ。お前のその理屈なら、痴漢や盗撮は一対一だし多くの人に迷惑をかけてない。じゃあ法律で禁止する必要もないよな?」
「それは……」
義妹は唇をかみしめて、拳を強く握った。
ほら、何も対抗できないじゃん。
ご都合主義は理屈が通ってないから弱いんだよ。
「もう少し考えて行動したら?お前は――」
「光輝。もうやめな」
「……沙奈」
沙奈の声は、落ち着いていて静かだった。
沙奈は雅の肩に手を置いた。
「大丈夫。雅さんの言いたいこと、私には分かるから」
沙奈の声が遠く、ぼやけて聞こえる。
それはまるで、水の中にいるみたいに。
何もかもが曖昧だった。
みなさんこんにちは春咲菜花です。みなさんに謝罪したいことがあります。数日前に出した第四章ですが、五章の内容を間違えて投稿していました。大変申し訳ありません。次からはこのようなことがないように、しっかりと内容の確認をしたいと思います。