第二章
あの後、義妹は救急搬送され、俺と沙奈、翔太は先生に呼び出された。
「あの、先生。雅さんは……」
「…………光輝、お前は雅の義兄なんだってな」
「はい、母の再婚相手の連れ子です」
俺が答えると、先生はため息をついた。
何か知ってるんだろうか。
義妹が倒れた理由とか……。
「で、雅と何があった?」
「先生、これに関しては光輝も雅さんもどちらも悪いとも言えます。片方だけ怒るみたいなのはしないと約束していただけますか?」
沙奈が先生の様子を伺いながら言った。
どっちも悪いのか?
「…………分かった。話せ」
「まず、雅さんがいきなりクラスに突撃してきたのがことの発端です。一昨日転校してきたばかりの雅さんは注目の的です。そんな中、昨日家で光輝と言い争ったことについて話に来ました」
「光輝は目立つのが好きではないのに、目立つ状況に置かれたんです」
二人は俺の代わりに丁寧に説明をしてくれた。
説明が苦手な俺はただ聞くことしかできなかった。
「なるほどな。確かにこれは光輝と雅、どちらも悪いとも言える。雅が話をしたいと言っているのに、無駄だのなんだと言いながら話を聞こうとしなかった光輝と、光輝が嫌だと言っているのに一切引かず目立つ行動しか取らなかった雅。マジでどっちも悪いな」
どうやら先生から見てもどっちもどっちらしい。
まあ、俺にも非はあるし、そうかもしれない。
先生は深くため息をついた。
「光輝、お前もしかして、雅のこと何も聞いてないだろ」
「あいつのこと?」
「聞いてないんだな?」
「何も」
俺が言うと、先生はさっきよりも深くため息をついた。
なんなんだよ。
◇◆◇
――放課後 総合病院
「すみません」
俺は受付の人に声をかけた。
受付の人は「どうなさいましたか?」と俺に聞いてきた。
こういう時、なんて言えばいいのか分からなくなる。
「えっと、真田雅の見舞いに来たんですけど……」
「真田さんですか?」
「はい」
「少々お待ちください」
タイミングが悪かったのだろうか。
看護師さんはパソコンをいじって何かを調べている。
しばらくすると顔を上げて俺を見た。
「真田さんは健診中です。急ぎの用事ですか?」
急ぎ……ではないな。
「急ぎではないですね」
「健診が終わるまで待っていますか?30分ほどで終わりますが」
「いや……。面会時間、そんな時間だと終わりますよね」
「そうですね」
「じゃあいいです。明日来ます」
俺は看護師さんにお辞儀をして病院を出た。
――光輝。貴方の義妹、本気で話を聞いて欲しそうだったけど?
――少しは話を聞いてやれよ。
「…………話を聞け……ね」
◇◆◇
家に帰るとリビングの電気がついていた。
ソファに座っていた母さんが立ち上がり、真っ直ぐに俺を見つめる。
「光輝……。どういうことなの」
「……何が?」
「雅が倒れたって、学校から連絡があったのよ!先生からも聞いたわ。あなたが原因なんじゃないの?」
「…………」
「なんとか言いなさいよ!!」
反射的に「違う」と言いかけて唇を噛んだ。
どうせ言っても聞き入れられない。
経験上、もう分かっている。
無駄なことはしたくない。
「雅ちゃんはまだ小さいのよ!新しい学校で不安でいっぱいなのに!それなのに、なんで支えてあげられないの!あんたは兄でしょう!兄なら支えてあげなさいよ!」
兄……。
俺の意思とは関係なく押しつけられた肩書き。
「……」
母の声は強まる一方だ。
口から出る言葉は、全部俺を責める言葉ばかり。
なんでこんなに責められるのか。
何でそんなに肩書きにこだわるのか。
だって俺は――
「……俺は兄になった覚えなんてない」
思わず、口からこぼれていた。
母は驚いたように目を見開いている。
これ以上話す必要はないな。
俺はリビングを出て自室に戻った。
さっきの母の顔が脳裏に焼きついて離れない。
……言っちまった。
ベッドに腰を下ろして、乱暴に額を押さえる。
本音を口にしたせいで、胸の奥が妙にざわついていた。
言ったところで状況が変わるわけじゃない。
むしろ余計に拗れるだけ。
窓の外に目をやると、街の灯りがぼんやりと揺れている。
遠くの光はきれいなのに、ここだけが真っ暗な気がした。
「兄になった覚えなんて……ないのに」
呟きはもう声にならなかった。
心の奥で静かに繰り返されるだけだった。
◇◆◇
――翌日 総合病院
「真田さんの面会ですね。お名前をこちらに書いてください」
看護師さんに言われた通り、差し出された紙に自分の名前を書いた。
真田にしようか迷ったけど、俺が好きな苗字は月岡だから月岡にした。
面会用の札を首から下げ、案内された病室の前に立つ。
扉の小窓から中を覗くと、ベッドに座る義妹が見えた。
昨日より顔色は少し良くなっている。
ノックして返事を待つ。
すぐに「どうぞ」と返ってきたから扉を開けて中に入ると、義妹がこちらを向いた。
「光輝くん……。来てくれたんだ」
俺は何も言わず、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。
「……体調は?」
「もう大丈夫。……ありがとう」
それ以上は言えなかった。
義妹の顔は確かに昨日よりは血色が良かったけど、どこか疲れたような……。
義妹はベッドの上で膝を抱え、俺をチラチラと見ながら何か言いたそうにしている。
そして、義妹は口を開いた。
「光輝くん……昨日、ごめんね。急に教室に来たりして。」
雅の声は小さく、どこか遠慮がちだった。
「別に。もういい」
本当は「いい」なんて思ってなかった。
教室でのあの騒ぎ。
でも、雅を目の前にしてそんなこと言うのも面倒だった。
「でも、私……。光輝くんに話したかったの。ちゃんと。」
義妹は膝に顔を埋めるようにして、ぽつぽつと話し始めた。
彼女の手はシーツを軽く握りしめ、時折震えているのが分かった。
「ねぇ、やっぱり光輝くんはすっごく辛かったよね?」
またその話か。
俺は目を逸らし、窓の外に視線をやった。
窓からは病院の駐車場が見える。
車がゆっくりと動いていくのが妙に現実感がなくて、まるで映画のワンシーンみたいだった。
「いい加減にしろよ。なんでそんな話ばっか掘り返すんだ」
「だって、光輝くんが話してくれないから!」
義妹の声が少し高くなった。
彼女は顔を上げ、俺をまっすぐ見つめた。
「光輝くん、一人で抱え込んで、平気なふりして……。でも私、知ってるよ。光輝くんのお父さんが亡くなったとき、誰も光輝くんの気持ちを聞いてあげなかったって」
「黙れよ」
俺の声は低く、抑えたつもりだったけど病室の静けさに鋭く響いた。
雅の肩がびくっと震え、唇を噛んで下を向いた。
「何で過去の俺の気持ちをお前に決められないといけないんだ。勝手に分析して、勝手に憐れんで。いらないんだよ。そんな情は」
「……光輝くん、ごめん。でも、私、放っておけないよ。光輝くんがそんな風に一人で抱えてるの嫌なんだもん。家族なんだからちゃんと話したい」
「家族……ね」
俺は小さく笑った。
笑い声には自分でも気づくくらいの冷たさが混じっていた。
義妹が顔を上げ、驚いたように俺を見た。
「光輝くん……?」
「家族ってなんだよ。お前と俺、ただ母さんが再婚したから一緒に住んでるだけだろ。急に『義妹』だの『家族』だの言われてもピンとこないし」
俺の言葉に、義妹の目が大きく見開かれた。
彼女の手がシーツをぎゅっと握りしめ、唇が震えているのが見えた。
「そんなこと……ないよ。光輝くんは私にとっての大事な家族だよ。光輝くんが辛い思いしてるの、放っておけないよ……」
「……誰が辛いって言った?」
俺は立ち上がった。
もうこの話を続けるのは限界だった。
「光輝くん、待って!」
義妹がベッドから身を乗り出して、俺の腕を掴もうとした。
でも、彼女の手は空を切った。
俺はそのまま病室の扉に向かって歩き出した。
「光輝くん! お願い!話してよ! 私、ただ光輝くんのことが心配なだけなんだから!」
俺は病室の扉の取っ手を掴んで振り返った。
そして、義妹の方を向いて言った。
「別に苦しくも辛くもない。俺に構わなくていいから」
そう言って病室を出た。