第一章
俺は次の日、普通に登校して、普通に自分の席に座った。
隣の席の佐倉沙奈が登校してきて、俺に「おはよう!」と言ってきた。
「おはよ」
俺は若干ぶっきらぼうに返した。
沙奈は嬉しそうに笑った。
「宿題やった?私やってない」
「やった」
「え〜、そこは『俺もやってない』っていうところでしょ〜」
何が楽しいのか、沙奈は笑った。
分かんねぇな。
はぁ、つまんない。
「光輝ー!!」
俺の前の席の宮崎翔太が登校してきた。
そいつは俺の背中をバシバシ叩いて笑っている。
うるせえ。
「光輝!聞いたか!?2組に転校生が来たらしいぞ!!」
「知ってる。てか、知らないのお前だけだろ。昨日、一昨日と学校休んでたんだし」
「やだ光輝ちゃん、寂しかったの?」
「うるさい離れろ」
翔太は、自分の席の椅子に座って俺の机に肘をついた。
教室には既にざわざわとした空気が漂っている。
みんな新しい転校生の話で盛り上がっていた。
教室の窓の外では日の光が差し込み、ほこりが光って見える。
俺は沙奈の笑顔を横目で見ながら、ノートに目を落とした。
前の席のやつは、俺の机に肘をついたまま、にやにやと話を続ける。
「おい、光輝。転校生、どんな奴だと思う?」
「自分で確認しに行けよ。2組ならすぐそこだろ?」
「でもさ、女の子だったら嬉しくない? 」
「どうでもいい」
「あれ?なんか廊下が騒がしくね?」
「あ?」
確かに廊下がざわついている。
何かあったのか?
どうでもいいか。
後ろの扉が急に乱暴に開かれた。
目をやると、そこには義妹が立っていた。
「光輝くん!!」
その瞬間、教室のざわめきが一気に止まったように感じた。
全員の視線が一斉に義妹に向く。
義妹は少し顔を赤らめ、制服のスカートを軽く握りしめている。
走ってきたのか?
「おい、あれ転校生じゃね?」
「光輝って月岡の話か?」
「え?何で転校生が月岡くんの名前を大声で叫んでるの?」
「どういう関係?」
クラスメイトが戸惑っている。
なんでこいつがこのクラスにいるんだ。
「1組だったんだ」
義妹はズカズカと俺に近づいてきた。
「昨日のことで、話があるんだけど」
昨日のこと?
あの後、ずっと放っておいて何なんだ。
「別に俺は話すことないんだけど」
「私にはあるの!光輝く――」
沙奈が立ち上がって、俺と義妹の間に立った。
「え、な、何?」
義妹は突然の割り込みに戸惑い、目をぱちくりさせた。
沙奈は腕を組み、雅をじっと見つめる。
「貴方、転校生よね? いきなり光輝に話しかけて、話があるって何?」
沙奈の口調には、軽い牽制のニュアンスが含まれていた。
教室の中が一層静まり返り、クラスメイト達の視線がさらに熱を帯びる。
沙奈と翔太は割と仲良くしているから、俺が目立つのが好きではないことを知っているから、庇ってくれているのだろう。
「いや、その……」
義妹は言葉を詰まらせ、顔を赤らめたままスカートの裾をぎゅっと握りしめた。
俺はそんなやり取りを横目で見ながら、ため息をついた。
「いいよ。放っておけ」
「いや、ダメ!光輝、いつもそうやってスルーするけどさ、なんか明らかに変な雰囲気じゃん!この子、何でいきなりうちのクラスに乗り込んでくるの!?」
「私が説明するから落ち着いてください!」
義妹が一歩前に出て、女子と向き合った。
彼女の声は少し震えていたが、目は真剣だった。
別に説明しなくていいんだけど。
「私は光輝くんの義妹、真田雅。昨日、家でちょっと話して……。その、誤解があったみたいだから、ちゃんと話したくて来たの」
「義妹!?」
沙奈の声が教室に響き、クラスメイト達のざわめきが一気に爆発した。
「え、月岡って転校生、義妹なの!?」
「光輝にそんな家族いたっけ?」
「めっちゃドラマみたいじゃん!」
義妹だの誤解だの、そんな話はどうでもいい。
「誤解って何?」
沙奈が雅に詰め寄る。
目立つからやめてほしいが、俺を思っての行動だろうし嫌な気はしない。
義妹は一瞬躊躇したが、深呼吸して言葉を続けた。
「昨日、光輝くんと話してて……。私が、ちょっと強い言い方をしちゃったの。光輝くんは、泣くのは無駄だって言うんだけど、私はそうじゃないって思ってて……」
「は? 泣くのが無駄?」
沙奈が俺の方を振り返り、眉をひそめた。
余計なこと言いやがって。
「別にそんな大した話じゃない。お前が勝手に熱くなっただけだろ」
「勝手にじゃないよ!」
義妹が声を上げ、教室の空気が再びピリッと張り詰めた。
義妹は俺をまっすぐ見つめ、言葉を続けた。
「光輝くんは、泣くことに意味がないって言うけど絶対違う。光輝くんのお父さんのこと、聞いて……。私、思ったんだ。光輝くん、きっと本当はすごく悲しかったんだよね?」
「は?また話を掘り返すつもり?いい加減にしてくれないか?」
義妹は俺の言葉を聞いて、肩を震わせた。
そして、目に涙をため始めた。
なぜそんなに泣くのか。
「ねぇ、さっきから聞いてれば君、何なの?」
翔太が口を開いた。
あ、キレてる。
翔太の声は低く、普段の軽い調子とは明らかに違っていた。
教室の空気がさらに重くなり、クラスメイト達のざわめきも一瞬止まった。
義妹は、翔太の鋭い視線に気圧されたように一歩後ずさったが、すぐに気を取り直したように胸を張った。
「何って……私は光輝くんの義妹で、ちゃんと話したいだけ!」
義妹の声は震えていたが、必死に言葉を紡ごうとしているのが伝わってきた。
彼女の目は涙で潤んでいるのに、どこか強い意志を感じさせた。
沙奈は腕を組んだまま、義妹をじっと見つめている。
翔太は俺の机に肘をついたまま、ため息をついて首を振った。
「お前さ、義妹って言っても急に乗り込んできて大声で名前呼ぶとか、めっちゃ目立つじゃん。光輝、こういうの嫌いなの知ってるだろ?」
翔太の言葉に、雅は一瞬言葉を失ったようだった。
義妹の視線が俺の方にチラッと向く。
雅が何を言いたいのかは分かる。
でも、わざわざこんな場所で、こんな風に話す必要はないだろ。
「光輝くん……」
義妹が小さな声で呟いた。
「昨日、私……。ちゃんと話せなかったから……。光輝くんがあんな風に思ってるなんて、知らなかったんだもん」
「は? 何の話だよ」
俺はぶっきらぼうに訊いた。
教室の視線が俺に集まるのが分かる。
ああ、めんどくさい。
「光輝くんのお父さんのこと!光輝くん、いつも平気なふりしてるけど私、知ってるよ。光輝くんが本当は――」
「マジでいい加減にしろよ」
俺の声が思ったより鋭く響いた。
義妹の目が大きく見開かれ、彼女の手がスカートの裾をぎゅっと握りしめた。
沙奈が何か言おうと口を開きかけたが、俺は手を上げて制した。
「お前が何を言いたいのかは分かる。でもな、わざわざここでみんなの前で話すようなことじゃないだろ。家で話せよ」
「でも、光輝くんがいつも逃げるから!家でも全然話してくれないじゃん!」
義妹の声が一気に高くなった。
クラスメイトたちの視線がさらに熱を帯び、ヒソヒソと囁き合う声が聞こえてくる。
「めっちゃドラマみたい」とか「やっぱ義妹ってマジ?」 とか。
うるさいことこの上ない。
「逃げてねえよ。話す必要がないだけだ」
「必要あるよ!光輝くんがそんな風に閉じこもってるから!ずっと気になってたんだよ!」
義妹の言葉に、俺は思わず舌打ちした。
なんでそんなに俺に構うんだ。
「もう……いいだろ」
俺の声は、無意識にいつもより強く響いていた。
義妹の目から涙が溢れ、声が震える。
「光輝くん……」
突然、義妹の足元がふらついた。
「え……?」
沙奈が咄嗟に義妹の腕を掴む。
「ちょっと、どうしたの!? しっかりして!」
しかし、沙奈は義妹を支えきれずに手を離してしまった。
「わっ……!」
机や椅子にぶつかり、かすかに衝撃音が響く。
クラスのざわめきが一瞬、凍りつく。
何が……起きた……?
苦しそうに呼吸をする義妹。
「大丈夫か!?」
翔太が飛び上がるようにして義妹に駆け寄る。
教室中の視線が一斉に俺達に集中し、空気は完全に張り詰めた。
沙奈は慌てて義妹の肩に手を回し、支えながら声をかける。
「しっかりして!息してる!?」
俺は、無意識に立ち上がって義妹の側まで近づく。
でも、どうしていいか分からず、ただ黙って見下ろす。
「……すまん」
思わず小さな声でつぶやく。
昨日も今日も、俺はいつもこうして事態をややこしくしてしまう。
義妹の頬にはまだ涙が光り、呼吸は乱れている。
「……光輝くん……」
沙奈が真剣な声で俺を睨む。
「光輝、何やってんのよ! 助けなさいよ!」
俺はぎこちなく義妹の腕を支え、少し落ち着かせる。
周りのクラスメイト達はざわめきながらも、手を出すことは出来ず、ただ見守っている。
沙奈が水筒を持ってきて、雅に水を少しずつ飲ませる。
「おい!見てないで先生を呼べ!!」
翔太が野次馬達に声をかけた。
我に返った野次馬は急いでその場から走って、先生を呼びに行った。