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第3話 最悪の初対面

 鉄と革のにおいが立ち込める武器庫の中、ミハラ市警察の濃紺の冬制服に着替えた舞矢は、無言で棚の中の防具を見つめていた。


 銀のバックル、鋲つき革のグローブ、異世界らしい奇妙な刻印の入ったナックルガード付き塹壕ナイフ──どれも血を吸った折についた跡なのか、傷や染みが刻み込まていて、禍々しく、凝視することすらためらわれる。


 舞矢は、ため息をついた。


 落とした肩に、後悔が滲んでいる。






 そのとき、背後できしむ音を立てながら、重たいドアが開いた。


「……って、オイオイ、あんたが俺のバディか」


 現れたのは、獣耳と尻尾を持つ大柄な、銀の毛並みをした狼男ワーウルフだった。


 濃紺の制服の上着をジャケットのように肩にかけ、鋭い瞳が初対面の少女を射抜く。が、立ち止まったまま、彼は手のひらで目元を覆った。


「しかも……人間か」


 低くうめくような声だった。


 そのまま肩をすくめ、やれやれと首を横に振った。しかし、閉まりかけたドアに、わざわざストッパーをかけて、彼はドアを半開きのままにして武器庫の中へ入ってきた。




 その、ささやかな配慮に気がつかない舞矢では無い。──けれど、初対面のバディにどう礼儀を示そうかと頭をつかい、また構えていたところへの、その第一声だ。



 さすがの日本人でも、腹が立ってきた。「──悪かったですね、人間で」棘のある声を出した。


 狼男の大柄な警官──ジャクセルは、意に介していない様子で、相変わらずのうつむき加減のまま、上目遣いをした。その仕草はいかにもイヌだ。


 背が高い舞矢と比べても、頭ひとつ彼の方が大きい。だが肩を落としたままではしょぼくれて見えた。


「いや、気を悪くしないでくれ。課長の人選があまりに的確なんだ」


 的確な人選。その意味は舞矢に伝わりかねたが、ジャクセルは表情を曇らせた。


「まあいい。文句を言っても、どうせ却下されるんだ。おれはジャクセル。ジャクセル・バウハウンド。今日から殺人課に復帰した」


 握手なのか、彼は右手を差し出した。


 毛深い手のひらは厚く、肉球はろくに手入れしていないのか、ガサついて乾燥したヒビが走っている。


 舞矢は、戸惑いながらも、両手でそれを包み込むように握り返した。


「……舞矢まいやです。山本舞矢、17歳……」


 その瞬間だった。


 ──彼女の伏目の前を、白い影がよぎった。



 わずかに遅れて風が通ったようにも思えた。舞矢がまばたきすると、前髪が、はらりと落ちた。手を触れると、横一文字にスパッと前髪は切れていた。


 眉毛の上、一センチ分。


 舞矢は声も出せなかった。呆然としていたが、自然と足は、壁の姿見鏡へと駆け寄っていた。


 そこには、緩やかなバングから、パッツンに変わった前髪に、目を潤ませる自分の顔があった。




「……ひどい……!」



 彼女は振り返る。涙ぐみながら声を震わせた。


「いきなり初対面で、なんですかこれ! 髪って、女の子ってけっこう大事なんですよ!」


 ジャクセルは悪びれる様子を隠しているのか、ポケットに片手を突っ込んで、耳元を掻きながら答えた。


「お育ちが良いと見えるがね、このミハラって街はバルディアでも有数のヤバい土地なんだ。一握りの殺人の奥に、誘拐か失踪かもわからない行方不明がゴマンとある」


 彼は続ける。


「だから、握手ってのは、ここじゃ本来──信用できる相手とするもんだ。しかも。片手でな」


 舞矢は、うつむいたまま言葉を失っていた。


 上目遣いでジャクセルは彼女をうかがう。


「もし今、おれが悪党だったら、もうお前は首は床に転がってるか、暗がりに引き込まれている」




 舞矢は鼻をすすり、拳を握った。


 目には涙。状況は混乱。怒ってもいいことなんだろうけれど、相棒バディが迎えに来ると聞いている以上、この真意が測りかねる犬男を完全に拒絶することができない。


 無神経さに虫唾が走っているのに、どこか、親切な物言いに、自分が悪いような気がしてきた、みじめな気持ちとも言える。自分を育てた家庭と環境が否定されたような気がして、心が折れそうだった。


「まさか、初バイトが異世界で……しかも警察だなんて、聞いてなくて……」


「だろうな」


 ジャクセルは溜息まじりに鼻を鳴らした。


 まるでそうしたいから、彼女を驚かせたかのように。


「──悪い事は言わない。ここで辞表を書いて、家まで送ってもらうといい」


 そう言って、踵を返し、ドアへ向かった。


 尻尾も耳も肩も、重たげに垂れている。


 だが、その背中を見つめながら、舞矢の心のすみに何かが引っかかった。


 釣り針のように、──彼がドアをくぐって来たおり、こちらを見て驚いた表情したことと、ドアを開けたままにしてくれた、さりげない所作が引っかかった。


 ──おそらくは、密室に、二人きりにならないよう、気を回したのだ。


 その所作が、自然すぎた。


 性根は悪い人じゃないのかもしれない。とすると──彼女は思った。


 わたしをこの街の色に、彼は染めたくないのだ。






「まだ……いち時間も経ってないんです……」


 小さな声だった。それでもジャクセルの耳には届いた。


「気にすることじゃない。誰も笑いやしねえ。大の男がケバブ屋に転職するくらいなんだからな」


「待ってください……!」


 足を止め、振り返るジャクセルは、横目を舞矢に向けた。


 彼女の目が、複雑な事情を抱えたまま、まだ続けたいと、言っている。


「……じゃあ、昼メシまでは頑張るかね」


 舞矢は鼻をすすりながら、小さくうなずいた。


「時給1350円ですから……少なくともあと五時間……」


 ジャクセルは、うつむいて耳元を掻いた。


「そこがよくわかんねぇけど……」


 しかし振り返って、


「まあいい。オッケーだ、マイヤー、契約といこう」


 歩み寄り、もう一度、がさつく右手を差し出した。


「今日の昼か、ともかく退勤まで〝バディ〟のフリをしてくれ。俺もそれで顔が立つ」


 舞矢は、その半獣の大きな手を見て、


「マイヤーじゃないです。舞矢です」


 にっこりと微笑んだ。


 そして──その手を、音がするほど思いっきり、平手で叩き落とした。


「……でも仲良くするつもり、ないですから!」


 ジャクセルの耳が平たく萎れて、口元に苦い笑いが漏れた。


「もの憶えは良いようだな」


 その一撃が、よほど堪えたのか、しびれたように手を振りながらジャクセルは、武器庫の奥へ足を進めた。


「んじゃまあ、ついて来い。とりあえず武器はえらぶぞ」


 いくら昼までの勤務だって言っても、事件はコッチの都合に合わせちゃくれないからな。


 そう言いながらジャクセルは、鞘に入ったままロングソードが立ち並ぶラックの前で足を止めた。



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