4.影での呼び名は親不孝高校
良太の故郷の県には、二つの大学がある。
一つは、国立大学、そしてもう一つが商経学部がある私立北里商科大学である。
良太が卒業した高校は、その系列の高校である。
県内にある数少ない私立高校の中で、唯一入試試験が公立高校より先に行われるの男女共学の高校が北里商科大学付属高校であった。
※女子高では、もう一校ある。
他の私立高校は、公立高校の試験結果が出た後に、入試試験が行われる。
ミソは、公立高校より先にある事である。その為、受験生の多くが、滑り止めとして良太の高校に先ず受かり、そして本命の高校を受けるというのが、良太の故郷のスタンスであった。
都会と地方では、価値観が逆転している。今は解らないが、高校の良太はそう認識していた。
何故なら、偏差値が高く、学費が高いというのが都会の私立高校のイメージである。
しかし、良太の故郷の認識は全く逆であった。
なぜなら私立北里商科付属高校は、偏差値が低く、学費が高かった為である。
良太の姉は、家から近い公立高校に進学した。その高校の月謝は1.5万円/月である。
しかし、高崎商科大学付属高校の月謝は、4万円/月である。
つまり、公立高校の倍以上である。
月謝の高い理由として、高校が力を注いでいた部活動である。
高校スポーツの花形、野球、サッカーで結果を残し名を売って来た伝統、柔道、アマレスでもオリンピック選手を出す等の先輩たちの栄光が、伝統となり、全国大会にでれば、何かと金がかかってしまうのが現実である。学校としてはOBの温情、寄付金ばかりを当てにする訳にもいかず、又強い部を保つためにスポーツ特待生として、有望な生徒を募集する必要もある、そういう背景があり、気がつけば北里商科大学付属高校は、県内で一番高い学費の学校になっていたのである。
予算の源泉=一般生徒の学費である。つまり、高校としては予算を確保するためにに門徒の数が必要であり、その結果、学校への入試難度はそれ程高くなかった。
言葉をストレートに言えば、試験さえ受ければ、北里商科付属高校には大体の生徒が入れたのであった。
つまり、親からすれば、なんの特技も無い普通の子であれば、学費がかかるだけの、、あまり行かせたくない高校であったのである。
全国の中でも、収入が低い県で知られていた良太の故郷では、私立北里商科大学付属高校を影で親不孝高校と呼びバカにする人も少なくなかった。
運悪く、良太と双子の弟雄太は、揃って本命の公立高校に落ち、仲良く同校へ入学。
つまり、公立高校に5人通わせるぐらいの月謝を野末家は支払う事になったのである。
双子の母、幸代は、公立高校の合格者発表者のテレビ放送をみて、『何でうちの子だけぇ・・出来が悪いのよ』と発狂するんじゃないかと思うぐらい、本気で泣いていた。
21年後良太は、自分の子が生まれ、塾や習い事に金がかかる経験をし、泣きたくもなるよなと、良太は心底当時の母の心情を思い、同情したものである。
話は、高校2年の初日に戻る。




