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17.初めての決戦投票(後編)

生徒総会での演説の話を聞かされた日から、その当日までの期間は2週間ぐらいあったと思う。


良太は、3日かけて演説の文章を書き、丸井先生に目を通してもらい、了承を得た。


唯一、対立候補がいる良太にとって、対立候補(あいて)よりも生徒たちに印象を与えなければならないという事で、良太自らが考えた選挙戦略は紙に書いた内容を読むのではなく、その場で暗唱する事にした。


約10日間、家に帰ると必ず1時間は、演説の練習した。


その後もう一時間、本番当日を踏まえ、父と母を呼びその前で暗唱するという事を日課にしたのである。


驚いた事は、良太の父が定量的な眼でみて、アドバイスをくれた事だった。


初めて、良太の演説を聞いた父は、こう切り出した。


『人間ってのは、緊張すればするほど、喋りが早くなる。だから、練習ではなるべくユックリと話をする練習をしなければならない・、本番になれば、誰でも緊張する、いくら練習してもな、だから緊張して、早くなって、それで丁度よくなるように、練習するんだ。』


『良太なりに、ユックリ話すつもりでもう一度、やってみろ・・』


良太は、父から言われるまま、少し照れながらも、今度はユックリと話すように演説を始めた。


2回目の演説が終わると、父は自分の腕時計を見ながら、『1分35秒だな、良太、もう少しユックリの方が良い、2分ぐらいで終わるように、もう一度』と、真面目な顔で指示を出してくれたのである。


良太の父が指導したのは、演説にかける時間のみで、それ以外は無かった、が、その定量的なたった一つの指摘が良太の演説に思わぬ副産物を与えてくれた。


2分という時間を良太は意識し、その時間を稼ごうと思うと、良太の声は自然と大きくなり、声にも抑揚をつける様にもなったのである。


それから、演説する日まで、夕食後、両親の前で必ず10回は暗唱する様になった。


両親の前で、100回以上は暗唱し、良太は演説する日の前日を迎えた。


(息子の一世一代の勝負に付き合ってくれた両親も、良い親だが、17歳にもなって親の前で演説を練習できた自分自身も・・。素直で良い若者だったなぁ・・・)


30年経った今、この出来事は父と良太とのかけがいのない絆を深めた共通の思い出になっている。


其の頃には、演説内容は身体が覚えた反射運動の様に、当たり前の様に出て来るようになっていた。


前日、演説会を前にして、良太の心からは恐怖感は無くなっていた、むしろ恐怖感よりも、練習した演説を皆に聞かせてやろうという自信さえもあったと思う。


・・・・しかし、そうは問屋が卸さなかった。良太が急造で作った自信は、まるでシャボン玉が割れる様に脆く、崩れ去る事になる。


忘れもしない・・・。


当日体育館のステージに候補者として先に入り、座っていると、チャイムと共に、大勢の生徒達が次々と体育館に入ってきた。まるで、自分を捕らえに来た軍隊の様に足音をたて、ゾロゾロと入ってくる。


まるで泡のように消えようとする自分の自信が、情けなく、自分自身に裏切られそうな思いなった事を覚えている。


そのステージには、自分以外に、4人座っているのだが、彼らの顔には不安の色など無く、逃げ出したいような表情をしているのは良太だけであった。


それもそのはず、応援演説をする生徒は、スポーツ強豪高で知られる商附の猛者どもであり、大舞台での勝負には慣れている。


その様子からは、緊張の『き』の字も感じられなかった。


良太の応援演説をしてくれた柔道部の主将小坂君は、100㎏超級クラスの個人戦に出る柔道家である。


坊主頭で、肝の据わった目でステージ下を見つめる彼の様子は、正に明治維新の三傑の一人、西郷隆盛の様に見えたものだ。


『さあ、勝負でごわす・・、』と言いそうな彼をみて、これで同じ17歳か・・と、貫禄が此処迄違うものかと、実感した良太であった。


良太の対立候補(あいて)も、何度か副会長として全校生徒の前で話をした経験があり、その顔には余裕が感じられた、いや、良太の目にはそう映っていた。


逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだと、その当時社会現象になっていたアニメの主人公の様に自分に言い聞かせていた良太だったが、そんな意気地のない自分が情けなく感じたものである。


緊張をする良太を、時間は冷酷に、無視するように刻々と過ぎていく。


体育館は、気づけば満員になり、候補者たちの演説が始まった。


新生徒副会長の挨拶(無競争当選)から始まり、生徒会長に立候補した者達の演説が始まった。


良太への応援演説をしてくれた小坂君は、たった2週間前に会ったばかりの良太を、古き友人の様に紹介してくれ、応援してくれた。


弁解にはならないが、小坂君は1年の頃、良太の双子の弟の同級生であり、双子であれば似てるであろうと弟を応援するつもりで、演説内容を考えてくれたみたいである。


持つべきものは、双子の弟であると、いつも運動でも、勉強でも良太より出来が良く、嫉妬の対象であった弟の存在に初めて感謝したのが、この時だったかもしれない。


小坂君の援護射撃が終わり、遂に良太の演説の番になった。


正直、パイプ椅子から壇上へ向かう数メートルの道を歩く時が緊張の絶頂(ピーク)だったと思う。


マンネリな表現だと思うが、膝は震え、唯の真っすぐも歩けないのである。


辛うじて、フラフラしながらも、遠くからは分からないぐらいで抑え、壇上へ向かった。


壇上へ立ち、演説を始める前に、聴衆の生徒達へ一礼するだが、その生徒達の多さに一瞬頭が真っ白になった。


良太は緊張の中、壇上の下で聞いてくれる生徒達へ一礼したが、一瞬声が出なくなってしまった。


数秒、多分1,2秒であったと思う、頭が真っ白になった良太は、なんとか話し出す事が出来た。


『みなさん、・・・・はじめまして、私は2年D組の・・・野末良太です』


静かな体育館に、マイクを通した良太の声が大きく響いた。


自分では、練習の時よりも数段低くなってしまった言葉が思った以上に大きく自分の耳に入って来たお蔭で良太は、息を吹き返す事ができた。


その時から、あまり覚えていない。緊張がとれたワケではない。


無我夢中である。頭は変わらず真っ白で、ただ、何度も復唱してたお蔭で、言葉がスラスラと口から出て来たのである。


心の中で父親に言われた2分という、時間を、ただオマジナイのように繰り返していた。


そしてそんな緊張しやすく、オマジナイに縋っている様な意気地がない自分に内心怒っていた。


いつしか、緊張が自分に対する怒りに変わってその怒りをぶつける様にどんどん声が大きくなっていった。無我夢中になっていたと思う、、気がつけば良太の演説は終わっていた。


演説が終わり、再び聴衆の生徒達に頭を下げ、自分の椅子に戻った筈なのだが、その記憶は当時の良太の記憶にも残っていない。


気がつけば、目線の先には対立候補の彼が演説していた。


彼は、手に持った演説用紙に書いた演説内容をユックリと読んでいた。


現実見のない情景の様に良太は黙ってみていた。


『選挙は、明日の朝のホームルームに行います、自分の選んだ候補者の名前を鉛筆で書き、投票してください』


気がつけば、演説は終わり、生徒総会の司会者の声が場内に響いていた。


最初に、聴衆となった生徒達が退場し始め、その後壇上の生徒達が椅子から立ち上がり、自分達の椅子をかたづけ退場する段取りだったが、良太はその時生まれて初めて腰が抜けてしまっていて、椅子から立てなくなってしまった。


本番が去り、冷静になった良太であったが、緊張が大きかった分、それが解けた後、張りつめたものが解け、全身が抜けてしまったのである。


(あに)ぃ、大丈夫か?』と、双子の兄という事で、良太の事をそう呼んでくれていた小坂君も、数分経っても、立ち上がれない良太に、驚き、最後は呆れ、先に帰ってしまったぐらい、全く動けなかった。


数分後、誰も居なくなった体育館で一人、力なく立ち上がり、椅子を所定の場所に戻し、夢遊病者の様な体でやっと教室に戻った良太を待ち伏せていたのは、同級生。数名の興奮の声と、笑い声だった。


『野末君、スゲェえ、良く出来たな』と好意的に褒めてくれる子もいれば、『大爆笑ッ、野末』と茶化す子もいた。


『アンタぁ、汗だくじゃない、酸っぱい匂いがするわ、いやぁ、寄らないで!』と石井君が、大きな声で言うと、クラスの皆は大笑いする・・』


その日だけ、良くも悪くも、一躍クラスの時の人になったのを覚えている。


直ぐに、帰りのホームルームが始まり、丸井先生から、良太は褒められた。


『力強く、迫力のある演説だった、野末、よくやった‼!』


『お前らも感動したよな、オレは感動したぞ・・』


『ひょっとしたら、ひょっとするぞ、野末が生徒会長になるかも、いいか、お前ら、明日は皆で野末に投票するぞ・・』


丸井先生のその誇らしげな、声を良太は今も覚えている。


次の日、直ぐに選挙の結果がでた。


1,025票対975票、50票差の僅差で良太は敗れた。


『オメェら、この馬鹿げがぁ、仲間が必死に戦ったのに、応援もしねぇのか』


『頭が良い、悪いとかじゃねぇ、必死に頑張ってる奴を。簡単に見捨てる奴を・・』


『そう言う奴を、本当のクソって言うんだぁ』


『お前らの様な奴らが、オレの生徒だと思うと、嫌気がさす、フザケンナ』


丸井先生が、顔を真っ赤にしながら怒鳴った相手は、その日の朝、遅刻した15名のクラスメート達だった。


(先生、そんなに怒らないで下さい、50票の差ですから、遅刻してなくても、結果は一緒でした)と、良太はその感情家の担任を見ながら、丸井先生の怒りの真意が分かっておらず、怒られていたクラスメートに同情したのであった。

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