1.帰郷
野末良太は、コロナが明け久しぶりに新幹線に乗り故郷へ帰っていた。
東北新幹線のこまち号は、良太が長い間赴任していた中国も同系統の車種を採用しており外観、内装共によく似ている。
中国は自国で
新幹線を単独開発したと声高らかに謡っているが、中国に居る日本人の中で其れを信じる者は誰一人いなかった。
似せたのではなく、丸パクリではないかと、良太自身も中国の新幹線に初めて乗った時、正直そう思ったものである。
(やはり、中国とは全然違うな・・)
(座席空間は、それほど広くは無いが、内装の設計の為か、社内は広々とした様子で、何より乗客が周囲の人達に気を使って、当たり前のように静寂を保っている)
(静かだ・・・中国ではこうはいかない)
良太は、その静寂の中、大宮駅内の売店で買った缶ビールとツマミとして買ったポテトチップの缶を空ける。
良太は、それほど酒好きでは無かったが、田舎に帰る間は必ず酒を買い、飲みながら帰る事を決まりとしていた。
それは、せっかっくだから非日常を味わいたいという願望と、故郷へ帰る高揚感、緊張をいなす為の重要な帰郷までの儀式みたいなものであった。
ビールを飲み、ツマミを食べ終え、ほろ酔い気分で目を閉じる。
良太が再び目を開けたのは、福島を越えた頃であった。
車窓からは、田んぼや民家が見える。陽気な太陽の日差しの元、農作業をする人たちがみえる。
東北の美しい景観をみていると、その匂い、故郷の匂いが、目から身体に入って来るようであった。
良太は眠気眼でぼんやりと、車窓から見える景色を暫く眺めた後、思い出したかのように残っていた缶酎ハイをあける。
良太は青春時代に、就職氷河期時代を迎えた世代である。
高校卒業の前年ぐらいに、その言葉がニュースで良く言われる様になった事を覚えている。
きっと、良太の世代の者達の多くが、大学を卒業する4年後には、きっと氷河期は終わると、楽観的な希望を持って進学を選択した若者も多い筈だ。
しかし、その楽観的な希望は打ち砕かれ、良太が大学を卒業する時も氷河期の冷たい氷は溶けなかった。
大学卒業後、中国留学、その後は40歳までほとんど中国で働いて来たのが良太の人生であった。
中国から自分の家族を連れ、日本に戻ったのが4年前。
原因不明の重度の肺炎が流行する直前であった。
コロナ禍が明けたらと娘を連れてと思い続けて、気がつけば3年の時が過ぎ、やっとコロナが収まってきた頃、というより社会がコロナに慣れて来た頃、娘を連れて故郷へ帰れると思っていた矢先、まさか自分の家族がコロナ禍が明けるより先に崩壊するとは思ってもいなかった。
コロナ禍で、閉塞した社会の中で、日本での生活になじめなかった妻が、衝動的に娘を連れ中国へ帰ってしまったのである。
今回の良太の帰郷は、『連れ去り』という言葉を知り、自分がソレをされた現実を未だ受け入れきれてない状況での里帰りであった。
『~には、14時30分の到着予定です』
車内アナウンスを聞いた良太は、流石に酔った状態では駅に迎えに来てくれる親父に会えないと、覚悟を決めた様に缶酎ハイの残りを飲み干した。
そして、身の回りをキレイにした後、良太は時間を潰す様に、再び目を閉じたのであった。