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放課後、俺は図書館に居た。
あれから俺の日記帳が返ってくる気配はなかった。加えて、クラスメイトの目がある中で真白に話し掛けることもできない。
古典の時間に目立ってしまった俺が、真白に話し掛けて悪目立ちすることはできない。
それに昨日のように、また頬を叩かれてしまえば真白はより一層嫌われてしまうだろう。
きっとそうなったとしても、無表情が剥がれることはないのだろうが、俺としても気分が晴れないことはしたくない。
だからこそ、放課後の図書館で真白と相対することにしたのだ。
昨日と同様、真白ゆきは独りで本を読んでいた。
俺はつかつかと歩いて、前の席に座る。ここまではセーフ。同じ轍を踏まないのが、無難に生きていくために重要なのだ。
「真白さん、俺の日記帳は?」
「捨てた」
薄々予想していたことを事実として突きつけられる。
まぁ仕方ないか、とふうと息を吐いた。
「ウソ」
「真白さんも冗談を言うんだね。意外」
無表情で生気すら感じられないような真白が、まさか冗談を言うなんて。
「そう」
「もっと無機質な人かと思ってた」
何気ない一言を受けて、本に吸い込まれていた真白の視線がこちらを向いた。僅かに目が合い、すぐに外れる。
「一つ聞いていい?」
初めて真白の方から聞かれた。
「なに?」
「私は関わらないで欲しいとお願いしたはずだけど、これからも私に話し掛けてくる気?」
「叩かれた仕返し」
「そう……暴力も裏目に出ることもあるのね」
暴力行為なんて大体は裏目に出るだろうけど。
「真白さんはさ、俺のこと本当に嫌い?」
少し間を置いて「それなら……」と続けようとする。俺だって本気で嫌われているのに、図々しくも自分の気持ちを貫くことはしない。
でもいきなり嫌いだと拒絶したり、人を叩いたり、意図的に嫌われる行動をとっているように思えてならない。
「何も」
「え?」
「あなたに対して何かを思うことは無い」
明確に嫌いという言葉が出てこないだけで、目の前の相手は確実に俺のことを嫌っている。
ただの思い違いと一時の感情で女子にダル絡みをしてしまった。
泣きそう。はっきりと嫌いと言われない分余計に心を抉られる。いや、前から言われてはいたんだけど。
それでも同級生の前で泣くなんてみっともないことはできない。毅然と立ち去ろう。
机に手をついて立ち上がろとすると、真白は言った。
「私には感情がないから」
「え?」
今、目の前のクラスメイトが極めて真面目な顔をして、捗る妄想に囚われた中学生みたいなことを言った。
あまりにも唐突に告げられた言葉に俺は呆然とするほかない。
学力は常に一位。他人を意に介さず確固たる自信を持ったクラスメイトが、まさか『感情が無い』なんてとても恥ずかしくて口には出せないことを言うなんて。
俺は憐憫な気持ちを胸に宿して、『感情の無い』クラスメイトへ優しい表情を浮かべる。
そしてなるべく寄り添うような調子で返事をした。
「そ、そうなんだ」
もう嫌われていようがどうでも良かった。感情が無いなんて恥ずかし気もなく言える創り上げられた世界観にただ敬服する。それに渚から聞いた話では高二から大人しくなったということだから、高一の頃はきっと感情があったんだろう。
高二になってから急に感情がなくなったのだろうか。
俺は吹き出さないように唇を歯で噛んだ。
「だからあなたへ感じることなんて何もない。親しくなろうとも思わない。この意味が分かる?」
「つまり……どういうこと?」
「バカね。どれだけ時間を共有したとしても、私とあなたの間には何も残らないってこと。私には感情がない。だから親しくもならない。これなら話掛けてくる必要もないでしょう」
俺は俯く。
感情の無い可哀そうなクラスメイトを前に不憫になったわけじゃない。
放課後の図書館。日常で殊更に静かで異質なその空間で、クラスメイトのちょっと痛い妄想を聞かなければならないとは考えてもみなかった。真白は親しくならないと言ったけれど、俺の中で真白ゆきへの親近感が湧いた。
でもおかげで真白ゆきがクラスで浮いている理由が分かった。
しょうがないよね、クラスで浮いていても。だって彼女には感情が無い、らしいから。
小説を読んでくださり、ありがとうございます。
今後ともご愛読頂けますと幸いです。