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「悠。これ今日までに図書館に返さないといけないんだけど、代わりに返しといてくれない?」
水曜日の六時間目が終わった後、渚が申し訳なさそうに言ってきた。
「やだよ。今日はせっかく早く帰れる日なのに、なんで俺? それくらい自分で行きなよ」
「別にいいじゃん。今日はハルと放課後デートの予定なの。だから、ね? お願い」
卒業証書のように頭を下げながら本だけを差し出す渚。俺は仕方なくそれを受け取り「貸しひとつ」と言った。
「いつか返す」
きっと返されることのないだろう貸しを抱えて、俺は放課後図書館へと向かった。
学校図書館は閑散としていて、どこの学校でも不人気なんだと改めて感じた。いくら蔵書数を誇ったところで、それほど利用者はいない。自習をするにしても調べものをするにしても、塾やスマホで事足りてしまう。
それでも稀に図書館に通う人もいる。ホームルームが終わると忽然と姿を消していた真白ゆきは、どうやらそういった奇特な人間らしい。
真白は入口から最も遠い地域資料棚の陰の四人掛けの机で、独り本を読んでいた。
高校生活という青春真っ只中の時間を、彼女は勉強や読書だけに費やしているのだ。友達も恋人も作らず学年一位の座を死守すべく打ち込んでいる。
放課後は家でダラダラ過ごしている俺とは大違……あれ? 俺だって青春の真っ只中のはずだ。それなのに勉強もせず貴重な時間を浪費しているだけって……
『今日はハルと放課後デートの予定なの』
ついさっき交わした渚の言葉が頭の中でこだまする。
しばらく考え、俺も青春の一ページを今から作りにいくことにした。
渚の本を所定の棚に返し終えると、悪戯心から教室と何も変わらない真白ゆきの正面に座ってみた。西日を正面に受ける彼女を見据える。
やはり反応はない。一瞬たりとも見やしない。本を読むことに真剣で、気付いていないのだろうか。
「ねぇねぇ」
「……」
「真白さん」
「……」
「何の本読んでるの?」
「……」
無視と言えば聞こえが良いくらい、まるで俺が存在していないとでも言わんばかりの様子だった。煩わしいのなら眉根を寄せるなりしてくれてもいいものの、ピクリとも動かない。
クラスで浮いている所以を見た気がした。それでももう一度挑戦してみる。
「なーー」
「話掛けないで」
今度は一文字しか許されず、声だけでぴしゃりとお断りされる。
しかし進展があった。真白ゆきの声が聞けたのだ。いや別に聞きたかったわけじゃないけれど、席替えの日の『三十六番』以降一週間は聞こえてこなかったその希少性に嬉しくなる。
高揚感を原動力に俺は、再び話し掛けた。
「そんなこと言わずに、ほら、同じクラスメイトだし、隣の席だし。仲良くしない?」
「話掛けて来ないで」
人からこうも明確な拒絶を突き付けられたことは、未だかつて経験が無い。
それでも漫画やアニメ、ドラマなんかでは多少強引に行くのが定石。俺は今日も常備していた予備の『楽』を開け、飲んだ。
三度目の正直という言葉もあるじゃないか。やっぱりこのまま押すべき!
俺は根拠のない自信に背を押され、席を立った。この状況すら楽しめる自分を誇らしく思う。
真白の隣に行き、本を指差して言った。
「これって――」
「話しかけないで。口で言って分からないのなら手を出すから」
「いやいやいや、そんな馬鹿な」
人を叩くなんて中々できることじゃないと高を括って、目の前の少女には前科があったことを失念していた。
俺が馴れ馴れしくも机の端に手を置くと、真白ユキはその身をくるりと回転させ――
パチン
乾いた音が図書館に響いた。
まさか本当に叩かれるとは。俺はジンジンと痛む頬に手を当てながら訴える。
「本当に暴力に出るなんて」
「何度も忠告はした。これに懲りたらもう二度と話しかけてこないで」
クラスメイトに手を上げておいて、尚も表情を変えることなく淡々と答える。人を叩いて何も感じないとは、鉄仮面の分厚さは相当なものなのだろう。
俺は人生で初めて敗走の二文字を痛感した。
小説を読んでくださり、ありがとうございます。
今後ともご愛読頂けますと幸いです。