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(1)


「ゆき」


 私の名前を呼ぶお父さんの声はいつだって優しい。穏やかで、それでいてどこか冷たい。


「こっちに来なさい」


 私は素直に従い、今日もベッドに横になる。


 お父さんは小瓶に詰められた赤い液体を注射器で極少量取ると、私の腕にそれを打った。


 押し出された液体が身体の中に入ると、お父さんは針を抜き取り消毒する。数秒後、注射の跡はすっかり消えていた。


 そして親子の時間が始まる。


「楽しかったことは?」

「何もありませんでした」

「辛かったことは?」

「何もありませんでした」

「悲しかったことは?」

「何もありませんでした」

「苦しかったことは?」

「何もありませんでした」


 定型文としての質問に決められた返答を繰り返す。


 最後に「今日はどうだった?」と聞かれ、私は昨日と変わらない返事をしようとして少し躊躇う。


 特筆すべきことではない図書館での出来事が頭を過ぎった。


 それでも直ぐに答える。


「特に何もありませんでした」


 お父さんはいつものように柔和な笑みを浮かべて私の頭を撫でた。


「そうか」


 他人行儀な会話が終わると、大掛かりな機械から伸びる二本の管が腕に付けられる。


 起動すると身体を巡っていた血液が透明な道に迷いこみ、まるで身体から逃げていくように赤い線を描きながら機械へと消えて行った。


 今日は迷い込んだことを覚えているだろうか。


 お母さんがいなくなってから始まったこの習慣にも、もう何も思わないし何も思えない。


 目を閉じて、今日も何事もなく過ごせていたのかを思い起こして終わりを待つ。


 誰にも関わらず、誰にも関心を向けられず、自分だけの世界で何も感じずいられただろうか。


 一日を回顧しながら自問していると、再び柊悠の姿が頭に浮かんだ。


 拒絶して涙目で帰っていった転校生の姿は少し滑稽だった。でもそれだけ。私は何も感じていないし、何も思ってなんかいない。


「ふむ」


 何かを検討するようなお父さんの声に心臓が飛び跳ねた。息が乱れそうになるのを必死に堪え、平静を装う。


 大丈夫大丈夫。


 今日も大丈夫なはず。


 私に感情は無いのだから。


 だから失う感情だって何もない。

 



小説を読んでくださり、ありがとうございます。

今後ともご愛読頂けますと幸いです。


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