第178話 鉱夫ウィル・バートランド
世界最大都市である帝都オルフェニア。日の出から間もない通りには、まだ静寂が漂い、行き交う人の姿はほとんど見られなかった。
一年中を通して温暖な気候で、早朝でも肌寒いことはなく、今日のような晴れた日は寧ろ暖かいぐらいだった。
そんな時間から、鉱夫のウィル・バートランドは友人家族が住む部屋を訪れていた。彼の住む単身者向けの集合住宅から数分のところだ。
「よお、ウィル! まあ入れ! 朝飯の支度は出来ているぜ!」
扉を開けて迎えたのは、ウィルの友人アレックス・リード。ウィルと同じ白人系の三十歳で、片脚がなく松葉づえをついて立っている。
「いつも悪いな。二人も元気か?」
「ああ、もちろんだ! 今日はリリーも起きてるぞ!」
アレックスはウィルを入れながら、笑顔で室内を指差した。
「あっ! ウィルおじちゃん!」
室内からアレックスの娘リリーが顔を出した。今年で五歳になる。
「おはよう、リリー。今日は早起きだな」
「うん、リリー頑張ったの!」
「この子ったら、今日はウィルおじさんと一緒に朝食を食べるって聞かないのよ」
アレックスの妻リンジーも姿を現した。
ウィルは仕事へ行く前に毎朝、友人アレックスの部屋を訪れ一緒に朝食をとっていた。
しかし採掘場の朝は早く、早起きが出来ないリリーはウィルと会う機会は少なかったのだ。
「これは昨日の分だ」
四人で食卓を囲んでいる中、ウィルがおもむろに銀貨を一枚と、銅貨を数枚テーブルの上に置いた。
「ウィル……お前には世話になりっぱなしで申し訳ないな……。何度も言うが、あまり無理しないでくれよ? お前にはお前の人生があるんだ。いつまでも俺たちだけのために頑張る必要はない」
アレックスは寂しそうな眼を友人へ向けた。
「何言ってるんだ、アレックス。お前のその身体じゃ働くのは難しい。その分動ける俺が働くのは当然だろう?」
ウィルは失ったアレックスの右脚を見ながら、笑顔で言った。
「たしかに片脚のない俺に出来ることは少ない。だが、この帝都なら俺でも出来る仕事が見つかるはずだ。だからお前も採掘場なんかで働かず、冒険者にでもなったらどうだ? お前の実力なら冒険者として成功することは容易いはずだし、下手したら帝国騎士に取り立てられることだって可能かもしれない」
「いや、俺は危険な仕事に就くつもりはない。もう戦うのは御免なんだ。それにやってみて思ったが、俺には鉱夫をやっているのが性に合っているのさ。あ、悪い、そろそろ時間だ、もう行くな。リリー、じゃあまたな!」
ウィルは立ち上がり、食べ終わった皿を運んだ。
アレックスたち三人も立ち上がると、
「うん、ウィルおじちゃん、いってらっしゃい!!」
リリーが笑顔で手を振った。
ウィルはリリーに手を振り返し、そのまま扉を出て行った。
それを見送りながらアレックスは、
「ウィル、お前こそ何を言ってるんだ。お前が危険な仕事をやらないのは、怪我をして働けなくなったら、俺たちに償えなくなるからだろ? 俺が脚を失ったのが自分のせいだと、いまだに思ってるからだろ? ウィル、お前がやりたいことはこんなことじゃないはずだ……クソ!」
小さくそう呟くと、友人の優しさに頼るしかない自分に憤っていた。
*
ウィルが働いている採掘場は、帝都オルフェニアの敷地内にあった。
南西のスラム街エリアに近く、毎日百人以上の鉱夫が働いている。
ほとんどが帝都外から出稼ぎに来た者ばかりで、ウィルもレガントリア帝国民ではなく、他国の出身者だった。
「ウィルよ、相変わらず精が出るな!」
坑道内で朝から話しかけてきたのは、鉱夫仲間で、五十を過ぎたモグラの獣人ジャンニだった。
身長は、190センチあるウィルの半分程度だ。
「おはよう、ジャンニさん。腰は大丈夫なのかい?」
ウィルはつるはしを持った手を休めることなく、ジャンニに答えた。
「なあに、いつまでも休んでられねえよ! わしに出来ることはこれしかないからな!」
ジャンニもつるはしで岩盤を叩き始めながら言う。
「はは、さすが老練ジャンニさん! でも、歳なんだから無理しすぎるなよ。もう三十年近いんだろ?」
「そうだの。この採掘場が帝都内で発見された二十八年前から、ずっとおる」
「二十八年か、まだ数か月の俺とは年季が違うな」
「いや、お前さんは凄いよ。今まで何人もの鉱夫を見てきたが、お前さんほど身体能力が高い奴は見たことない!」
ジャンニは一度手を止めて、首にかけていたタオルで顔の汗を拭った。
「そんなことない、俺ももう三十歳だ。最近は衰えを感じるよ、ははは」
ウィルはそう答えたが、レベル67の彼が鉱夫の仕事で疲れを感じたことはなかった。
それから少し経った頃、現場監督の一人がウィルを探して坑道内へやってきた。
「おーい、ウィルはいるかー? 第三坑道でゴブリンが出たから、ちょっと行ってきてくれるかー?」
「第三坑道だな、了解した」
ウィルは声を聞くとすぐに手を止め、つるはしを肩に乗せ歩き出した。
本来、帝都オルフェニア内にあるこの場所は、モンスター未発生エリアだった。
しかし二十八年前に、いくつかの希少な鉱石が発見され採掘場になると、坑道内からモンスターが発生するようになったのだ。
とはいえ、発生するのは低レベルのモンスターばかりで、この二十八年間でモンスターによる死者が出たことは一度もない。
そのため護衛や冒険者を雇うようなこともなく、モンスターが発生した際は鉱夫たち自身で対処してきた。
ただ、鉱夫は肉体労働であっても戦闘クラスではなく、生産クラスに分類される。
たとえ低レベルのモンスター相手でも怪我を負うことはあるため、いつしか坑道内でモンスターが発生したときはウィルが対処するようになっていた。
ウィルにとって、レベル一桁のマインゴブリン程度なら、つるはし一本で十分対処ができるうえ、退治した分の追加報酬も助かっていた。
ウィルには少しでもお金が必要なのだ。




