第170話 単なる八つ当たり
それから堕レイヴンは小康状態になった。
全員がそれなりに離れたため、触手での攻撃をしなくなったのだ。
一度だけ全方位の闇属性攻撃魔法を再度放ったが、今度はエデンが『マジックシールド』で囲み防いだ。
(さて、どうすっかな……)
ミズトは皆の視線を浴びながら、どうするか悩んでいた。
いつの間にかあのバケモノはミズトに任せる形になっていた。
もう誰も手を出す者もおらず、ミズトがどう戦うか見守っているのだ。
(なんで俺が戦うことになってんだ……?)
【あれを相手に、ミズトさん以外はまともに戦える者はおりません。ジェイクさんも上手く誘導していました】
エデンが答えた。
(いや、俺だってあれと戦えるとは限らなくないか?)
【もちろん半信半疑の者もおります。だからこそ、皆がミズトさんの次の行動を注視しているのです】
(…………)
ミズトは改めて堕レイヴンを観察した。
魔物堕ちする前の強さが関係するのか、クラリスの時よりも強いことは感じ取れる。
だからと言って今のミズトの相手にはならない。
あの時と違って、魔法だけでも倒すことが出来るだろう。
だがミズトは、中央上部に見える人型の盛り上がりが気になっていた。
レイヴンを助けるつもりはない。魔物堕ちという呪いを解いてやる必要はない。
それでも、このバケモノを倒すことは、ミズトがレイヴンを殺すこととイコールになり、どうしても受け入れられないのだ。
(聖女がいないと、俺でも打つ手なくないか……? あ!! よく考えれば、解呪をして助けるわけじゃないんだから、このまま放っておけばいいのか! 離れれば襲ってこないんだしな!)
【あれが絶対に移動しないというわけではございません。実際、このまま放置した場合は、半月以内に首都セルタゴを襲うことになるでしょう】
(んん…………)
エデンが何も提案してこないので、あれをミズトが倒すしかないのかもしれない。
たしかに見た目どおり、気配もステータスの表記もモンスターだ。しかし、あれが呪いであり、呪いを解けば人間に戻ることを知っているミズトには、殺すことはできないのだ。
犯罪者ではなくても、戦争になれば人間同士で殺し合いを平気でする。元いた世界だってそうだった。
人間なんてそんなものだと思っているが、普通の日本人のミズトは、たとえ異世界に来ても、あれが極悪非道な人間がバケモノ化したものであっても、人殺しをする気にはなれないでいた。
「ミズト氏、さすがに厳しいなら、一度ここから撤退しよう! ここはミズト氏の判断に従うよ!」
ためらっているミズトにユウマが言った。
しかし言葉と裏腹に、彼のミズトを見る目は、期待に満ちているように、ミズトには見えた。
他を見ても、相変わらずミズトに注目したままだ。
いいから早く戦えよ。
だれもそんなことは言っていないのに、ミズトはそう言われている気がして、段々と腹が立ってきた。
どこの誰かも知らない、勝手にバケモノになった奴のせいで、なんで自分が悩まないといけないのか。
苛立ちは堕レイヴンに向けられ、ミズトは感情のまま無造作に近づいていった。
「ミズト氏……?」
「ガハハハハハッ! 見せてやれ、ミズト!!」
周りの期待感が一気に高まった。
同時に堕レイヴンから無数の触手が伸び、近づくミズトに襲いかかる。
それをミズトが避けもせず近づき続ける間、同じ数だけ無数に出現した小さなマジックシールドが、ミズトの直前で完全に防いでいた。
「ポーラよ。私は魔法に疎いが、A級冒険者のウィザードというのは、あれほどのことが出来るものなのか?」
その様子を見ていた紅蓮騎士シェリルが、副隊長のポーラに訊いた。
「も、申し訳ございません……私も詳しいわけではありませんので確かなことは言えませんが、あれはA級冒険者どころではないと考えます……」
「そうか……」
シェリルはポーラの答えを聞きながら、ミズトの様子を注視した。
堕レイヴンの触手攻撃は、ミズトが近づけば近づくほど激しくなっていった。
一子相伝の拳法家が、あたたたたたたたたたたたっ!! と言っているかのような、時間を止める能力を持つ男が、無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!! と言っているかのような連続攻撃を、全て無数の魔法壁で防いでいる光景に、人々は圧倒された。
(このバケモノ、どうしてくれようか)
ミズトは堕レイヴンの目の前まで来て、立ち止まった。
そして苛立ちを物にぶつけるように、黒い巨大な肉の塊を蹴り上げた。
すると堕レイヴンは遥か上空へ舞い上がり、大きな衝撃音と共に三十メートルほど先に落下した。
「!!!!」
「!?!?!?」
「????」
何が起こったのか誰も理解できなかった。
ただ蹴り上げただけに見えたが、そんなわけないという思考が、理解することを妨げたのだ。