第150話 フィナンシェ
(あれ? なんだこれ? 意外と美味いんだけど)
ミズトは、エデンが勧めた店で頼んだ焼き菓子が、想像以上に美味しくて驚いた。
「お客さん、見ない顔だけど、うちは初めてかな? どうだい、うちの旦那が作った菓子は!」
三十歳ぐらいの女性店員がミズトの反応に気づいた。
「とても美味しくて驚きました。私はレガントリア帝国から来たのですが、あちらでもこれほどの焼き菓子は見当たらないですね」
(飯はタクマんとこのが一番だが)
「そうかい、わざわざ帝国からね。うちの旦那の菓子は、異界人から色々意見を聞いて作りだしたのさ! そっちの世界じゃフィナンシェって言うらしいけど、だいぶ近いだろ?」
(なるほど、言われてみればフィナンシェの味だな)
「そうでしたか、かなりの再現度だと思います」
「ははは、それは良かった! その可愛い子犬にも食べさせていいからさ、気に入ったらまた来てちょうだいね!」
女性店員はそう言うと機嫌良く去っていった。
甘いものと世間話のおかげで、少し冷静になったミズトは改めて店内を観察してみた。
ここは飲食スペースを併設したパン屋。今食べているフィナンシェもどきも含め、この世界では珍しいほど多種のパンや焼き菓子を扱っている店だ。
日本人のミズトが美味しいと思うほどのクオリティを持つ店だけあり、夕食前の中途半端な時間だというのに店内は混み合っている。
カウンターこそ五席あるうち座っているのはミズトだけだが、八組分あるテーブル席は、空いているのが四人座りのテーブル一つのみだった。
食文化という意味ではこの世界はまだまだ発展途上だが、美味しいものを求める気持ちは共通なのだろうと感じた。
それから、ずっと欲しそうに見ていたクロに最後の一切れを渡し、残った紅茶を飲み干して満足感を上昇させたミズトが席を立とうとすると、異界人の男が一人、店内に入ってきた。
女性店員がカウンター席を案内しようとするが、男は無視して一人でテーブル席に座った。
「はぁ、よいしょ」
男は声を出しながら座ると、
「いつものだ」
女性店員の顔も見ずに横柄に言い、何もない手元を触りだした。
ステータス画面を開いたようだ。
女性店員は注文を代わりに声に出し、男へ丁寧に頭を下げて店の奥へと戻っていった。
(なんだあいつ。店員に対してデカい態度の奴って、なんか気に入らないな)
ミズトの癇に障った男はトオル・コガネイという中年男性。会談の場でファシリテーターを名乗った男だ。
あの場ではエリート感を出した落ち着いた大人に見えたが、ここでは受ける印象がだいぶ違った。
「んだよ、おい。屋内だってのにフードを被ったままのやつが多いじゃないか」
男は見回しながらブツブツと呟いた。
ミズトも見回してみると、フードを被った者が五人いた。
三人は異界人の魔法使いで、残り二人はこの街のただの一般人のようだ。
三人の異界人が全員女性だからか、先日の件があったからか、ミズトはそれを見ても以前のような嫌悪感はなかった。
しかし、もう一人の中年は違ったようだ。
「エアーショット!」
男は突然魔法を唱えた。
すると店内は強風と悲鳴に覆われた。
風属性の攻撃魔法は、店内の誰かを傷つけることはなかったが、ほぼ全てのテーブルを壊し、上にあった物を散乱させた。
落ちた皿やカップもほとんど割れている。
「ちょっ、ちょっとお客さん!? 何をやってるんですか!?」
女性店員が慌ててやってきた。
「見て分からんのか? フードを被ったままのやつがいるから、風を起こして捲ろうとしたまでだ」
男は少しも悪びれてない。
「何を言ってるんですか!? うちはフードを被っちゃダメなんてルールはないです! テーブルが壊れたし、食べ物が落ちちゃったじゃないですか!」
「お前こそ何を言ってる。屋内じゃダメに決まってるだろう。それともなにか? 宰相補佐の俺に文句でもあるのか?」
「宰相補佐……? ま、まさか『スマイルファミリー』の……!?」
女性店員は絶望的な表情に変わった。
「そういうことだ。テーブルや食べ物を弁償しろと言うなら『スマイルファミリー』へ届け出るんだ。納得のいく説明なら支払ってやろう」
「…………」
女性店員は何も言い返さず、床の片付けを始める。
それを見ていた店内の客は、男に文句を言うこともなく、急いで会計を済ませて帰っていった。
(あのおっさん、いくらなんでも酷くないか?)
ミズトは片付けをする女性店員を見ながら思った。
【風魔法を使うまではミズトさんと同じですが、その後の制御精度が良くありません】
(…………)
そういうことを言っているのではないのだが、エデンの言うとおりミズトも風魔法を使った事に変わりはなかった。
【今のミズトさんは、何をやってもこちらのお店を更に損壊させる恐れがありますので、会計を済ませて退店することをおすすめします。どうしても共和国宰相補佐へ攻撃したい場合には、わたしの方で魔法を実行します】
エデンの言葉は、男が先ほどの会談相手であり、その相手と揉めることが大きな意味を持つと忠告しているのだと、ミズトには分かった。
中年男性が気に入らない男なのは間違いなかったが、ミズトにとって関係ないことなので、他の客と同様に何も言わず店を出ることにした。
「ありがとうございました……。75Gになります……」
女性店員は下を向いたまま、元気なく言った。
彼女はミズトから見れば二十歳近く年下だ。
旦那と二人でやっているこの店は、きっと若い二人がやっと手に入れた大切な宝物なのだろう。
ついさっきまでは、旦那の作った焼き菓子を褒められ、嬉しそうにしていた。
彼女の笑顔を思い出したミズトは、感情を抑えて声を出すのがやっとだった。
「ご馳走様でした。また来ます」
硬貨を一枚支払った。
「ちょ、ちょっと待って!? こんなのお釣りないわ!」
女性店員が動揺して硬貨をミズトに見せてきた。
「いえ、お釣りはいりませんので」
「何を言ってるの!? こ、これ、10,000G金貨よ!!」
「はい、知っています。私は小銭を持たない主義でして、お釣りを渡されても困ります。ではこれで」
ミズトは女性店員に背を向け、素早く店を出た。
「ちょ、ちょっと……」
女性店員の声が聞こえたが、ミズトは無視して店から離れていった。
【ミズトさん、お渡しするのは1,000G銀貨で十分だったと考えます。金貨では高価すぎて、喜ぶより困惑が勝っているようです】
エデンが機を見て言った。
(べつにいい……。喜ばせたかったんじゃなくて、俺の気を晴らすために支払ったんだ)
【ミズトさんがそうおっしゃるなら問題ございません。なお、そのようなことを『ツンデレ』というのはご存知でしょうか?】
(は? なんだよ急に。どれのことかも分からねえし。ツンドラなら聞いたことあるが、ツンデレなんて聞いたことねえし)
ミズトのストレスは、まだまだ溜まったままだった。