ジュラシック霊媒師カツラギ
恐竜の幽霊のお話です
「―その井戸を訪れた時の話を詳しく教えてください。
その…井戸は▲▲の廃屋にあるんだ。××県〇〇市。俺たちみたいな地元の連中の間では「幽霊屋敷」って言われている。俺が井戸を訪れたのは先週。中学の同級生と久々に会って話をする中で、三人で肝試しをしようって話になって。最初はただの空き家かと思ってた。いや、家自体は実際ただの空き家だったんだ。あの井戸以外は…。入ってしばらくして、何もないから帰ろうってなったんだが…幸宏が、友人の1人が井戸から誰かが見てるって言い出して…。俺は幸宏が驚かそうとしてるだけだと思ったんだ。でも幸宏の声はあり得ないくらいに震えてて…井戸の中にはあの真っ黒な顔が二つ…
―それであなたはご友人とともに急いでその場を離れたんですね?
ああ、皆我先にとその空き家から飛び出したんだ。その日は眠れなかったんだが、次の日からは何ともなくて、火曜に飲んだ時なんかは幸宏の見間違いだったんだろうって…。
―例の症状が出たのは3日前、木曜日からですね?
そうだ…。最初は雄二から。ああ、雄二ってのはもう1人な。寝る前に首を閉められるような気がするって言い出して…朝には腕いっぱいに赤黒いブツブツが出てきて…。その日の夕方には幸宏の腕にも同じブツブツが…。
―あなたは今のところ症状は出ていないのですね?
ああ。でも今日の明け方に信じられないくらい喉が苦しくなって…俺もあいつらみたいになるんじゃないかって…。先生、俺はどうなるんだ?
―率直に申し上げて、今のままでは極めて危険です。しかしご安心を。私葛木が、必ず治療します。
本当か?病院では原因不明、有名な霊能者のとこに行っても、うちでは手に負えないって追い返されて…先生、信じていいんだな…ですか?
―大丈夫です。ご友人もここに呼べますね?
世の中には数え切れないほどの得体の知れないもの-霊魂―が存在する。その多くは人間に害をなさないが、一部は人間に取り憑いて害をもたらす。これを悪霊と呼ぶ。
世の中には数え切れないほどではないが、こうした霊魂と関わり、時には悪霊を追払い、退治することを生業とする者―霊能者、霊媒師、シャーマンと呼ばれる―が存在する。その多くは悪霊を退治するため、悪霊から自らの身を守るために味方の霊魂を従えている。これを守護霊と呼ぶ。
この相談を受けている男、カツラギもそうした霊媒師の1人である。ある霊媒師の家に生まれ、悪霊退治を15年以上続けてきた。特筆すべき点は、彼は今までの仕事で失敗したことがない、すなわち今まで出会った悪霊全てを退治してきたことである。
危険な悪霊は取り憑いた者だけでなく、祓おうとした者にも危害を加えることが少なくない。上の会話中で、悪霊に取り憑かれた哀れな男が霊能者に追い払われたのはそれが原因だろう。しかしカツラギは決して負けない。その理由は彼の守護霊にある。
守護霊、と一口に言っても様々なものがある。カツラギの古い友人のある男は代々受け継いできた犬神を守護霊として従えていた。ある著名な神社の娘の守護霊は、幼い頃に彼女が境内で助けた白い蛇であった。珍しいものでいうと、某県山間部で林業を営む老人は巨大なクスノキの守護霊に守られていた。
ではカツラギの守護霊はどういった生き物なのだろうか。
カツラギの守護霊、それは「Tyrannosaurus rex」と呼ばれる絶滅した巨大な爬虫類、つまり、あのティラノサウルスである。
ティラノサウルス。子供の頃大好きな恐竜だったという人は少なくないだろう。その体躯は12メートルを優に超え、大型トラックの数倍の体重を持ち、その裂けた口にはこれまで地上に生きたどの獣よりも巨大な牙が並んでいた。白亜紀の北米の大地では、彼らは時速数十キロで疾走し、数メートルの角を持つ凶暴なトリケラトプスを容易く仕留めていたのである。
そのティラノサウルスの幽霊が7000万年の時を経てカツラギを守っているのだ。
これこそが「ジュラシック霊媒師」カツラギの力の秘密である。
話は悪霊退治に向かうカツラギと依頼者に戻る。深夜、相談者と友人二人と共にカツラギは問題の井戸の家へと向かった。
「ここであっていますね?」カツラギが尋ね、三人の男は黙って頷く。その顔には喩えようのない不安感が漂っていた。四人は廃屋に入り、荒れた室内を通って庭の古井戸の前に立つ。この時点で男たちの顔は恐怖に歪み、震えていた。
「これは…強いな」カツラギはそう呟くと妙な呪文をぶつぶつと唱え始めた。彼が呪文を唱えた瞬間、半ば腐った井戸の蓋は突然ガタガタと音を立てて震え、後ろの廃屋ではこの世のものとは思えない叫び声が響いた。三人の男は今にも泣き出しそうな目で井戸を見つめていたが、カツラギの目は空を仰いでいた。
この刹那、カツラギの目には壮絶な戦いが映っていたのだ!
井戸から飛び出し、空を舞う真っ黒な二つの影。それを狙うはまさしく古の暴君、ティラノサウルスである!二つの影―その一部は男たちから飛び出したようにも見えた-は風に仰がれたガガンボのように蘇った恐竜の周りを飛び回っている。太古の王者は一際大きな咆哮をあげ、首をもたげて瞬間のうちに影の一つに食らいついた!
ティラノサウルスの首の筋力は凄まじく、獲物から肉塊を剥ぎ取り、空中に数メートルも投げることができたと言われている。そして時には翼竜をも喰うことがあったという、この白亜紀の頂点捕食者の前に、ただ空を舞うだけの影達はただ無力であった。
巨龍は全身を震わせ、その筋肉と鱗の塊、その鷹のように鋭く、鮫のように巨大な眼をもう一つの影に向けた。影は叩かれた蠅のように飛ぶのをやめ、古井戸の中へ落ちていった。
次の瞬間、史上最大の獣脚類は裂けた口を目一杯に開き、井戸にその牙を立てた!
鈍い音を立てて古井戸は崩れ落ちた。突然の物音に三人の男は一斉に視線を井戸へ向ける。
ティラノサウルスの顎の力、咬合力は一説には5トンを超えたと言われている。ティラノサウルスの全身化石の発見例は意外にも少なく、20例ほどであるが、その胃から見つかった恐竜の骨は、皆等しく粉々で見つかったという。石を積み上げただけの古井戸程度、噛み砕くのは訳もなかったのだろう。
ジュラシック守護霊が影を余すことなく平らげるのを見届けると、カツラギは男達に言った。「霊は離れました。もう安心です」
三人は顔を明るくして答えた「ほ、本当ですか!先生、ありがとうございます!」
「礼には及ばない。私だけの力ではない」カツラギはそう答えるとすぐに荷物を片付け、廃屋を去ろうとした。
「待ってください先生!お礼がまだ…相談料しか」 初めに依頼してきた男がカツラギを呼び止める。
「礼には及ばないといっただろう」「でも先生…」 カツラギはやれやれという風に足を止め、口を開く。
「本当に感謝しているなら…そうだ、博物館に寄付でもするがいい。そっちの方が、余程いいことに繋がる」 カツラギはそれだけ伝えると、振り返りもせずに去ってしまった。
「ジュラシック霊媒師」カツラギ 彼は今も恐竜と共に戦っているのだろう