真実は森の中で
ヴェルデ・ガーネットには、前世の記憶がある。この世界では、特に珍しい事ではない。
人にはみな、魂が受け継ぐ使命があるのだ。
だから、この世界では、血統には重きが置かれない。王国は存在しないが、魂による国のトップが継承される国家はある。
魂が受け継ぐのは、何も大きな使命ばかりではない。良妻賢母、平凡な勤め人、小店の主人。中には、悪人や敵役等と言うものまである。
国によっては、その使命から抜け出す事を推奨する。犯罪者を永劫に犯罪者のままにしておくのは、治安の上でも道徳的な観点からも、好ましくないからだ。
ヴェルデ・ガーネットの魂は、別の世界からやって来た。人の姿はほぼ同じだが、髪や眼の色、肌色のヴァリエーションは異なる世界だ。
この世界の髪や眼は、原色やパステルカラーの色とりどりに華やぐ。皮膚の色も、濃淡や色みの違い以外に、青や赤もある。
ヴェルデは、濃い緑色の巻き毛だ。15才にしてはやや高い身長の、腰まで伸ばした巻き毛を、濁流等と蔑む者も多い。しかし、ヴェルデ本人は、神秘の海だと思っていた。
瞳は微かに赤が混じる黒だ。意思の強さを宿したややつり目の、彫りが深い顔立ちをしている。
皮膚は、この国で最も多い紫がかった肌色だ。
「前の世界で、人の区別がついてたの、不思議だわ」
前の世界は、主に黒と茶の濃淡に赤みと青みが変化を着ける程度だった。瞳も、黒、茶、緑、青、せいぜいが紫や琥珀色である。
現世で前世の夢を見て、目覚める度に不思議だった。前世住んでいた国では、黒髪黒目直毛が世の中に溢れていて、髪型も似たような人が多い。
だが、そんな小さな感慨など、吹き飛ばしてしまう事件が起こった。
ある長閑な春の午後だった。庭でくつろぐヴェルデの元に、父から呼び出しがあった。
父の魂は、田舎領主である。
この国は、国のトップを継承者が引き継ぐ『継承国家』であり、継承制の貴族社会だ。
「来たか」
父は、執務室の重厚な事務机の向こうで、威厳のある面持ちを見せている。髪はヴェルデと同じ緑の巻き毛だ。眼は赤の強い茶色だった。
「はい」
静かに応えるヴェルデに、父が1通の釣書を見せる。
「え」
ヴェルデは、些か動揺した。
釣書は、次期国家継承者アズール・ヴィオレスの姿と名前を示していたのだ。
「私の魂は、異界から来た平凡な町娘です。成人の後は、ここボスケ領の後継者様の部下として働かせて頂く筈では?」
「占い魔女による選出だ」
占い魔女とは、ヴェルデ達の世代に現れた、「この人がこの人を幸せにする」という極端に狭い占いのみを的中させる女性だ。幼い頃から外したことがなく、現在15才である。
これまで、次期国家継承者に婚約者は居なかった。継承者の伴侶という魂は、アズール達の世代に居なかったのだ。
アズール・ヴィオレス17才の誕生日、伴侶の魂がまだ産まれない為、占い魔女に依頼する運びとなった。
彼は現在17才。スッキリとした顔立ちの爽やか少年だ。すらりと背が高く、まだ少年らしく痩せている。濃い水色の短髪と浅黒い肌、瞳は美しい菫色。
「顔合わせは1週間後だ」
「急ですね」
「アズール・ヴィオレス様は、学業の傍ら後継者実務もなさっておられる。その日しか、空きがないそうだ」
こちらが合わせるしかないようである。
首都までの移動手段は、魔法部屋と呼ばれる自動操縦の箱である。中には座席が付いていて、浮遊して移動する。豪華なものだと生活道具が揃っていて、魔法部屋で暮らす放浪者もいる程だ。
今回ヴェルデが使用するのは、小型の魔法部屋だ。父とヴェルデだけでゆく。次期国家継承者が住む首都セラーノまで、魔法部屋で半日程度かかる。多少の揺れはあるが、概ね快適な旅となるだろう。
「初めまして、ヴェルデさん。アズール・ヴィオレスです」
爽やか青年は、やや緊張した面持ちで、柔らかな声を響かせた。釣書の姿から、アズールがもっとハキハキ話すタイプかと思っていたヴェルデは、その実直そうな様子を好ましく思った。
「初めまして、アズール様。ヴェルデ・ガーネットです」
自己紹介に続いて、父や現職の国家継承者との簡単な挨拶がなされた。その後は、護衛付きで庭園散歩に行かされる。
継承者官邸の庭は、薄紅色の小花が花盛りだった。壁際に数本植えられたこの樹木は、灰色の樹皮を煮出すと、儚げな薄紅の染料となる。
この染料で染めた布を、樹皮染めと呼ぶ。かなりの高級品である。
「ヴェルデさんのドレスは、樹皮染めですね?」
「はい。祖母の形見です」
魔法処理によって、新品同然な上にサイズも自動調整される。シンプルとはいえ、やや古くさいデザインだが、充分公式訪問に通用する。
「魔法処理がされているのですね」
祖母の娘時代に着たドレスが、真新しく見えたので、魔法処理に気がついたのだろう。
「マジカルドレスとは、また貴重なものを拝見させていただき、ありがとうございます」
アズールは、魔法技術に興味があるようだ。
「保存と復元程度で、防護の効果はないのですが」
「それでも、充分貴重なものです」
2人はそこから、魔法の話題に夢中になった。いつの間にか立ち止まって話し込んでしまい、補佐官が次の業務に呼びに来てしまった。
「ああ、楽しかった。また是非、お会いしましょう」
「はい。是非」
「近日中に、日程候補をお知らせします」
「お待ちしております」
すっかり意気投合して、正式な婚約者となった2人は、1年後に成婚式を行うこともすぐ決定した。
日取りの通達を受け取った日、ヴェルデは、前世の夢を見た。
前世のヴェルデは、小説や映画、演劇に音楽、そしてゲームや漫画と、広く浅く楽しんでいた。
その日夢で見たゲームに、緑色をした巻き毛の美女がいた。
「えっ、何よ。幸せにする人って、そういうこと?」
目覚めて、腹立ち、呟いた。
巻き毛の美女は、婚約者を、うっかり紹介した幼馴染みに奪われてしまう。婚約者は、確かに、巻き毛美女が連れてきた女性との出会いで幸せになった。
巻き毛美女は、とんだ当て馬である。
婚約者というのが、水色短髪で浅黒い肌をしていた。
「前世でちょっと流行った、乙女ゲーム転生とか、悪役令嬢転生とか、そういうやつね」
広く浅い体験の断片的な記憶である。ストーリーはほとんど解らないし、登場人物たちの名前すら覚えていない。
だが、緑の巻き毛美女と水色短髪の浅黒い婚約者、夢に出てきた画面に映る背景は、どれも現世に良く似ていた。
「幼馴染みっていうのが、よく解らないけど」
ヴェルデは、故郷の同世代と仲良くしてはいた。しかし、次期国家継承者である婚約者を紹介できる程、仲の良い友達はいただろうか?夢のゲームで幼馴染みは、フューシャピンクのボブに桃色の瞳、肌は赤い。
「まあ、様子見ね。振られる兆しがあったら、すぐ逃げましょ」
ヴェルデは、事なかれ主義なのだった。
それから半年、暑い夏の日のこと。アズール・ヴィオレスは、ヴェルデの住む田舎に来ていた。国境の森に隣接した領地であるため、時折中央から視察団が来るのである。
今回の視察団は1週間程の滞在で、アズールは中日に午前休を貰った。まだ暑さが厳しくなる前に、ヴェルデを誘って国境の森まで散歩に行きたいのだ。
「それなら、あまり深くないところに小さな泉がありますわ」
動物が傷を癒しにやってくる、魔法の泉だ。絶えず浄化されており、人間も飲める水が湧く。かすり傷なら、人間でも動物でも、泉で洗うだけで治ってしまう。
だが、汲み出した水には効果がない。
「飲むと普通の水ですの」
「不思議な泉だね」
話しながら、小型魔法部屋で森の入り口までやって来た。小型なので、泉までならこのままでも行くことが出来る。
だが、アズールは、ヴェルデとゆったり木陰の散歩を楽しみたかった。そこで、魔法部屋から降りると、手を繋いで歩き始めた。
森の小道を歩いて行くと、木の葉や草花の香りがする。小鳥や動物の声も聞こえる。頭上には、枝々の隙間に青空が覗く。透明な夏の陽射しが、足元にレース模様を作っていた。
しばらく行くと、小さな泉に着いた。透き通った泉に耳を近づければ、ことことと微かな音を立てて澄んだ水が湧き出している。泉から溢れた水は、ちょろちょろと細い流れを作り、やがて地面に染み込み消える。
泉の浄化作用なのか、周囲の空気は清浄で心地よい。
アズールは、ヴェルデの手を優しく引いて身を寄せた。
思わずときめくヴェルデだが、警戒心は捨てきれない。
いい雰囲気になりそうで、なかなか壁を崩せないアズールは、ヴェルデが慎ましい御令嬢だと思って、益々惹かれていた。
突然、血の臭いがした。
ガサガサと枝を分ける乱暴な音を立てて、泉を囲む藪から、人が飛び出してくる。
アズールは、咄嗟にヴェルデをかばう。
飛び出してきた精悍な美丈夫は、刃先の折れた剣を片手に立ち止まる。肩から血を流し、胴着はぼろぼろだ。血と泥で全身汚れており、金属の胸板がひしゃげている。
鋭い眼差しを投げるその眼は、漆黒の闇を宿す。枝や血糊でごわごわになった髪の毛は、紫色をしていた。
「逃げな。魔国軍が来るぜ」
ダミ声だが冷静に告げる男に、ヴェルデは自信を持って話しかける。
「泉で肩を洗うと良いわ。洗ったら着いてきて」
アズールは驚いて、背に隠したヴェルデを振り返る。その表情には、焦りと嫉妬の色が滲む。
「急いで」
ヴェルデのきっぱりとした言葉に、ダミ声男は慌てて従う。信用出来ると判断したようだ。
「すげえな、この泉」
「行くわよ」
ヴェルデは、さっさと歩きだす。
(ファンタジー戦略シミュレーション『癒しの泉』シリーズ、外伝『エピソード0:始まりの森』)
前世で遊んだゲームの1シーンが、全く同じに展開されたのだ。乙女ゲームではなかったらしい。似たような外見のキャラクターが出ているだけだ。
風景が酷似していたのも、似たようなファンタジー物の森や屋内の背景が使われていたからなのだろう。夢に出てきたタイミングが悪く、すっかり勘違いしていた。
(シリーズ共通の重要拠点、『ボスケの森・癒しの泉』を守る一族とのファーストコンタクトシーン)
ヴェルデとその婚約者アズールは、当主に引き合わせるまでの短い仲間。間もなく敵が追い付いてきて、3人で下すのだ。
操作解説マップなので、一瞬で終る。
ダミ声男は隣国の将軍だ。チュートリアルが終ると、一旦回想に入り、中盤で再びボスケの森マップが来る。その後、他の国とも次々に同盟を組み、残虐な人外の魔国軍を押し返す。王道ファンタジーである。
「ヴェルデ!」
急にイキイキしだした婚約者に、怒りと不安を露にするアズール。
「大丈夫!必ず生き残るわ!」
ヴェルデの前世、このゲームにはずいぶんはまった。普段は途中でやめてしまう物も多かったのだが。
現実の血の臭いに、一瞬気分が悪くはなったものの、すぐに気を取り直して的確な行動を取れた。
「赤くてピンクな幼馴染みなんか、どこにもいなかったのよ!!」
「へっ?なんだい?」
アズールは、狐に摘ままれたような顔で、婚約者を追う。アズールの愛しいヴェルデは、足に風を纏わせて、滑るように森を行く。アズールとダミ声男の足にも、風を纏わせてくれる。
風に乗って進む3人に、頭上から魔物が襲いかかる。
いよいよチュートリアルマップ突入だ。
アズールは、ヴェルデを庇いながら水の範囲魔法で魔物を凪ぎ払う。敵が半減した。
「さすがチュートリアルキャラ!」
「ヴェルデ?」
ヴェルデは、折れた剣で戦うダミ声男に風を送って加速させる。アズールがまた嫉妬の炎を燃やす。
「削り切らずに、弱らせて!」
「何を言ってるの?」
「ダミ声さんに、経験積ませないと!」
「ダミ声さんて、俺か?随分と見くびられたもんだな」
「ヴェルデ……?」
アズールから、嫉妬の色が消えた。
困惑が残るが、隙は出来ない。
ヴェルデは、2人と共に風に乗って魔物が暴れる森を駆ける。
「おら、もういっちょ!」
「ヴェルデ」
楽しそうに風を操り、魔国軍を吹き飛ばす婚約者に、アズールは、多少恐怖を覚える。
「はっ、豪快な嬢ちゃんだな」
ダミ声男が満足そうにニヤリと笑う。
途端にアズールは、
「僕の婚約者ですよ!」
と隣国のダミ声将軍を睨み付ける。
「そうかい!大切にしてやんな」
「言われなくても」
「俺は、ヴィンセント・ファン・ヘント!カナール国の将軍さ!よろしくな!」
「僕は、ミラグロ国の次期継承者、アズール・ヴィオレスだ」
「アズール様の比翼連理の婚約者、ヴェルデ・ガーネット!」
名乗りのシーンの再現である。操作キャラの名前は変更可能だが、このゲームで変更する人は希なようだった。
前世のヴェルデも、初期設定のまま使用した。
盛り上がるシーンの再現に、気分が高揚する。
アズールは、心配そうに婚約者の様子を伺う。
ダミ声ヴィンセントの折れた剣が光り出す。
チュートリアルの終了だ。
「いけっ、操作キャラ」
「ヴェルデ、ヴィンセント・ファン・ヘント様だよ」
痛ましそうに眉を寄せるアズール。ヴェルデが、魔物の襲撃でおかしくなったと思ったのだろう。
その間に、何やら眩い輝きを撒き散らす剣で、魔国の尖兵に止めを刺して回るダミ声将軍。
「快勝!」
(満点クリア時の勝ち名乗り!)
ヴィンセントの勝ち名乗りに、満面の笑みでサムズアップするヴェルデ。
アズールは、思わず婚約者を抱き締めて涙ぐむ。
「ヴェルデ、もう大丈夫だよ」
「アズール?なにいってるの?これからが本番でしょう」
「落ち着いて。怖くてハイになってるんだろう?」
本来のゲームで、2人はチュートリアルキャラだ。中盤に出てくるボスケ領マップでは、癒しの泉を使わせてくれる係員みたいな役割だ。だが、アニメーションオフにすると、泉の絵がある升が光るだけ。背景にすら居ないキャラなのだ。
(でも、ここは私の現実。住んでる土地が戦争中なら、常に命の危険がある。ましてや相手は、人外の魔国から来る魔物)
「魔国は、人間を駆逐して土地を奪うのが目的の国だわ。平和的解決はあり得ない」
毅然とした態度で語るヴェルデに、はっとするアズール。
(ここが現実ってことは、システム上の成長限界なんか気にしなくてもいい。そりゃ、個人の能力差はあるけども)
「アズール様、私達、この泉を魔国に取られないように鍛練しましょう」
「そうだね。魔物が延々と快癒して押し寄せたんじゃ、こちらが疲弊してしまう」
ようやく、2人の意志は一致した。
「ヴィンセント様、今このボスケ領に、わがミラグロ国の視察団が来ております」
「おお!すぐに状況を報告せねばっ」
「はい。着いてきて下さい」
再び足に風を纏うと、3人は森の入り口へと急ぐのだった。
比翼連理:比翼の鳥(胴体2つ、羽が繋がっている)連理の枝(幹二本、枝が繋がっている)仲の良い男女の喩え
マップ:戦略シミュレーションゲームの一区切り分。盤面。ステージ。RPGのマップ(地図)とは違う意味。
お読みくださりありがとうございました