第2話 聖殿騎士団シルクス・コマンドリー
小麦畑と水車小屋と粉挽き場。
壕と壁に囲まれた城砦。
この壕ではどうやら鯉を養殖している。
聖殿騎士団シルクス・コマンドリー。
今の俺が住んでいる、ちっぽけな土地だ。
俺が知っている騎士といえば、姫や竜や聖杯を探してそこらへんをさまよっている、頭のいかれたやばい連中だった。
しかし、俺が殺されまくっている間に、騎士たちは団結を覚えたらしい。
騎士団を結成し、独自の領地を持つに到った。
コマンドリーとは、農地と修道院を持つ騎士団の城砦だそうだ。
なんで俺がまだ殺されていないのか、騎士団の誕生が関係する。
どうやら大陸は、魔王禍のことを忘れつつあるようだ。
無理もない話だ。
五百年は定命種にとってあまりにも長い。
俺自身、なんで俺が魔王だったのか、ほとんど忘れている。
だがどんな時代のどんな種族にも、団結のための線引きが必要だ。
友と敵との区分が。
だから大陸は、魔王の代わりに異教の民を憎み、怖れた。
かつて奪われた聖地を奪還する、という機運が高まったのだ。
聖地を滅ぼしたのはどうも俺らしく、異教の連中はがら空きになったから棲みついたみたいなんだけど。
なんでそんなことをしたのやら。
ヒマだったのかな。
騎士たちは教皇庁の下に団結し、騎士修道会を立ち上げた。
それが聖殿騎士団だ。
君主や諸侯は、聖殿騎士団に土地や金をこぞって寄付した。
騎士団は、ただでもらった土地を元手に、農業や十分の一税でぶくぶく肥えていった。
はっきり言って、ものすごく面倒なことになった。
魔王が転生したことは、追跡の呪いで知られているはずだ。
つまり、教皇庁や王や諸侯は、分かっていながら無視している。
だからと言って、殺されに行くのもおっくうだ。
魔王を処刑するための聖墓騎士とかいうやつがいたはずだけど、そいつらが今どこで何をしているのかも分からない。
自殺というのも、あれはあれで気力がいる。
最初の百年ぐらいは、元気があれば自分で死んでいた。
だが次第に、自分で死ぬことすらどうでもよくなってきた。
このままだと、下手したら天寿をまっとうしてしまうぞ。
そしてまた転生し、穏やかな日々を送る?
勘弁してくれ。
もう、なにもかもがどうでもいい。
俺はただ、自分の葬式が来るのを待っているだけだ。
「リゲル! 探しましたよ!」
どうすれば速やかに殺してもらえるか考えていると、声をかけられた。
両脇に腕を差し込まれ、後ろから抱き上げられる。
「おはよう、スール・ツィンカ。下ろしてくれる?」
両手足を垂らしたまま、俺は言った。
「だめです。すぐに逃げちゃうんですから」
俺はやみくもに手を伸ばして、ツィンカの狐耳をつまんだ。
ひゃんっと悲鳴を上げ、ツィンカは俺を手放した。
「耳はいけませんよ! 油断なりません! リゲルはまったく!」
狐耳をかばうように抑えて、ツィンカは俺から距離を取る。
毛の多い尻尾をぶわっとふくらませ、警戒態勢だ。
この修道院の修道女、ツィンカ・パベル。
俺を拾った狐人の娘だ。
目鼻立ちのくっきりした黒髪黒眼。
亜人まで金髪碧眼ばかりの大陸では、とても珍しい。
「一時課、終わりましたから。朝ごはんにしましょう」
騎士修道会では一日の決まった時間に祈りを捧げる。
その数、八回。
俺はそもそも教皇庁に命を狙われる立場だったから、参加はしない。
魔王に祈りを捧げられても、いい迷惑だろう。
「いいよ。朝はおなかが空かないんだ」
「そんなこと言って、放っておくと一日食べないじゃないですか」
ツィンカは俺を小脇に抱えた。
「さあ、行きますよリゲル。ちゃんと食べないと大きくなれませんから」
抵抗しても「わあー、いやいや期ですね」みたいな顔でにこにこされるので、どうもやりづらい。
これでも五百歳は越えてるんだけどな。
通算で。
壕にかけられた橋を渡り、小作人の住む集落を越え、修道院内の食堂へ。
列柱のある大きな広間には修道士たちが集まり、朝からビールをがぶがぶ呑んではしゃいでいた。
シルクス・コマンドリーではビール醸造もやっている。
ツィンカと長テーブルの端につき、テーブルに並べられた食事を見る。
木の板に乗っているのは、鯉のハーブ焼きやアスパラガスのピュレを混ぜたオムレツ、朝摘みのブルーベリー、昨日焼いたばかりのパン。
俺は儀礼的にパンを手元に寄せ、ミルクを呑み、ブルーベリーを二三個つまんだ。
食事ぐらいばかばかしいことはない。
「卵もです、リゲル」
ツィンカが俺の平パンの上にオムレツをどさっと乗せた。
「分かってるよ」
しぶしぶ、オムレツを口に運ぶ。
なにか柔らかくてしょっぱいものを噛んでるなあ、という、どうでもいい気持ちが沸き上がってくる。
「スール・ツィンカ?」
じっと見られていることに気づいて、俺はツィンカに声をかけた。
「どうしました?」
「いや、見てるから」
「食べてるなあって思いまして」
にっこりされた。
なんだそりゃ。
食べてるよ、しぶしぶ。
食べろっていうから。
「よし、ちゃんと食べましたね。いい子のリゲルです。すぐにわたしより大きくなっちゃいますよ」
頭をなでられた。
大きくなる必要はないんだけどな。