保護者たちの思惑
その日の夕方、目黒のGプロビルの二階にある会議室に辿り着くと、ドアの向こうではある意味、予想どおりの光景が展開していた。
「……っざっけんな。もういっぺん言ってみろ!」
「何度でも言ってやるわ。自業自得だ。ざまーみろ」
「このっ……サカリのついた極楽鳥がっ」
あれ……?
予想外だったのは配役だ。
部屋の真ん中で机を挟み、お互いがパイプ椅子を蹴倒した状態で顔を付き合わせているまでは想定内だが、なぜ『ざまーみろ』を口にするのが拓巳くんではなく俊くんなのか。
拓巳くんが怒ってて、俊くんが嘲笑ってる……?
てっきり『テメーのせいでホテル送りだ! このオトシマエどうつけてくれる!』と激怒する俊くんに、『普段はキサマのせいばっかだろうが! たまには連座されてみろってんだ』などと拓巳くんが開き直っているかと思ったのだが。
ドアを閉めつつ首を傾げていると、僕に気がついた沖田さんが、足を組んで座る祐さんの隣に立って手招きした。
「ご苦労様、和巳君。早速だけど、これに目を通して」
指し示された机には、祐さんの目の前の位置に三枚の紙が並べてあった。どうやら週刊誌のゲラのコピーのようだ。
「あー……」
それは自分で想像したとおり、〈T-ショック〉のタクミと柳沢亜美の熱愛報道の記事だった。内容は〈連れ出し抗議〉編である。
デカデカと片面の上半分を占めるのは、昨日、撮られた四人の姿だ。左側の拓巳くんと右側の榑林マネージャーが写真中央で向かい合い、彼らの横ではそれぞれ僕と亜美が腕に取り縋っている。
「どうやらうちや向こうが依頼した回収スタッフは間に合わなかったようでね。もう印刷されてしまった。明後日の金曜日には出回るんだ」
おそらく昨夜遅くまで対応に追われたのだろう。沖田さんはいささかげっそりした様子で言った。僕は居たたまれずに姿勢を正して深く頭を下げた。
「僕のミスです。申し訳ありませんでした」
コースケさんの言ったとおりだ。付き人なら、仕事で接点がありそうな相手の情報ぐらい把握しておくべきだった。
沖田さんが宥めるような声で言った。
「いいんだよ。和巳君はちゃんと対応できてたと思うよ」
「いえ。よく知りもせず、不用意に注目のタレントに近づいたせいです]
なおも頭を下げたままでいると、俊くんが近寄る気配がした。
「よせ。最大の原因はこのバカ親が考えなしに乱入したからだろうが。おまえがそこまで謝ることはない」
肩を上げるようにつかまれ、僕は姿勢を戻しながらも続けた。
「いいえ。これは付き人としての、僕の心構えの問題です」
ここで甘えるわけにはいかない。絵が描けないのならせめてGプロの仕事はきちんとこなしたい。ただでさえ今年は二十周年イベントのために露出が多いのだから。
「ちゃんと事前に同日収録者の情報を調べていれば、同じ場面でも違った心構えで対応できました」
「社員でもないおまえがそこまで責任を負う必要は」
「いや。現場に立ったら社員もバイトも関係ない」
俊くんを遮ったのは祐さんだった。
「まして和巳は派遣でも短期でもなく、直接契約を結んでいるからな」
「Gプロと直接? 拓巳の契約条件じゃなくて?」
俊くんの質問には沖田さんが説明した。
「中等部にいる間は、拓巳君の要望に対して会社がそれを承認する形だったんですが、高等部に上がったときに社長のお声がかりで和巳君と直接契約を結んでいます」
「社長が? なんでまた」
「和巳君が行うサポートは、他のスタッフでは真似ができないので相応の対価で応えるべきだと」
「本当か、拓巳」
拓巳くんはそっぽを向きながらも答えた。
「あー、なんか和巳にはそのほうが待遇よくなるとかで、二人で一緒に書類に判子ついたな」
「………」
俊くんは難しい顔で押し黙った。それを見た祐さんがフォローを入れた。
「直接契約だとトラブルの補償が社員並みだからな。和巳にはありがたい配慮だ。つまりGプロはそれだけ〈T-ショック〉に重きを置いているということだな」
「でも祐司。和巳は」
「この会社のスタッフの三分の一が非正規社員である以上、甘いと感じさせる事態が続けば、和巳自身が白い目で見られることになるぞ」
「………」
俊くんが口を閉じると祐さんは僕を見た。
「和巳。おまえはちゃんと自覚してるな? 反省するべき点を見つけたなら直せ。ただし必要以上に自分を責めることはない。足りないところだけ努力すればいい」
「はい」と返事を返すと祐さんは鋭角的な目元を僅かに和らげ、次いで机の上にあるゲラのコピーに手をやった。
「当面の課題はこれへの対処だ。今、話し合っていたんだが、今回はホテルの缶詰めなしでいく」
「えっ、マンションに帰るんですか?」
拓巳くんに目を向けると、ふて腐れた様子で蹴倒した椅子を直しながらも否定する様子はない。
「でもそれじゃ、マンションの他の人の迷惑に」
なると言いかけると、俊くんが気を取り直したように笑みを浮かべて僕の肩を叩いた。
「いや、おまえたち二人は自宅を出る。明日から拓巳は祐司の家、おまえはおれのところだ」
「俊くんの? どうして。目黒のマンションだって困るんじゃ」
すると祐さんが目の前の二枚目を僕に手渡した。
「そこへの対処は拓巳が請け負う。理由はこれだ」
「……?」
そこには先ほどの四人の写真がよりアップになって写っていた。
多少、ぼやけてはいるものの、それぞれの顔が一枚目よりは分かりやすく、僕の目には細くモザイクがしてある。しかし他は取り立てて何かを変えているわけではない。
なんでこれがカンズメにならない(しかも俊くんの預かりになれる)理由なんだ。
疑問が顔に出ていたか、僕の心を読んだように俊くんが答えた。
「自分じゃ気づかないか。その写真、偶然にもおまえと拓巳が同じ方向を見ているだろう?」
それは確かにそうで、写真の中の僕は榑林に迫る拓巳くんの腕に取りつき、必死の表情で止めようしている。
「それな。髪を無視して顔だけを見てみろ」
「髪を……? ――あっ!」
ゲラを凝視する僕に沖田さんが合いの手を入れた。
「そうなんですよ。目を隠したせいもあるでしょうけど、似てますよね」
沖田さんの言うとおり、手前と奥に少しずれて並んだ横顔に浮かぶ表情が、睨んだ顔(眉が吊り上がっただけだが十分コワい)と必死の形相といった似たような括りであるためなのか、眉の角度や鼻筋、顎のラインがよく似ているのがわかる。
本来、僕たちの顔の印象をもっとも分けるのは目と唇で、拓巳くんの睫毛はまっすぐで長く、瞳の色は緑がかった薄茶色、僕は上向き睫毛に黒い瞳なのでかなり違う感じがするのだが、ちょうどモザイクで消してあるのでわからず、唇も彼のほうがやや薄めで色が濃いのだが横向きなのであまり差を感じない。つまりこの写真は似ているパーツが浮き彫りになり、似てない部分は影を潜めているのだ。
それが顔を並べている写真……。
どうコメントするべきか悩んでいると、俊くんが祐さんの前の三枚目に手を伸ばした。
「拓巳が柳沢亜美と噂になったところでこっちは痛くも痒くもない。せいぜい取材攻勢を受けた拓巳がイライラして記者をぶん殴らないよう、注意するだけだ。けどこういった勘繰りするやつがいるのは困る」
俊くんに三枚目を渡された僕は目を剥いた。そこには二枚目の写真の左半分を少し小さくしたものが貼り付けてあり、下にコメントが添えられていた。
〈因みに筆者は、このタクミによく似た付き人の青年のほうが、柳沢亜美に相応しい年頃だと感じるのだが。未だ十代のトップアイドルの心まで奪うとはなんとも恐ろしい美貌である〉
これは……マズいかも。
おそらくこの記者は、拓巳くんの美貌が衰え知らずであることを強調したかったのだろう。そこで並んで写る、偶然にもタクミに似た若い付き人を引き合いに出したのだ。しかし。
もしこれを見た誰かが偶然じゃないことを指摘したら。
ゲラから顔を上げると、俊くんがわかったかというように頷いた。
「これでいつものように取材陣を避けながら噂が下火になるのを待っていたら、話が勝手に発展しておまえの履歴に行き着く可能性がある。いくら周囲に口止めしてるとはいえ守秘義務があるわけじゃないからな。しつこく嗅ぎ回られたらさすがにバレる。そうなったらおまえもしばらく身動きできなくなるぞ」
僕の脳裏に再び想像の翼が羽ばたく。
『君、高橋和巳君だよね。週刊〇〇の者だけどちょっといいかな』
『ねえ君。いつからタクミの付き人をしてたの? お父さんと柳沢亜美ってどう思う? 一言でいいから教えてくれないかなぁ』
うわぁ、煩わしい……。
頭を抱えたい気分でげっそりすると、俊くんも腕を組んで眉根を寄せた。
「そんなことになったらいずれこの写真が別の意味を持ってくるだろう。それだけは避けたいという意見でおれたちは一致した」
「別の意味? 今回の取材攻勢じゃなくて?」
「それはだな」
俊くんが重々しく言葉を切ると、椅子に座り直した拓巳くんがムスッとして言った。
「おまえに来るだろう、スカウトの話だ」
スカウト?
「は? なに言ってるの拓巳くん」
「は? じゃない。俺の息子で、しかもその写真映り。間違いなく確認しにくる」
「ナニを?」
徐々に眉間のシワが深まる拓巳くんにポカンと聞き返すと、珍しく祐さんがクツクツ笑い出した。
「これは拓巳。雅俊の勝ちだな。諦めて作戦を遂行しろ」
俊くんがいかにもといった様子で頷いた。
「せいぜい派手に動き回れよ。柳沢亜美の事務所も相手がタクミならまぁ、諦めるだろう」
話が全然見えない僕に、沖田さんがやけに丁寧な口調で言った。
「つまりですね。このままだと、明後日の週刊誌を見た各芸能事務所のスカウトマンが次々に和巳君の情報を探りに来るだろう、そのうち何人かはGプロに交渉しに来ることになる、と我々は踏んだのですよ。だからそうならないよう、柳沢亜美さんとの件を利用しようとしてるんです」
僕は今度こそ仰天した。
「僕はタレントじゃなくて付き人です。スタッフですよ!」
「驚くことじゃないですよ? 芸能事務所には歌手や俳優でデビューを目指す若い子が、研修生の名目で先輩タレントの付き人としてたくさん働いています」
柳沢亜美さんにも若い女の子がついていたんでしょう? と聞かれて思い出す。
経験の浅そうな茶髪の女の子。きっとあれがそうだ。
「和巳君がGプロとスタッフ契約しかしていないのは、ちょっと調べればわかります。つまりよその会社がスカウトしても、バイトをやめてもらえばいいだけで、タレントとしての違約金が発生しないんですよ。だからGプロに対抗できる規模の会社なら君を見逃さないですね。デビューさせれば必ず回収が見込めますから」
デビューってナンの!
目が点になるとはこのことだ。
「あいにくと僕、なんの才能も持ち合わせてないので間違いなく断ります」
「そこは相手もプロですよ」
沖田さんはちょっと底が見えない笑みを浮かべた。
「Gプロにだって、黒と言っていた人を白と言わせるような凄腕のスカウトマンが何人もいますよ。うちが和巳君に芸能方面の活動を打診しないのは、ここにいる皆さんがガードしているからで、和巳君に興味がないからじゃありません」
僕が祐さんと俊くんに目を向けると、二人はそれぞれ頷いた。
「拓巳の息子というネームバリューだけでも凄いが、おまえのそのルックスに人当たりのよさと気転の利き具合、さぞかし人気が出るだろう」
「おれが事務所の社長だったら、まずはモデルで稼がせておいて、その間に演技や発声の勉強させて、タレントとしてキャリアを踏ませつつ最後は俳優にするな」
祐さんが冷静な顔で分析し、俊くんが僕を眺めるように見ながら言う。
すると向かい側の拓巳くんがおもむろに机をバシッと叩いた。
「ざけんな! 和巳は売りもんじゃねぇ!」
「バカが。物の例えだ」
俊くんがバッサリ切った。
「おれだってもし和巳のほうから『やってみようかな』とか言われたとしても、すぐには承諾しがたいわ。ただ、高橋和巳という存在は業界人にとって、おれたちがわざわざ防止策を練るくらいには魅力的な素材なんだってことを教えておきたいだけだ」
僕はハッと我に返った。
「待って。その防止策って亜美さんとのこと? 拓巳くんに何をさせるつもりなの?」
「心配はいらない」
俊くんは悪戯っ子のように目をキラリと光らせた。
「拓巳は普段通り表に出て、柳沢亜美を『ちょっと気に入ってる』フリをするだけだ」
「ええっ! まさか記事をカモフラージュにするの?」
拓巳くんに目を向けると非常にイヤそうながらも頷いた。
「おまえが狙われるよりはましだ」
「いやでもそんなことしたら亜美さんに迷惑かかっちゃうよ!」
「元々は向こうが引き連れてきた災厄だ。まあ、抗議はしてくるかもしれないが知ったこっちゃねーな」
拓巳くんが事も無げに言い、俊くんが僕の顎に手を添えて横を向かせた。
「まあ見てろよ。拓巳の演技じゃ心許ないからおれがお膳立てしてやる。業界人どもが『タクミによく似た付き人の青年』なんぞ忘れるくらいにな」