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ターンアウト~手探りの未来図  作者: 木柚 智弥
未来への道筋
25/25

痛みの先へ


「亜美さん……?」

 思いもよらない表情に驚くと、怒りを内包した亜美は口元に笑みを浮かべた。

「その手帳が見つかったの、昨日の夜なんです。だから私もしっかり読んだのはついさっきです。本当に頭にきました」

「えっ……?」

 意外な言葉に、口元から手を外した俊くんが亜美に顔を向ける。彼女は薄く頬笑んだ。

「蒼雅先生も。ぜんぜん気にする必要ないですから。むしろ私、お別れできてよかったかも」

「愛美。何を言ってるんだ」

 榑林が驚くと、亜美は見たこともないような形相で彼を睨んだ。

「榑林さんは黙ってて!」

「………っ」

 かつて彼女がこんな風に声を荒らげたことがあっただろうか。

「榑林さんだって同罪よ! ずっと私を騙してきたんだから!」

「それは……っ」

「こんなバカな話ってないわ。あの人にとって私ってなんだったの? 人形? 愛玩用のペット? 冗談じゃない!」

 亜美は正座した足を横に崩し、両手を膝の前の畳に叩きつけた。

「私、あの人に何度も聞きました。事情があるなら教えて欲しいって。だって何かおかしいってずっと思ってたから!」

「えっ!」

 思わず声を上げると、亜美は榑林から僕に視線を移した。

「私にも脳ミソはあるんです。ちょっと注意して見れば何か隠してることくらいわかります!」

 そして榑林に目線を戻した。

「おかしいでしょう。お母さんの友達だった人がいきなり母親って。何かあるって思うに決まってるじゃないですか!」

「愛美……」

「高山プロダクションに入ってから必死に探りました。あの人、高山マネージャーに言ってることと社長に言ってること、まるきり違ってた」

 畳につけた手の指が、クッと爪を立てた。

「演技してるんだなって、わかりました。だったら私への態度も演技なんじゃないかって。だってうちのお客さんだったときと声が違ったから」

「声が……?」

 榑林が驚いたようにつぶやく。亜美は悔しげに頷いた。

「あの人、素のときと演技してるとき、声の高さが微妙に違うんです。榑林さんと二人きりで話すときは、うちで聞いたときのように低かった」

 それは、娘ならではの勘と言うべきか。いずれにせよ亜美には彼女の虚偽と本音の見分けがついたのだ。

 あ。だから歌謡祭の楽屋裏でのやり取りを聞いたとき、俊くんの怪我があの人の仕業だっていうのを声だけで確信したんだ。

「一回、そのことを言ったら頭ごなしに怒鳴られました。その後は何度追いかけても二人きりになるのを避けられて」

 そのときのことを思い出したのか、亜美の目に悔しさの滲む涙が溜まってきた。

「全部話してくれなんて言ってません。ただひとつ、事情があってのことかどうかだけ教えてくれと。そうしたらあとは何を言われようと気にしないでいられるから。けど一度だってまともに答えようとはしてくれなかった!」

「それはしかたなかったんだよ。紗季さんには他に手立てが」

 榑林が背を屈めて言うと、亜美は畳から手を離し、上体を起こして彼のほうに前のめりになった。

「勝手だわ! 自分だけが苦労を背負ったヒロインぶって! 何も打ち明けてもらえずに、ただ蔑みの言葉だけ浴びせられて、私が何も感じないとでも……!」

「愛美……っ」

「私を移籍させるために蒼雅先生を排除したなんて知ったら、私がどれだけ惨めになるかなんてあの人は考えもしないのよ!」

「それは……」

 榑林が怯むと、亜美は挑むように口の端を上げた。

「私、初めてタクミさんとタクシーに乗ったとき、最初は怖かったけど、誉めてもらえて嬉しかった。タクミさんは自分に正直で、嘘や誤魔化しが言えない人だってすぐにわかったから。こんな人がいるならGプロに行ってみたいって、初めて自分から思ったわ」

「………」

「嘘と演技ばかりのあの人とは大違いだったから! それを今さら……っ」

「けどそれはすべて」

「私のためだった、だから水に流して感謝しろっていうの?」

「愛美」

「こんな、こんなノートに書くくらいなら、言ってくれればいいじゃない! 勝手に手を回して勝手に死んで、あとからあなたのためとか言われても迷惑よ!」

「愛美!」

 反射的にだろう、榑林の手が上がった。

「……っ」

 咄嗟に割り込んで亜美の肩をつかむ。けれども背中越しに榑林を見上げたときには、立ち膝の俊くんの手が榑林の腕を止めていた。

「だめだ榑林さん」

 その隙に亜美の肩を下に引くと、彼女は畳に崩れて両手をついた。

 俊くんは榑林の腕を離して隣に膝を揃えた。

「愛美さんを責めてはだめだ。これを通りすぎないと愛美さんは一生、紗季さんの死を(いた)めない」

「雅俊さん……」

「どんな理由があったとしても、大事なことを隠されたままでは打ち明けてもらえなかった自分を呪うし、その分の痛みも増す」

 あ……。

 それは、まさしく過去に俊くん自身が味わった、そして僕が今回与えてしまった痛みだ。

「想像してみてほしい。もしあなたが、母親から冷たい言葉だけを浴びせられ続け、しかも何か不自然なその態度の理由をいつまでも教えてもらえないとしたら、恨みを抱かずにいられるでしょうか。他の大人にも教えてもらえずに何年も放置されたら、自分に価値がないからだと思わずにいられますか?」

「それは……」

「榑林さん。あなたは愛美さんの表現力がなぜ、普段とステージ上とであんなに違うか考えたことがありますか?」

「えっ……」

 榑林が戸惑うと、俊くんは少し悲しげな顔をした。

「現実の世界があまりに苦しいからです。我慢を強いられ、口を封じられた状態で何年も過ごすと、抑圧されたものを虚構の世界で発散するようになる。拓巳のように」

「………っ」

「その状態が続くと、やがて他人とは感情をやり取りすることが難しくなる。彼女もグループ内でそんな感じだったんじゃないですか?」

 心当たりがあるのだろう。榑林はハッとしたあとで俯いた。

「仕事中の拓巳に和巳が必要とされるのは、スタッフでは我が儘を止められないからじゃなくて、あいつに育てられた和巳だけが、あの無表情の奥に潜む彼の言葉を素早く読み取れるからです」

 榑林が亜美の隣にしゃがんだ僕を見た。

「愛美さんはまだそこまで歪んではいない。それは純粋な動機ではなかったにせよ、梁瀬家の二人が彼女をそれなりに慈しんだからでしょう」

 それを告げられた榑林はどこか苦しげな顔になった。

「彼女には実の母親を欲する心が育っていた。だから本心を見せてもらえないまま置いていかれて恨んでいる。それは生き別れた母親を目の前にしても、何の感情もわかなかった拓巳より何倍もましなことなんです」

「………」

 確かに、拓巳くんはセラに対して、自分に愛を注ぐ健気な女性という認識はあっても、母親への欲求――慕わしさや甘えという根幹の部分がスッポリと抜けている。僕にくれるような愛情をセラに求めることは一生ないだろう。

「拓巳さんは、お母様とは……」

 榑林がためらいがちに訊ねてくるのを俊くんは首を横に振って遮った。

「愛美さんは今、あなたに吐き出した。これもまた、あなたの愛情が届いていた証拠です。だから順番を間違わないで、まずは受け止めてください」

 お願いしますと締めくくった俊くんに、榑林は頷いて顔を上げた。

「情けない……。そんなことも気づいてやれなかったなんて」

「あなたは苦労したが、家庭的には普通に育った。気がつかなくても無理はありません」

 話が終息に向かうのを感じ、僕は亜美の様子を観察した。

 感情を昂らせたからだろう。顔が赤らみ、呼吸が乱れて肩で息をし始めている。

 ちょっと中庭でも散歩したほうがよさそうかな。

「少し外の空気を吸いに行こうか」

 肩に手を添えると、上体を起こした亜美は涙の滲んだ目でこちらをじっと見、そして薄く微笑んだ。

「ありがとうございます。嬉しいです。でも遠慮しておきます」

「えっ? でも君のその感じだと、行っておいたほうがいいと思うよ?」

 断られるとは思わず、つい言い返してしまった。すると。

「高橋先輩って残酷なんですね」

 亜美の目がスッと細められ、俊くんと榑林がギョッとしたようにこちらを見た。

「あの、亜美さん?」

「優花先輩の言うとおりだわ。先輩って本当に……」

 亜美は肩の上の僕の手をじっと見つめると、パッと振り払うようにして立ち上がった。

「先輩。心に決めた人の目の前で、別の女の肩に触っていいんですか?」

「えっ、おん……?」

 呆気に取られて見上げると、彼女は泣き笑いの顔になった。

「私は構わないですよ。優花先輩から聞いてらっしゃるんですよね? 私が先輩を好きだったって。今もまだ憧れてるって」

 突然の暴露に心臓が飛び上がる。

「ちょっ、待って亜美さん。それは」

「ご承知でお誘いくださるからには、望みがあるんだって受け取りますけど、いいですよね?」

 思わず目を見開き、慌てて俊くんのほうを横目に見ると、彼は緊張の眼差しをこちらに向けていた。

 うわ。ちょっと待って。

「私をここから連れ出して、一緒にお散歩してくださるんですか? ありがとうございます。嬉しいです」

「………」

 優花からの注意が脳裏によみがえる。

『和巳はね。ちょっと迂闊すぎ。多分、あの不器用でシャイなところが拓巳くんの妹バージョンみたいでかわいいと思ってくれたんでしょうけど、愛美って結構、大人びた受け答えする子なのよ。だから簡単に頭なでたり笑顔振りまいたりしちゃだめ』

 考えすぎでしょ、と意に介さなかった自分がバカすぎていたたまれない。

 蛇に睨まれた蛙ように硬直したままで見上げていると、フッと眼差しを和らげた亜美が切なげに笑った。

「……ですよね。できないことは言わないでください。でないと一緒に仕事できません」

 ですから遠慮して、一人で行ってきますと頭を下げ、亜美は襖を開けて出ていった。

「あ………」

 僕は立ち膝になったものの、それ以上は動けなかった。

「私が追います。雅俊さん。和巳さん。今日はありがとうございました」

 立ち上がった榑林は丁寧に一礼し、サッと踵を返してあとを追っていった。

 パタンと襖が閉められ、のろのろと畳に正座し直したところで静寂が訪れる。

 やがて動いたのは俊くんだった。

「帰ろう」

「うん……」

 僕が頭を俯けたままでいると俊くんがそばに寄ってきた。

「どうした?」

 手のひらが僕の膝の上にそっと置かれる。伝わる温かさが身に染みて、僕は尚更居たたまれなくなった。

「ごめん。僕ってホントにバカで足りなくてもう……」

 言っているうちに悔しいやら悲しいやらの涙が滲んできて、さすがにみっともないので目を瞑ってやり過ごそうとすると、寄り添うように正座した俊くんからクスッと笑い声がした。

「………」

「拗ねるな。別におまえを笑ったんじゃない」

 横に顔を向けると、俊くんは何かを思い出すように目を半眼に閉じていた。

「優花がな。この前、おれとGプロビルで二人きりになったときに、和巳の恋愛感情の見分け方を教えてくれたんだ。そのとおりだったなぁと思って」

「優花が?」

 い、いったい俊くんにナニを。

 慌てた気配を感じたからか、彼はこちらに顔を上げ、宥めるように僕の肩に手を軽く叩いた。

「別に悪口じゃないぞ」

 優花はまだ不調の俊くんをこう励ましたという。

『愛美のこと、心配しないでください。もし和巳とのことがまだ引っかかるならそれも考えすぎです。あの男、優しげな顔してメチャクチャ残酷に恋愛対象の人と対象外の人、分けてますよ。それもわかりやすく無意識に。だから愛美は絶対違います』

「えっ! わかるの?」

 どこで⁉ とせっつくと、俊くんは笑って立ち上がった。

「内緒。教えちまって変えられたらイヤだから」

「そんな、俊くん!」

 慌てて立ち上がると、彼は襖に手をかけながらこちらを向いた。

「嘘だ。優花には『女子側からはわかりにくくて迷惑だから、ちゃんと自覚させてください』って頼まれた」

「あ、そ、そう」

 ホッとして力の抜けた返事を返すと、俊くんの眉根がクッと寄った。

「やっぱしばらく保留にする。胸に手を当てて、自分のナニが亜美に気を持たせたのか、さっきのやり取りを踏まえてよく考えろ」

 そして反省しろ、と踵を返されて僕は再び焦った。

「でも! 僕は一回もそんな素振りは……」

 靴を履き、建物の通路の先を行くパンツスーツの後ろ姿を追いかける。

 葬儀場のこじんまりしたロビーに出たところで追いつくと、俊くんは足を緩めてひとりごちるように話しだした。

「別におれだって、そういつもおまえに関わる女性や女の子たちに反応なんかしない。バイトスタッフの中にはおまえに色目を使ってるやつも見かけるが、脈があるかないかくらいは見分けがつくつもりだ」

 僕は自動ドアに向かう俊くんに続きながら、目線を周囲に走らせた。

 平日の夕方のせいかロビーの人影はまばらで、特にこちらに注目する様子はない。

 ガラスのドアを抜けると、葬儀場の横にあるこじんまりした林のほうから木の香りが漂ってきた。

「ただ今回、柳沢亜美についてだけは無視できなかった」

「どうして? 僕はまったくそんな気はなかったのに」

 俊くんの足が林の中に続く遊歩道へと向かう。

「おまえはそう言うんだかな……Gプロでも、おれたちの間柄を正しく把握している人間は限られているから、スタッフから聞かれてキツかったんだ。『あの和巳君が自分から世話を買ってでるって珍しいですよね。あんな感じの子が好みだったんですか?』ってな」

「………」

 言葉に詰まると、遊歩道の半ばに来たところで俊くんが足を止めた。

「確かに、たとえどんな理由があろうとも、おまえから先に動くのは珍しい。なにしろ拓巳のことがあるから、滅多におまえは他の女性タレントに近づかない。それが偶然が重なったとはいえ、そばに寄るどころか世話をしたんだからな」

「でもそれは、亜美さんにハンデが」

「それさ」

 俊くんは僕を見上げた。

「拓巳と柳沢亜美。この二人はどこか似てる。彼女のステージを初めて見たとき、おれはすぐにそう思った。その後コミュ障やらアレルギーやらがあるんだって知って納得しちまったから、おまえを指名して移籍してくるって聞いて恐ろしくなったんだ」

「恐ろしく……?」

 ああ、と俊くんは自嘲の笑みを浮かべた。

「拓巳とおまえは親子だ。だからどんなにおまえが細やかに世話を焼いてもその関係は変わらない。だが他人の、それも女子でコミュ障なんてのが来たらどうなるか。おまえが同じように世話を焼くのは目に見えている。相手はおまえに感謝して、やがて惹かれるだろう。その後はどうなる?」

 彼の目は苦しげで、そんな心配いらないのにと笑い飛ばすことはできなかった。

「当然、意識する。おまえもそれを受け取る。もしかしたら惹かれることもないとはいえないだろう?」

「そんなこと……」

「人間に、絶対はないさ」

「………」

「おまえはもともと傷ついたものにはやさしい。収録で亜美を見かけたときや、おまえとのやり取りを目にしたとき、どうしても嫌な想像から逃れることができなかった」

 すまなかったなと俊くんは頭を下げ、肩から力を抜いた。僕はそんな彼の頭を胸にそっと抱いた。

「わかってくれたならいいんだけど……」

 もう疑いは晴れたんだよね? と顔を覗くと彼の口元が笑みを浮かべた。

「拓巳や芳さんに何度違うって言われてもなかなかスッキリしなかったんだが、優花が教えてくれたお陰で……」

 あ、話してくれそう。

 おとなしく待っていると、俊くんは僕の胸に耳をつけるようにして伏せながら言った。

「……イヤ、ちょっと、ここでは恥ずかしいからまたにする」

 えー。

 結局、それから何をどう宥めても教えてくれず、けれども久し振りに笑顔が出たので水を差さないことにした。



「で? 聞けたのか。聞けたんだな? 約束だぞ。教えろよ」

「……しつこいよ健吾」

 机の上から鞄を取り上げて教室のドアに向かうと、慌てて下校仕度を終わらせた健吾があとから追いかけてきた。

「ひでぇ。いったい誰が優花に頭を下げたと思ってるんだ」

 だから逃げてるんじゃん……。

 とは内心に留め、僕は昇降口への道を急いだ。

「ほら。無駄口叩かない。今日は駅に直行でしょ?」

「おわっ。いけね」

 昇降口の壁にかかる時計は午後二時を指している。僕たちは驚く同年生たちを蹴散らして急いだ。

 葬儀の日から三週間。十月も残すところあと三日だ。

 中庭の銀杏は黄色に色づきはじめ、昨日は雨が降って気温がかなり下がった。

「大阪も寒かったらやだなー」

 健吾のぼやきに僕も気がかりになる。

「明日の天気って晴れだっけ?」

「確かそう」

「じゃあ今夜は大丈夫か。寒いとリハが延びるから拓巳くんがゴネるんだよ」

「あははー。冷え込むと音が変わるから、雅俊さんのチューニングが長引くんだよな」

 僕たちが何を慌てているかといえば、今日、これからツアー第四段の大阪に移動するからだ。

 すでに俊くんや祐さんと僕らの荷物はスタッフとともに昨夜のうちに大阪に入り、拓巳くんは真嶋さんの車で今朝出発、大阪ドームの仮設ステージで、夜の本番に向けてリハーサルを行っている。僕たちは新幹線で大阪に向かい、夕方までには着くように懇願されているのだ。

『一分でも一秒でも早く着いてね。待ってるからっ』

 昨日のバイト帰りにスタッフに取り巻かれ、沖田さんから切符を渡されながらのセリフがそれで、他にも『あの、蕨餅なら私たちが用意しておきますから銘柄を教えてください』だの『もし電車がストップしたら、すぐに知らせてください。必ず誰かを向かわせます』だの、大丈夫なのかと言いたくなるような有り様だったが、優花に言わせれば『しょーがないわよ。いまだかつて移動日に和巳と拓巳くんが別々なんてことなかったんだもの。そりゃ皆さん戦々恐々でしょ』なのだそうだ。

「しっかし、推薦試験の日にコンサートってありかね」

「僕は早くても来月中の見込みだったからね」

 今日は学内推薦試験の筆記が学校で行われた。

 系列大学なので、場所の移動がないのは助かるのだが、デザイン科だったのを経済に変更したので日程が変わってしまったのだ。

 健吾は元々この日に受ける予定で、遅れての到着でスケジュールを組んでいたので、僕はそこに加わるだけでよかったのだが、約一名がゴネて周囲を困らせた。

「試験で当日四時の到着になる? じゃ、俺も新幹線組に混ぜてもらうわ」

 拓巳くんは事も無げに言い、俊くんに激怒された。

「ふざけんな! ボーカルがいなくてリハができるかっ!」

「別に、俺がいなくたって楽器はできるだろー?」

「四時に着いたんじゃ通しが満足にできない! それともナニか。おまえはぶっつけ本番でいく気か」

 別にいいんじゃね? という顔をした拓巳くんを諭したのは、冷静にギターの手入れをする祐さんだった。

「まあ、自信があるなら止めないが、夕方から合わせてみて一回でも外したら、夕飯抜きで練習だな。コンサートは九時終了、ホテルに戻れるのは十時過ぎか……力の抜けた情けない声がドキュメンタリー番組で全国に放送されなきゃいいがな」

 その効果は絶大で、拓巳くんは渋々、それでも前日から入るのは拒否し、当日の午後に入る予定だった真嶋さんを犠牲にして早朝に旅立っていった。

「さすがの拓巳さんも、ベストじゃない自分が全国に放送されるのはイヤなんだな」

 先に外に出た健吾が笑って言うのに、少し遅れた僕は追いついてから答えた。

「それもあるけど、今はそれだけじゃなくて、実力派の後輩に見せたくないんだと思う」

「ほおー。亜美ちゃんか」

 亜美と拓巳くんはGプロの中で面白い関係になった。

 まだ若く、持ち前の才能をさらに磨く努力家の彼女に対し、天性の声と勘だけで生きてきた拓巳くんは、妙なところで亜美の監督役を担っているらしい。

「地下のスタジオで、亜美ちゃんが根詰めぎみに練習していたりすると、拓巳さんが来て『これを食うんだ』とか言ってコンニャクゼリー渡しながら止めるんですよ。彼女も拓巳さんに言われると素直でしてねぇ……」

 まあ、あのヒトに仁王立ちで言われたら、大抵の人間は従いますけどね、と目線を泳がせて報告してくれたのは横澤さんだ。

「なんか亜美さんが拓巳くんの言葉をよく聞くから、彼女を弟子のように扱いだしてるみたいで、師匠の手前、無様な姿は見せられないと」

「へぇー。の、わりにはコンニャクゼリーっておまえが用意してんだよな。相変わらず距離取ってんのか」

「うん。優花のお許しが出るまでは」

「そりゃ先は長いな。なにしろ葬儀場の一件のあと、まだ榑林さんともギクシャクしてるんだからなぁ」

 Gプロに入るにあたり、榑林が亜美の叔父であることは公表されたが、まだ日が浅いということで担当はしていない。後藤社長いわく『優秀な人材だからこそ、しっかり育てないとね』との方針で、まずはGプロに馴染んでもらうべく、複数のマネージャーのサブに着いている。

 そのせいかどうか、亜美とはなかなか時間が取れずにいるようで、優花に聞いたところでは、『まだ春一歩手前の状態』だという。

「あ、でもね。あの子、榑林さんには言いたいこと言うのよ。だからこのまま時間が経てば、彼の家にも行くようになると思うわ」

 榑林は自分の住むマンションの空き部屋を亜美の部屋にし、いつでも泊まりに来られるようにしてあるのだそうだ。

「優花には世話になりっぱなしで申し訳ないけど正直、助かったよ。今の亜美さんには僕も役に立たないから、真嶋さんの許可が出るなら、このままバイト要員にお願いしたいくらいなんだ」

 期間限定といっても、それはこっちが勝手に区切っただけなのだ。

「いや、そりゃ難しいわ。長くても真嶋さんの許可は新年度が来るまでさ。亜美ちゃんのことは、Gプロスタッフが優花の技を学べば問題はない。慣れるのが半永久的に不可能な拓巳さんとは違うんだよ」

 エラい言われようだが事実だ。

 足早に坂を下りながら、優花の技かぁなどと考えていると、まるで見透かしたように健吾が話を戻した。

「で? あんなにナーバスだった雅俊さんを納得させ、見事に今の復活に導いた優花のアドバイスってなんだったんだ。なんで雅俊さんは教えてくんなかったんだよ」

 僕は顔に笑みを貼りつけてお願いしてみた。

「忘れてくれない?」

 健吾もニッコリ笑った。

「無理。だって雅俊さん、もう亜美ちゃんのこと、すっかり気にしなくなってんだもん。知りたいじゃん」

 急ぎ足のヤロー同士が微笑み合う構図ってヤだな。

 俊くんはあの日以来、亜美のことをスッパリと意識しなくなった。今では彼女が僕を避けるのを『そこまで気遣わなくてもいいんだがな』などと本気で心配するくらいだ。

 まあ、あの話を聞いて、しかも目の前で実感してしまったならそうなるだろう。

 結局、俊くんはその後も教えてはくれなかった。

 それがわざとというよりは本気で照れてのことのようで、上機嫌のときを見計らって質問しても『まあそうせっつくな。いい気分なんだから……』などと色っぽくしなだれかかられてしまうので、食い下がる自分が子どもじみているようで、それ以上は突っ込めずにいた。

 しかしこうまで効果的だった内容はぜひとも知りたい。

 そこで健吾の助力を頼み、元の伝承者である優花に教えを請うたのだ。

 結果『聞かなきゃよかったかも』なトホホ状態を招いてしまった。

 いや、そうじゃない。聞けたのはいいんだ。問題は聞き方。優花には自力で談判すればよかったんだ。

 ああ、説教を恐れて躊躇(ちゅうちょ)したばっかりに、「俺が機嫌のいいときを探ってやろうか」なんて甘い言葉につい(すが)ってしまった……。

「なあなあ~」

 足を緩めずに擦り寄る健吾。

 ネコかおまえはと距離を稼ぐ僕。

 駅を目指しながら思い返すのは、あの日の優花の説明と、その後に聞いた俊くんの言葉。

『えっ、見分け方? なんだぁ、まだ聞いてないの。照れちゃうって? なんでだろ。まあいいわ。こう言ったのよ。

《それはズバリ言葉遣いです。育ちのせいだと思うんですけど、和巳は尊敬できる人に惹かれるみたいで、恋愛感情を持った相手には必ず敬語が混じります。タメ語や優しい言い回しは親しくても対象外です》って。あとこうも言っといたわ。《特にわかりやすいのが『君』と『あなた』で、和巳は恋愛感情を持った相手に『君』って使いません。対象の人には『あなた』。ほら、心当たりあるでしょう?》ってね』

 なるほどそうかも、よく見てるなーと感心したまではよかった。が、なんで俊くんが照れたのかがわからずに聞いちゃったのがいけなかった。

『だってな……おまえがおれに『あなた』って呼びかけるシーン。すぐに思いつくっていったら、なぁ……』

 頬を薔薇色に染めながら言われたら僕だってわかる。

 それはもちろんラブシーン……。

 いけない。思い出したらまた火照ってきた。

「なぁ~。教えてくれよ~。親友だろぉ。ウソはダメだぞぉ」

 そして健吾といえば、優花のアドバイスと俊くんが照れたその理由。双方を教えろというのだ。

 どうやら彼の中でそれは相手のハートをガッチリつかむための重要なポイントとして曲解されつつあり、拒めば拒むほど気合いが増してきて悩ましい。

 僕の脳裏が堂々巡りを始める。

 いいじゃん、優花のだけ教えれば。

 ダメだよ。僕と同じで、なんで俊くんが照れちゃったか余計、気になる。

 じゃあ教えちゃう?

 イヤさすがにそれはご勘弁。

 でも、このままじゃなぁ……。

 悩むうちに下り坂が終わり、最寄り駅の屋根が見えてきた。この先電車に乗ったら新横浜まで数十分。その後は横並びのままずっと一緒……。

 よしっ。はっきり言おう。

 意志を固めて横を向くと、健吾が「おっ」というように身構えた。

「あのね。優花の指摘は遠慮はいらないから優花に教えてもらってください。あと、俊くんの理由は……」

 僕は鞄を脇に挟むと、ブレザーの内ポケットに入れておいたリングを取り出し、左薬指に嵌めてこう言った。

「健吾たちが無事、こういうのを交わせるようになったときに話すね。それまでは明かせないから勘弁して!」

 あとは察してくれとばかりに顔を火照らせながら駅へと急ぐと、「それじゃいつになるかわかんないじゃん!」と言いながらも、健吾の声は笑っていた。



T-ショック高校編第二弾、完結いたしました。

長くなってしまいましたが、いつもいつも最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございますm(_ _)m。拙くも今の自分の精一杯の作品、読んでくださる方の存在に励まされています。

今回はこのあとに祐司のエピソードがメインのお話がくっついています。来週からそちらが始まりますので、引き続きお楽しみいただければ幸いです(^^)。

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