地下へ
エレベーターで一階に下り、客を案内するスタッフや給仕係が行き交う廊下を奥へと進んでいくと、曲がり角のところに休憩用と思われる小さな空間があった。
特に人影はなく、隅に長椅子が置かれている。先を行く着物の姿は椅子の手前まで進み、あたりを窺うようにしばらく立ち止まってから、くるりとこちらを向いた。
「気分は。気持ち悪くないか」
あ。俊くんだ。
先ほどよりもずっと目尻のラインが柔らかい。してみるとあれはやはり零史を睨みつけていたということだ。
「ちょっと焦ったけど、少し飲んだだけだから大丈夫。すごいねその姿。全然わからなかった」
ホッとして笑いかけると、俊くんは再び厳しい目付きになった。
「このくらいできなかったら芳さんにあんな口はきけない。そんなことより過信するな。酒はあとから足にくるやつもあるんだからな。……あれほど油断するなと言ったのに」
「ごめん」
尚も縦ジワを寄せる美しい和装姿に頭を軽く下げると、彼は小さく息を吐き、手にしていた銀のハンドバッグを開けて中から小さな紙を取り出した。
「向井と芳さんの成果だ。この場で覚えろ」
渡された紙片を見ると、簡単な見取り図が書いてある。
「上に戻らなくていいの?」
詳しい全体像は教えられていないが、基本、僕は零史を引きつける役のはずだ。
「ここに到着する直前、先行の芳さんから連絡があった。上は総司さんにお任せして、おまえはおれと下地担当に変更だ」
俊くんはバッグのスマホをチラッと僕に見せてから蓋を閉めた。
「芳さんの話では、今日の様子だとおまえのほうが動きやすいということだ。ただ、この先の地下会場は電波が遮断されていて携帯端末は使えないらしい。だから暗記するんだ」
「……っ、了解です」
軽い緊張とともに紙片を見ると、そこには建物の略図が書いてあり、手前の二本線の真ん中に赤い線が引かれていた。線はやがて大きい四角を貫いて、その向こうの四角の縁を通りすぎ、幾つかの小さな四角の手前で止まっていた。
「その大きめの四角は地下のカジノ会場、奥の最初の四角がオークション会場、小さい四角が個室だ。今夜は奥の二つに明かりがついている。どちらかに柳沢亜美がいるだろうということだった」
頷きながら僕は順路を頭に入れた。
カジノ会場を突っ切るのか。
「裏口は見つからなかったの?」
「ある。が、三日では合鍵が手に入らなかった。行きは中から行くしかない。そもそもカジノ会場とその先の建物は普段、閉じられていて、オークションの当日だけ使うんだ」
ということは、どうでも突っ切るしかないわけだ。
緊張しながら紙片を俊くんに返すと、彼はそれをバッグに戻した。
「オークションまであと一時間。今日の出品は三つ、最初の二品は盗品の絵画、最後に『ビスクドール』の名目で彼女が出される」
「………」
それが何を意味するのかは僕でもわかる。
「芳さんが手に入れた出席チケットは一枚だ。それで潜入して彼女を連れ出し、裏口近くの路上で待機中の横澤に渡す。一応、警察にも話は通してあるが、彼女の今後を考えたら迂闊には頼れないな。時間があまりない。動けるか?」
指示を出す口調に、いつもの彼が着物姿に重なって見え、僕はどうにか気持ちを落ち着けて「はい」と返すことができた。
彼は再びハンドバッグからタブレットのケースを取り出した。
「これを噛んでおけ。ないよりはましだ」
手のひらに落とされたのは二粒のミントだ。口に入れると、それはすぐに爽やかな辛味とへと変わった。
廊下を引き返し、ロビー脇の階段を下へと下りていく。口を開けた地下への道は、偶然なのか他に誰もいなかった。
あれ。かなり下りるような……。
横を見ると、胡蝶の顔をした俊くんがそうだというように頷いている。この建物の地下は普通の一階ではなく、かなり下に作られているのだ。
秘密の……ということか。
二階分ほど下りたところで廊下に出ると、カーペットの向こうに大きな両開きの扉があった。両側にはなるほど、祐さんに匹敵する体格をした黒服の男が二人、番人のように立っている。
鼓動を抑えながら俊くんの半歩あとに従うと、扉の手前で右の男に呼び止められた。
「お客様。お名前を」
俊くんは小首を傾げると、頭ひとつ上にある男の顔を覗くようにして答えた。
「胡蝶どす。こちらは井ノ上総司様のお身内どす。旦那様はまだ上で楽しんでおられますよって、先に様子を見に参りましたえ」
男は一瞬、顔を赤らめたが、出された名前に気づいてハッと向こう側の男と目線を交わし合い、すぐに重厚な装飾が施された扉に手をかけた。
「失礼いたしました。どうぞごゆっくりお楽しみください」
そうして奥へと開かれた扉の先には、未だかつて見たことのない光景が広がっていた。
広い――!
特に大きいとも思えないビルだったので、麻雀ルーム的なものをイメージしていたのだが、二階のフロアに匹敵するような大広間である。そこに、これぞカジノ場と言わんばかりの遊戯台がところせましと置かれ、上のフロアにも劣らない大勢の人間が行き交っていた。
一番目につくのは壮年から年輩のフォーマルスーツを着た男性で、奥のカウンターでお酒を出すのか、中央の大きなテーブルを囲む客たちの雰囲気がどこか享楽的だ。煙草を燻らす彼らのそばには必ずといっていいほど薄い生地のドレスを纏った若い女性が侍り、ホステスよろしく歓声を上げては男性客にしなだれかかっていた。
どの女性も細身で美しく、黒髪、茶髪、中には金に近い髪色の白人に見える人までいる。
もしかして、あれが榑林さんの言っていたB級タレント。
よく見ると、周囲に散らばるカードゲームのテーブルには年輩の女性客の姿もあり、そこにはお洒落なスーツを身につけた若い男が付き添っている。華やかな雰囲気の男性が多く、いわゆるホスト的な仕草で飲み物の世話しているのだが、中には僕と変わらない年頃の男子もいて、これらはみな高山プロから派遣されてきたスタッフと思われた。
なるほどこの中に紛れれば、多少ウロチョロしたところで僕は目立たないだろう。
(エスコートしながらゆっくり進め。芳さんを探すぞ)
俊くんにささやかれ、軽く頷いて肘を曲げる。そこに手をかけた俊くんはグッと大人びた気配を纏うと、いかにも遊びにきたマダムといった様子で僕に身を寄せながら歩き出した。
その様子が堂に入っているからか、あるいは扉を抜けたことが身分証明になっているのか。すれ違う給仕係の青年たちは一瞬、俊くんに目を止めるものの、すぐに身を引き、頭を下げて離れていく。それは今の僕たちにはありがたいことだったが、逆にいえば、この場所ではむやみに顔を覚えないほうがいいのだと、給仕係たちが認識しているのだとも取れた。
ひときわ高い歓声が上がり、俊くんとともにそちらを見やると、中央の巨大なルーレット台で誰かが囃し立てられていた。
「凄いな。さっきからドンピシャじゃないか」
「まだ若いようだが、なかなかの度胸だ」
「どこの財閥の御曹司だって?」
「あれだよ、鎌倉の。あの美女も彼の連れだろう? 敗けが込んできたら譲り受けようかと思ったんだが、これではなぁ」
どうやら美女連れのセレブが一人勝ちしているらしい。
周囲を取り囲む大勢の客はみんなそちらに注目している。
しめた。この隙に真嶋さんと合流できれば。
(一気に抜けるぞ)
ささやいた俊くんが足を速めながら笑いをこらえている。
ん?
脇を通りすぎ様に目線を投げてみると。
あっ、あれはっ!
思わず足がつんのめりそうになり、咄嗟に腕を支えてくれた俊くんにもたれかかる。辛うじて歩を進めた僕は、壁際に寄ったところで俊くんを見た。
「あのっ……」
「騒いだらあきまへんえ」
彼は芸者よろしく袂を口元に寄せ、小首を傾げて婀娜っぽい笑みを浮かべている。僕は頬をひきつらせながら、人の輪の奥に見える華やかなソレを視野に入れた。
人々の視線が集中する先に、ひときわ輝きを放つ一対の男女がいる。
黒いタキシードにクロスタイをつけた男のほうは予想の範疇だ。
椅子に腰かけていてもわかる上背のある体躯。
オールバックに流した黒髪に彫りの深い顔立ち。
いつもより前髪が額に落ちかかっているので若干、印象が柔らかいが、友人や知人ならすぐに祐さんだと気づくだろう。
しかしその隣に侍る美女を知る者は、ここには僕たち以外、いないはずだ。
ハリウッド女優も顔負けのゴージャスなドレスアップ姿。
茜色に変えた髪はルーズアップにセットされ、小さなダイヤモンドであちこちが留めてある。そこからこぼれ落ちた後れ毛が、なめらかな頬や襟足にかかっているのがなんとも色っぽい。
周りの女性たちの殆どが、肩から胸元までを大胆に見せるオフショルダードレスなのに対し、彼女はワインレッドのレースが首までを覆うハイネックドレスである。しかしレースから透ける肩や胸元が、白い素肌をかえってなまめかしく見せていた。
長い睫毛に縁取られた瞳はヘイゼルで、祐さんに向ける眼差しはどこか夢見るようにけぶっている。スッと通った鼻筋の下にある赤い唇が笑みを浮かべると、それだけで周囲の男たちからため息が漏れ、女性たちの嫉妬混じりの目線が飛び交うのがここからでも見て取れる。さぞや名の知れた外国人女優、あるいはスーパーモデルだと思われている女性はしかし、僕には懐かしくも忌まわしい記憶を呼び覚ます姿だった。
アレ! アレは忘れもしない、僕の『お母さん』じゃないか!
かつて小学校の参観日の折り、保護者としての権利を停止された拓巳くんが、学校側への抗議の意味も込めて編み出した変装設定、『離婚して、アメリカでモデルをしているお母さん』のゴージャス版だ。
こ、こんなところで再び目にするとは……。
なるほど。これを考えていたから彼は自信満々だったのだ。
おりしもゲームが再開され、祐さんがテーブルに賭け金のチップを置いた。途端、周囲からどよめきが上がり、次々に男たちが腕を動かし始めた。周囲のざわめきから察するに、かなりの額を一点賭けしたようだ。
そうか。二人は僕たちのために周囲の目を引きつける役なんだ。
ルーレットが回る音がし、二つの玉を指に挟んだディーラーが、少し気取った振りをつけて盤上に放る。今度は外れたのか、手前の男女が手を上げて喜び、祐さんは椅子の背もたれに体を預けた。
すると拓巳くんとおぼしき絶世の美女が慰めるように身を寄せ、それを抱き寄せた祐さんが耳元に唇を近づけた。
ん? なんか、ちょっと。
何をささやかれたのか、笑みを浮かべた美女が彼の首筋に顔を埋め、そのまま胸元にしなだれかかる。すると周囲から羨望の呻きが漏れ、テーブルに視線が集中した。
「………」
スッゴく効果的だけど、いくら目的のためでも祐さん相手にあんなベタベタ、あのヒトにできたっけ……?
違う人? いやでもあんな美女そうそういるわけがと首を捻っていると、クイクイとスーツの裾が引っ張られた。
「はよ、行きませんと」
袂から覗く指先が示す方向を見れば、奥のコーナーに据えられたカウンターの一番隅に、目的の姿がグラスを傾けているのがわかる。隣には先ほど別れた敦さんも一緒だ。
ひとまず疑問を胸に納め、談笑するふりをしながら壁伝いに移動する。
「ごめんやす。遅かったやろか」
黒に近いダークグリーンのスーツを身につけた大柄な背中に呼びかけると、気がついた男がチラリとこちらを向いた。
茶色のウェーブ、彫り深く鋭角的なライン、薄茶色の瞳。真嶋さんだ。
あ。地獄で仏様に会うってこんな感じ?
あり得ないような図を見てしまったあとなので、見慣れた姿が妙に嬉しい。
ホッとして体から力を抜くと、口元で笑った真嶋さんが俊くんに言った。
「大丈夫だ。例の会場が開いた。途中まで誘導する」
うん?
いつもより声が低いのは、周りを警戒してだろうか。
「じゃ、ワタシはもう少ししたらさりげなく消えるわね」
コソリと小声で敦さんが言い、顔を戻した真嶋さんが頭を軽く下げる。どことなく違和感を覚えていると、彼はくるりと丸椅子を回し、床に足をつけた。
「和巳。扉を抜けたらおまえは胡蝶と一緒に目的地を目指せ」
「はい……」
小声で指示してくる姿は間違いなく真嶋さんのものなのに、どうにも違和感が拭えない。
そうだ。この口調。これってむしろ。
そうして立ち上がる姿を見上げると、記憶より拳ひとつ高い位置にある顔が口の端を上げた。
「バレたか」
やっぱり祐さんだ!
じゃあ、向こうのアレはっ?
ルーレットのテーブルを振り返ると、美女を胸に懐かせた黒髪の男は、レースに包まれた肩を撫でつつチップを手前に動かしている。
どう見ても祐さんにしか思えない横顔と、目に毒なほどの甘えっぷりを披露する美女に目を凝らしたとき、彼らのシルエットに別のシーンが被った。
ソファーでうたた寝する拓巳くんを、真嶋さんがヨシヨシしながら抱き起こす。
なかなか動かない体を支えて隣に座ったところに、寝ぼけた拓巳くんが擦り寄る。
(拓巳。ほら起きて。寝るならベッドだよ。ね?)
(……ヤダ。あったかいからここ……)
移動が面倒な拓巳くんが胸元にベタリと張りつき、真嶋さんが困ったなぁと肩を撫で……。
なるほどっ。
ハタから見たら羨ましくもお熱い男女にしか見えないが、拓巳くんは寝ぼけて甘えたときの動きを再現しているだけだ。
さすがは真嶋さん……!
作戦を実行するにあたり、祐さん本人が相手では拓巳くんの演技が物足りなくなると判断し、入れ替わったに違いない。
ナゾが解けて脱力すると、ちょっと笑った変装者二人は口元を引き締めた。
「行くぞ。ここから先、私語は禁止だ」
真嶋さんの格好をした祐さんを先頭にして、カウンターとは反対側になるフロアの隅に向う。そこには装飾の施された衝立が立てられ、二人の青年が番人よろしく左右に控えていた。
祐さんがチラッと肩越しにこちらへと目線を投げ、俊くんがそれに頷く。その内にも一人の男性客が近寄り、左側の青年に手の中の何かを見せてから衝立の向こうへと吸い込まれていった。
祐さんが衝立の奥へと歩を進めると、右側のライトグレーのスーツを着た青年が扉の前で止めた。
「お客様。カードのご提示をお願いします」
タレント志望なのだろう。なかなかに華やいだ容姿の青年に、しかし祐さんは頓着することなく扉のノブに手をかけた。
「お客様。あのっ……」
無視されるとは思わなかったか、華やかな顔立ちに焦りと困惑が浮かぶ。すると祐さんは振り返り、内ポケットから一枚の赤いカードを出して青年の目の前にかざした。
「失礼いたしました。どうぞ」
それを見た青年が頭を下げる。しかし俊くんと僕が続こうとすると、再び引き止められた。
「お客様もカードのご提示をお願いします」
さすがにスルーとはいかないようだ。
しかしドアを開いた祐さんは、俊くんと僕の肩を素早く押して中へと入れた。
「俺の連れだ」
「お、お待ちください」
制止には取り合わず、僕たちを押し出た祐さんは青年の前に立ちはだかった。
「なんだ」
そしておもむろにドアに手をつき、もう片方の手で彼の顎を持ち上げた。
「言ってみろ。下らない話なら容赦しないぞ」
脅し文句に聞こえるセリフながら、口元にはからかうような笑みが浮かんでいる。すると顎を仰向けられた青年の頬が一気に上気した。
こ、これって。
ドアは開いてるし相手は男だけど、いわゆる『壁ドン』では。
呆気に取られて見ていると、身動きできずにいる青年の顎を祐さんの手がゆっくりとなぞった。
青年が肩を震わせ、祐さんが目を細める。
〈T-ショック〉のユージは男が惚れる男。
まさか祐さんの伝説って、硬派のことだけじゃない?
「名前は?」
「…し、祥真です……」
「祥真。その二人は会場で遊んでいる伯父の預かり者たちだ。通してくれるな?」
「あの。でも」
祐さんはさらに屈んで彼の耳元に顔を近づけた。
「カードは伯父が持っている。取りに戻るのは面倒だ。……わかるだろう?」
ナニが?
突っ込みどころ満載だが、祥真と名乗った青年は熱に浮かされたように頷いた。
「いい子だ」
祐さんの手がすかさず首筋をなぞる。
な、なんだか胸ヤケがしてきたぞ。
吐息を漏らした青年がドアの縁にもたれると、耳元から少し顔を上げた祐さんはささやくように言った。
「覚えておく。祥真」
そして手を放すとこちらを振り向き、僕たちを通りすぎて先へと歩き出した。俊くんが動じる様子もなくサッとあとに続く。
えー。祐さん、祐さんって。
遅れないように足を早めながらも、ケッコンする気配がないのはまさか……などと心乱れていると、少し先の角を曲がったところで祐さんが足を止めて振り返った。
「どうした和巳。顔が赤いぞ」
いつもより柔らかい外見が別の色香を醸し出しているように見えてくる。
「いえっ。あの」
わけもなくドギマギしていると、彼は口元に笑みを浮かべて僕に顔を近づけた。
「脈ありか。なんなら新境地を開拓してやるぞ」
えっ! ちょ、ちょっと……っ。
すると横から伸びた手のひらがシャープな線を描く頬をビシッと叩いた。
「いい加減にしとくれやす。向こうに人がいてはりますえ」
胡蝶の口調に直した俊くんが、迫力ある目線で祐さんを見上げている。
今の。かなり痛そう。
「冗談だ」
笑いながら姿勢を直した祐さんが通路の先に目を向ける。つられて見やると、突き当たりの扉の前で数人の客が談笑していた。多くは男性客だが、中には女性の姿もある。
矛を納めた俊くんが僕にささやいた。
「あの中には、結構なギャラリーのバイヤーもいるんだ」
それは驚きの情報だ。
「盗品なのに?」
「まともな手段では絶対に手に入らない。だからこそ欲しくなる。美術品も、人もな」
「………」
言葉を返せないでいると祐さんが言った。
「あの部屋の前を過ぎたあたりの右側に細い通路がある。その先が目標の控え室のはずだ。おまえたちは合流するふりをしながらうまく通路に逸れていけ」
「祐さんは一緒じゃないんですか?」
「俺はあの部屋に用がある。おまえは亜美を連れ出すことだけに集中しろ。裏口までは距離があるはずだ。油断するなよ」
「はい」
打って変わった真剣な表情に気を引き締める。俊くんも気配を切り替えて言った。
「祐司も気をつけてくれ」
「ああ」
頷いた祐さんは足を踏み出した。
その背中に従い、人影に近づいたところでさりげなく距離を取る。扉の前にはそこだけ階段の踊り場のような空間があり、談笑する男たちの他にも男性や女性がちらほらと立っていた。
違法だとわかっていても客は尽きないようだ。
俊くんが僕の腕に触れつつ移動を開始する。
人を避け、壁伝いに進みながら、少し先にある曲がり角へと近づいていく。様子見のためしばらく壁際に佇んでいると、扉の前にたむろする一群からざわめきが漏れた。
オークション会場が開いたのだ。
人々が開かれた扉に注目する。
(今だ。行こう)
俊くんが先に立ち、右側に口を開けた通路へと逸れる。入り込んだ細い通路には、幸い人影がなかった。
先に進むにつれて物が置かれだし、だんだん裏方の様相を呈していく。目的の場所に辿り着く頃には幅がかなり狭くなっていた。
(そうか。この通路は普段、使ってないんだな)
真嶋さんの説明を思い出していると、俊くんが右斜め前方を指差した。
「ほら、突き当たりの右側が目的の部屋だ」
示された先には、狭い通路の奥に二枚のドアが並んでいて、どちらの扉も隙間から光が漏れていた。
「どっちだろう」
「確認するしかないだろうな。行くぞ」
俊くんは素早く扉に近づくと、まずは右奥のドアノブを回した。
カチッという音とともにドアが内側に開く。彼の後ろから中を覗くと、薄明かりに照らされた、たくさんの洋服が目に飛び込んできた。
どれもビニールがかかった、華やかなドレスやフォーマルのスーツだ。
「これは、接客タレント用の衣装……?」
室内には人の気配はなく、奥の壁際にはカーペットの上にタンスが置かれている。僕たちはドアを閉め、慎重にタンスのほうへと近づいた。
「和巳。見ろ」
先に立っていた俊くんが僕の腕をつかむ。彼の目線をなぞるとタンスの奥にドアがあり、下の隙間から隣の部屋の明かりが漏れていた。
なるほど。ここは衣装部屋で隣が控え室なんだ。きっと支度を済ませた亜美がいるに違いない。
目線を戻すと、同じ考えに至った様子の俊くんが僕に頷きかけ、少し緊張した表情でドアノブに手を伸ばした。
「待って」
僕はその手をつかんで止めた。
「先に行かせてほしい」
彼は一瞬、息を飲むような顔をした。
僕は彼の手を両手で包み直した。
「亜美さんはきっと怯えている。まずは知った顔を見せて安心させないと」
その姿じゃ彼女には誰だかわからないよと微笑むと、俊くんはホッと息をつき、頷いて手を握り返してきた。
その手をそっと離し、ドアノブを握って慎重に隙間を作る。抑えた照明が照らす室内の中央には、こちらに背を向けて丸椅子に座る小柄な姿があった。
――亜美さん……!




