意外な事実
「俺はなにも、零史とやらの店に一緒に乗り込んでやるよとか言ったわけじゃないっての。順を追って説明するからちゃんと聞いてくれよな」
Gプロビルの二階にある小会議室の中。テーブルに着いた向井が、正面に座る拓巳くんや俊くんに向けて切り出すと、横合いから「前置きはいいから早く話しなよ」と不機嫌な声が飛んだ。
向井は斜め前の祐さんの隣を嫌そうに見、人差し指を立てた。
「突っ込まないでもらえますかね、藤沢さん。これは真剣な会議であって、あんたのトークショーじゃないんで」
「なんだって⁉」
目を吊り上げたコースケさんを祐さんが「まあまて」と宥める。
僕はその正面、俊くんと拓巳くんに挟まれた席で大人しく見ぬふりをしつつ、この面子で大丈夫なのだろうかと内心で危ぶんだ。
あの日、病室で渡辺先生に叱られた大人たちは、ひとまず僕のタンコブが直るまで話を保留にした。
「いいかね。拓巳君の心配は大げさじゃないんだ。一応、帰宅して構わんが、せめてあと一日は静かに過ごすこと」
その場で僕の頭を診察した渡辺先生は、白髪の混じった眉をひそめて釘を刺し、青ざめた拓巳くんが「話はヤメだ! 帰れ帰れ」と向井を蹴散らして、その場からカッさらうようにして僕を連れ帰った。
その日の午後と、次の日はバイトを休んで過ごし、三日目にあたる土曜日の今日、たいして痛まないということで、俊くんと祐さん、真嶋さんのお膳立てでGプロの会議室を借り、これまでの調査報告を兼ねて方針を定めるべく、関係者を呼んだというわけだ。
その中で今、コースケさんと向井が角突き合わせているのにはわけがある。
祐さんからロックバンド仲間の情報を頼まれたコースケさんは、しばらく探った結果、問題の男を探すには、現在の新人や実力のある若手アマチュアバンドを知る必要があると考えた。しかし自分の仲間の多くはすでにベテランで、人材に苦慮した結果、未だアマチュアバンドに縁がある向井に白羽の矢を立てたのだ。
しかし向井は協力を渋り、業を煮やしたコースケさんはもとの依頼人が祐さんであることを明かした。すると彼は態度を翻して承諾し、しかも、
「じゃ俺、報告はユージに直接入れますんで」
と言ってさっさと真嶋さん経由で祐さんに連絡を入れた。結果「なんてやつだ!」とコースケさんが憤慨し、今に至っているという。
「まずは例の金髪野郎の身元から」
向井は手慣れた様子でスマホを操作すると、ちょっと咳払いしてから読み上げた。
「荒木洋一、二十七歳。神奈川区出身。調理専門校を経てフリーター歴七年。高校時代からロックバンドのベーシストとして活躍するも、短気で仲間とのトラブルが多く、バンドを渡り歩いて今に至る。もう一人の男は石田達也。高山プロダクションが抱えるバックバンドのギタリストの一人で、荒木とは高校の同級、アマチュアバンドで一緒だった時期があると。ここまではいいでしょうかね」
テーブルを囲む面々――祐さん、コースケさん、真嶋さん、俊くん、僕と拓巳くん、そして沖田さんがそれぞれ頷いた。
「荒木は地元のバーやレストランの厨房でバイトをすることが多く、例の写真にある関内のクラブにも勤務経験があるらしいっすね。今も関わりがあるのかはまだつかめてないが」
祐さんが質問した。
「荒木が現在働いている場所、あるいは頻繁に出入りしているところはわかったのか」
向井はニヤリと口元に笑みを浮かべて答えた。
「それこそ俺が首を突っ込んで助っ人を言い出した根拠っすよ。荒木はつい最近まで俺の教え子が働いている石川町の店でバイトしてたんだ」
「石川町ってまさか」
真嶋さんがハッと顔を上げると向井は得意気に言った。
「もうひとつのご依頼の店です」
「……っ!」
「それは本当か」
真嶋さんが目を見張り、祐さんの目が鋭くなる。
よくわからずに目を二人に泳がせると、正面の祐さんが僕を見た。
「『クラブ・バール』だ」
「えっ!」
零史が預かる店の名である。
拓巳くんが身を乗り出した。
「それは、零史と荒木が繋がってたってことか」
真嶋さんはこちらに目線を転じた。
「そこまでは言えないかもしれない。けど十中八九、依頼主は高山だと思う。実は、高山プロダクションに関することでは重要な発見があったんだ」
彼は手元のスマホを操作し、何かを探して確認しながら続けた。
「和巳の話では、零史は高橋要の紹介で、高山プロから人材派遣の協力を得ているということだったね。あの会社は前から暴力団との繋がりを噂されているんだ。で、高橋要も裏社会に顔が利く。そしてこの」
真嶋さんはスマホの画面を操作し、祐さんが前に見せてくれた荒木と黒スーツの男の画像をこちらに見せた。
「暴力団との関わりが噂される高級クラブ。この三つには別の繋がりがあったんだよ」
そこで真嶋さんはためらうように僕の両隣を見た。
「……なんだ芳弘。別の繋がりってのは」
拓巳くんが促すと、真嶋さんは一旦、口を閉じてから思い切ったように切り出した。
「このクラブのオーナー、有坂剛と高山プロの現社長、高山繁。この二人はその昔、高橋要のホスト時代の顧客だったんだ」
「………っ!」
拓巳くんと俊くんが絶句する。そのただならぬ様子にコースケさんと向井が驚いた。
真嶋さんが二人に説明した。
「高橋要という男が、拓巳の書類上の父親だってことは前に二人にも話したね。この男はクラブ経営者になる以前、自らが横浜で名を馳せた凄腕のホストだったんだ。顧客は富裕層の男女問わずで、通いつめるセレブが引きも切らなかったとか」
その凄腕ホストはやがて若くして店を立ち上げた、と真嶋さんは目線を宙に投げた。
「そのときの出資者が有坂剛。彼は暴力団に資金提供して得た土地にビルを建てていて、そのうちのひとつに要の店を用意した。そして人材調達に一役買ったのが高山繁。彼は親から継いだ小さな芸能事務所の売れないタレントをクラブに貸し出すことで、自らも資金を稼ぐようになった。この手法は今も続けられていて、底辺のタレントがあちこちのクラブに貸し出されている。石川の要の店も同じ。それを今は零史が代理として管理しているんだよ」
あ、だから。
「じゃあ、あの人の紹介で、っていうのは」
「そう。紹介じゃなくて仲介。高山プロはタレントたちの上がりをピンハネして収入を得ている違法ギリギリの会社なんだ。荒木は石田達也の紹介で勤めだしたと思われるから、零史とはただの雇用関係しかないかもしれないけど」
「仲介……」
だから零史が拓巳くんに喋ったとき、高山マネージャーは嫌そうな顔をしたんだ。
「きっと中には詐欺まがいの契約で働かされている子もいるだろうね。亜美さんのように売れれば、また違う道が開けるわけだ」
真嶋さんが付け足すと、向井が真剣な面持ちで言った。
「俺の幼馴染みの兄貴も、そういう風にピンハネされた一人だった」
「えっ!」
不意討ちのような発言にみんなが驚く中、向井ははす向かいに座るコースケさんに顔を向けた。
「藤沢さん。あんたなら梁瀬孝晃って男を覚えてるんじゃないか?」
「ヤナセ、タカアキ……」
首を傾げるコースケさんに向井は付け足した。
「仲間はベースのタキって呼んでた」
「……っ」
途端、コースケさんはギョッとした顔になった。が、意外にもその名前に反応した者が他に二人いた。
「ベースのタキ! 横浜のアマチュアナンバーワンベーシスト」
先に声を上げたのは俊くんで、次いでテーブルに身を乗り出したのは祐さんだった。
「タキとおまえは知り合いなのか」
珍しく声が少し高揚している。
向井が頷くと、拓巳くんが祐さんに訊いた。
「タキって誰だよ」
祐さんは自らを落ち着けるように足を組み換え、姿勢を直した。
「タキは俺よりひとつ下のベーシストだ。俺と違って仲間に慕われたタイプだったと思う。だがメンバーのレベルが釣り合わず、コンテストでは結果を残せなかった」
彼が言葉を切ると、俊くんが僕に説明した。
「ベースギターは一見、地味だけど、バンドのレベルを左右する大事な楽器なんだ。タキの技術はプロ並みで、周囲のスカウトがバンドを変えるよう、説得してるのをよく見かけた。おれも何度か探りを入れたことがあるんだが」
俊くんは拓巳くんをチラッと見てからため息を吐いた。
「残念ながら、美人にめっぽう弱いってことがわかってな……迷ってるうちにデビューが決まって、まずは三人でやってくことになったんだ。しばらくは未練タラタラだったよ」
それを聞いた向井は、どこか感慨深げな顔になった。
「嬉しいねえ……。ロック界に君臨する横浜の星が、二人してアマチュアで消えた男を覚えていてくれたなんて」
「アマチュアでって……タキはその後、デビューが決まったはずだ。大物シンガーがバックバンドにスカウトしたって聞いて諦めたんだぞ」
「俺もそう聞いている」
俊くんと祐さんが口々に言い、向井がなんとも切なそうな顔になる。するとコースケさんが祐さんを見上げた。
「君たちはデビューしてから一年くらいてんてこ舞いだったでしょ。だから知らないと思うけど、タキはプロにはなれなかったんだよ」
祐さんが顔を向けると、彼はやや俯き、ポツポツと言葉を継いだ。
「僕がお笑いの世界に入る前だから、君たちがデビューしてから二年くらいってことになるのかな。タキは突然、死んでしまったんだ」
「え……っ!」
「どういうことだ」
俊くんが言葉を失い、祐さんが僅かに目を見張る。コースケさんは顔を上げた。
「詳しいことは知らない。僕はたまたまそうなる前に彼と話す機会があって、デビューのことを聞いたら、困った顔で『義理ができたからその前にちょっと金稼いでくる』って言うから、またどこかの美女に引っかかって厄介なことになったんだなとか思ったんだけど」
コースケさんは肩を落とした。
「僕も自分のことで手一杯だったから、彼とはそれっきりで」
おまえは親しかったのかとコースケさんが顔を向けると、向井はほろ苦い笑みを浮かべた。
「兄貴の弟が俺と同い年で、隣近所の俺たちはいつも一緒だったんだ。音楽趣味が似たせいか、俺は孝兄とのほうが気が合った。兄貴は闊達で情の厚い男だったけど、話のとおり美人に弱くてメンバーにもしょっちゅう迷惑かけるんで、よく説教しにいったよ。そのときも、フリーだと思ってた女がヤロー付きだったって話で、普通なら落としまえに相手から殴られて終わりだったと思う。問題は、女が高山プロの所属タレントだったってところだな」
「なんでだ。売れてるアイドルだったってことか」
拓巳くんが顔を向けると向井は『悪いな。さすがに素顔はキツいわ』と目のあたりに手をかざしながら答えた。
「いや。今はお偉い女優様だが、あの当時はただの新人だったはずだぜ」
「女優?」
「白川皐月だよ」
「えっ!」
その場の全員が絶句する。向井は目線を避けるように顔を逸らした。
「タキは白川皐月と付き合っていたのか」
祐さんが訊ねると彼はどこか苦い面持ちで頷いた。
「多分。ただしあの頃の彼女はそんな名前じゃなかったですがね」
すると拓巳くんが気がついたように言った。
「おい。まさか子タレ……じゃない、柳沢亜美の父親って、その兄貴とやらなのか?」
「あっ……!」
僕はつい声を上げてしまった。
そうだ。亜美さんは私生児という触れ込みだったじゃないか。
しかし向井は冷めた目で口元を歪めた。
「あの女は孝兄がいるときから二股かけてた。死んでからだってずっと高山プロにいた。もし兄貴の子なんざ妊娠したら、さっさと堕ろしただろうさ。多分、相手はのし上がるときに利用したお偉いさんの誰かだろうよ」
「………」
拓巳くんが鼻白む。向井は構わずに続けた。
「俺が知ってるのは、デビューの話が持ち上がった兄貴がバンドと揉めて抜けたこと。その後ホストクラブでバイトすることになって、それが高山プロの指示だったってこと。その話は女絡みだったってことだ」
自業自得なんだけどさ、と向井がため息を吐くと、額を押さえたコースケさんが言った。
「事故で亡くなったって聞いたよ。でもヤクザ絡みっぽいから近づくなって」
「そうなのか」
祐さんが問い質すと、向井は首を横に振った。
「わからない。ただアパートを訪ねたとき、すごく疲れた顔していたのは覚えてる。そんである日、弟からいきなり『兄貴が階段から落ちて死んだ』って連絡がきて」
「転落死……」
俊くんがつぶやき、向井は何かを思い切るように首を振った。
「病院で見た痣や打撲は、どうみても転落しただけには思えなかった。けど弟は事故だとしか言わなくて、すぐに家族葬されちまったからそれ以上のことはわからなかった」
ただ、と向井はテーブルについた手を拳に握った。
「兄貴が店の裏で、スタッフらしい男たちに痛めつけられていたのを見たって仲間がいたんだ。だから俺はきな臭いことに巻き込まれたんだろうと思ってる」
そして目線を宙に向け、独り言のように言った。
「俺にとって、高山プロダクションは鬼門になった。以来、仲間や生徒が巻き込まれないよう、繋がりのある店には常に注意を払っていたんだ」
「じゃあ、おまえが任せてくれと言ったのは」
俊くんが目を見張り、向井は元の不適な笑いを口元に浮かべた。
「石川町の〈バール〉は二年前からチェックリストに入ってるのさ。高山プロからあの店には常時四、五人くらいのタレントが来ている。そんで今、俺の塾時代の教え子が一人バイトしてるんだ。店主から話を聞き出すより早く、俺には荒木を捕まえることができるぜ」
「………!」
俊くん、そして拓巳くんが驚きと理解の眼差しを向け、向井はどこか照くさそうに笑ってから僕に向き直った。
「俺はそいつの高校卒業にちょっとばかり手を尽くしててな。事情を話したら協力を約束してくれて、一昨日から探りに入ってる。埒が明かなければ外でふんじばる手筈もしておいた。だから俺に任せておけよ」
「――……」
強い覚悟を持って零史と対峙するつもりでいたのだ。
そこに大きく立ちはだかられてつい眉間に力を入れると、向井は厳しい眼差しになって言った。
「いいか。あの店は普通じゃない。俺がここまで首を突っ込んだのもそれを伝えるためだ。店主から直に聞き出してやるって心意気はわかるが部が悪すぎる。これ以上の心配を父ちゃんや師匠にかけるのは感心しないぜ」
場所柄を配慮してだろう。師匠と言いながらも目が「恋人に心配かけんな」と訴えている。
体の震えを押さえるのに必死だったつい先日の零史との邂逅。
あのとき、拓巳くんや俊くんが庇ってくれなかったら、果たして僕はあの男の前で背筋を伸ばし続けていられただろうか――。
情けなさにうなだれると、隣から慰めるような声がした。
「おまえはまだ立派だぞ。俺なんか、やられるたんびに現実逃避したんだからな」
すぐに反対側からも声がかかる。
「そうだぞ。おまけに幼児退行までしたんだぞ。お陰でそこそこ素直だったのがすっかりひねくれちまって」
「おい。そこまで言うか」
「事実だろう」
だんだん妙な、けれども馴染みの気配が漂い始め、つい涙混じりの苦笑を浮かべていると、ふいにテーブルの前方で電子音が鳴った。
「あ、悪い。俺だ」
テーブルに置かれたスマートフォンの画面を見た向井の顔に緊張が走る。
もしかして店関連のことでの連絡なのか。
みんながスマホを取り上げる向井の姿に身構えたとき、今度は会議室のドアがノックされた。
「すみません。沖田さんか和巳君はいますか」
申し訳なさそうに、けれどもどこか焦った様子でかけられた声には聞き覚えがある。
「あ。もしかして」
慌てて席を立ち、ドアを開けた先には、つい去年までサブマネージャーとして一緒にいた横澤浩之さんが、ひょろりとした痩身にふさわしい骨ばった顔に困惑したような表情を浮かべて立っていた。
「ど、どうしたんですか横澤さん。あ、沖田さんのほうがいいですね」
「いや、君でいいんだよ和巳君」
「僕ですか?」
「ごめんよ会議中に。あの、柳沢亜美ちゃんのことなんだけど……」
「ああ」
僕がタンコブを作っている合間に、亜美のマネージャーは横澤さんに決定したのだ。
チラリと室内に目線を投げると、相手が横澤さんだったので警戒を解いたようで、みんなは向井に注目している。
「そういえば今日明日にも来るんでしたね。喘息に関しての注意はデータで用意してあります。すぐに送ったほうがいいですか?」
九月まで残すところあと五日。亜美への対応策はすでに編集してある。
送信しようと僕もスラックスのポケットに手を伸ばすと、横澤は「ありがとう。けどそれじゃなくて」と手のひらで遮った。
「亜美ちゃんて、約束や時間にルーズなタイプ?」
「えっ? そんなことはないと思いますけど……」
以外な質問に目をぱちくりさせると、横澤さんは困ったように耳の上を掻いた。
「そうか……じゃあやっぱり行き違いかな。実は今朝、このビルの前で顔を合わせる約束になってたんだけど来なくって。連絡もつかないからどうしたもんかと思ってね」
「朝って……いったい何時頃に」
「ん―、九時って約束したつもりだったんだけど」
思わず会議室の壁にかかった時計を見ると、針はまもなく十一時に差しかかろうとしている。
横澤さんがバツの悪そうな顔をした。
「本当なら、今日はまだ移籍の日じゃないんでしょう? けど社長の指示で早く準備することになったって。俺、引き継ぎでバタバタしてたから、日にちを勘違いしたのかもしれないと思って」
彼女の予定、何か知ってたら教えてほしいんだけど、と言われてつい聞き返す。
「あの、社長さんに確認は?」
横澤さんは声を潜めた。
「いや。もし今日が約束の日だったら、理由がはっきりしないうちに報告しちゃうと気の毒じゃん?」
「……ああ」
何らかの事情があってのことなら内々に済ませてあげたいということだ。
いかにも横澤さんらしい気遣いに感じ入りながら、しかし僕も考え込んでしまった。
彼女は先週の歌番組でグループを引退したはずだ。けど、詳しい日程状況となると……?
「すみません。八月で引退とは聞きましたけど、前の事務所との契約が何日までなのかは僕も知らなくて」
ところが横澤さんはこう言った。
「ああ、それは昨日のはずだよ」
「そうなんですか?」
「うん。前に社長が向こうの榑林マネージャーに確認したって」
「………?」
ますます自分に聞かれた意味がわからずに戸惑っていると、横澤さんがこう付け加えた。
「ほら。売れっ子アイドルってまとまった休みが取れないから、こういうときに旅行とか行くでしょ。だから、亜美ちゃんも計画があったのかなと思って。心当たりないかな」
「ああ」
個人的な情報のことだと飲み込めて僕は首を横に振った。
彼女は自分の居場所を探して必死だった。フリーの期間など不安なだけで、むろん旅行など論外だろう。
それに確か、前倒し自体が榑林さんからの申し出だったはずだし。
「亜美さんは律儀で努力家の子です。体調管理にも気を使っていたので、仕事を前倒しした状況で旅行は考えないと思います。連絡がつかないとなると……あ、」
ハッと顔を上げると、彼も気づいたように目を見開いた。
「もしかして体調が悪いのか。電話に出られないほど……?」
二人で顔を見合わせたそのとき。
「なんだって?」
後ろで電話を受けていた向井が突然声を上げ、そしてガタッと椅子から立ち上がってこちらに目線を向けた。僕は咄嗟に「すみません、入ってください」と横澤さんを会議室に引き入れた。
つい去年まで一緒だった人だ。今回の事情が知れても大丈夫だろう。
それを後押しするように真嶋さんがこちらに頷きかけ、立ち上がった沖田さんが向井を指差しながらこちらに歩み寄る。交代するように横澤さんから離れてもとの席に戻ると、何かを指示した様子の向井がスマホを切った。
「なんだよ。何かわかったのかい?」
なおもスマホを見つめたままの向井にコースケさんがテーブルをトントン叩いて促すと、彼はようやく言葉を発した。
「……俺の元生徒が、荒木から話を聞きだせたって言うんだが……」
どういうことだ? と首を傾げる向井にコースケさんはバシッと机を叩いた。
「じれったいな。早く聞いたままを言いなよ!」
向井はチッと舌打ちすると、仕方なさそうに口を開いた。
「依頼主は高山プロの跡継ぎ息子じゃなかった」
「なんだって?」
以外な内容にみんなが注目する。彼はこう続けた。
「石田達也を介して話を持ちかけてきたのは、あの男が世話を焼く女優、つまり白川皐月のほうだそうだ」
「えっっ!」
僕とコースケさんが同時に声を発し、その他の面々も驚いたように体を揺らした。
「白川皐月がなんで雅俊を」
拓巳くんが首を傾げ、俊くんがつぶやく。
「あの女の望みのために、おれが邪魔だった……?」
「娘さんを追い払うこと? いやでも別に君には移籍の決定権なんてないんだから、排除の理由にはならないんじゃないかな」
現に君が不満を漏らしても社長は意に介さなかったし、との真嶋さんの言葉に他のみんなも頷く。僕は零史の言葉を反芻した。
『半年くらいステージに立てないようにしてくれ、だって。物騒だねぇ』
そういえば歌謡祭で鉢合わせたとき、彼女は俊くんが僕の出世を妨げていると非難した。確か榑林さんから聞いたと言って。いやでも。
考え込んでいると、向井がこう続けた。
「もうひとつ気になることを言っている。『このことは高山マネージャーには内密で』と」
「高山に内密?」
真嶋さんが聞き返し、祐さんが顎に手を当てて考え込む。僕はつい声を上げた。
「そんな。だってあの人、俊くんを見て『ピンピンしてんじゃねえか』って言ったんですよ。おかしいじゃないですか」
すると真嶋さんが「そうか」と顔を上げた。
「そのセリフは依頼した成果が上がらなくてぼやいたんじゃなくて、マネージャーの立場で言ったんだ。Gプロから抗議がいったから、それに対してのリアクション」
「ああ。つまり雅俊の様子を見て、抗議されるほど悪くは見えないって思ったわけだな」
拓巳くんが答え、真嶋さんが頷く。
「会社は認めなかったのに榑林さんが謝罪しているから、それに対しての愚痴でもあったと思う。いずれにしてもこれでひとつはっきりした」
「なにが?」
俊くんが真嶋さんのほうに体を向けると、彼は薄茶色の目をキラリと光らせた。
「白川皐月と高山肇は、同じ目的では動いてないってことだよ」
「……どういう意味だ?」
拓巳くんが眉根を寄せると、コースケさんがパッと顔を上げた。
「雅俊くんを襲わせた理由は、高山プロの思惑とは関係ないってことですね?」
真嶋さんは生徒の答えに満足した教師のような笑みを浮かべた。
「そう。僕たちは、これは高山肇によるプロダクション絡みの何かだと考えていたんだけど、それは間違いなんだ」
「でも僕が抗議したら、すぐに亜美さんの契約を盾に取って脅してきましたよ?」
その辺りの記憶を掘り起こして説明したが、真嶋さんは否定した。
「高山マネージャーにとって、一連の事件は偶然の産物で、契約の件はたまたま状況が転がってきたから利用しただけなんだ。ああいったタイプにはありがちだよ」
「拾った脅しネタはすべて使う――ヤクザの常套手段だな」
頷いた祐さんが声を低める。真嶋さんは祐さんに目をやってから息を吐いた。
「けど困ったな。これじゃ本人に当たらない限り、他の誰かに依頼してるかどうかなんてわからないよ。高山肇だと思ったから、あの会社に関わる暴力団の下っ端あたりだと見当をつけて話も通してあったんだけど」
かなりがっかりした様子にとある推測が浮かぶ。
きっとあれだ。真嶋さん懇意の刑事さん。この機会に一網打尽にするよう、話をつけてあったに違いない。
向井に質問を続ける姿に、ちょっぴり背筋を震え立たせていると、今度は自分のスマホがポケットで振動した。
会議中、それも取り込み中なので、確認だけのつもりで少しだけ引き上げて画面に目をやると、『榑林』の文字が浮かんでいた。
「……っ」
一瞬、ドキッとし、すぐに思い当たる。
あっ、そうか。亜美さんの件だ。
慌てて席を立ち、ドア近くに立つ横澤さんと沖田さんに歩み寄りながら電話に出る。
「榑林さん。ちょうどよかった。亜美さんのことですよね。今ここにマネージャーが」
いいかけた言葉を遮るように耳に届いたのは、予想以上に切羽詰まった声だった。
『すみません、高橋さん。あの、少々確認させていただきたいのですが、亜美はそちらへ伺ってますか?』
「―――」
問いかけられた内容に思わず声が詰まる。
伺ってますかだって?
「榑林さん。今日って亜美さんがこちらのスタッフと顔を合わせる日でいいんですよね?」
咄嗟に聞き返すと、榑林はすぐに受け答えた。
『そうです。あいにく私は同行できませんで。新しいマネージャーさんの電話番号を知りませんのでひとまず高橋さんに連絡した次第です』
もし別の仕事に入っていらっしゃったなら申し訳ないですがと付け足され、つい横澤さんに目を向けてしまう。
「榑林さんか。なんだって? やっぱり具合が悪くなってたのかい?」
ホッとしたように肩の力を抜く横澤さんに首を横に振り、僕は電話に答えた。
「いえ。こちらには来ていません。今、ちょうど担当者と話していたところなんです。もしかしたら具合が悪いんじゃないのかって」
電話の向こうが沈黙する。僕はなんとなく不安になった。
「あの、自宅で動けなくなっているってことはありませんか?」
様子を見に行ったほうがいいのでは、と続けようとすると、榑林の声が震えた。
『しまった……』
「は?」
一瞬、言葉が頭に入らない。するとスマホの向こう側でなにやら音がし、直後、榑林が焦ったような声で告げてきた。
『失礼しました。また連絡させていただきます』
「ち、ちょっと待ってください!」
僕は咄嗟に声を上げた。こちらを振り向くテーブル席の面々が目の端に映るが、構ってなどいられない。
「しまったってどういうことですか。理由もなく約束をキャンセルされれば担当者は社長に報告するしかなくなりますよ!」
電話の向こうで榑林が息を飲む。僕は一気に畳みかけた。
「今ならまだ内々に済ませられると担当者も言ってます。何か事情があるなら教えてください。そのほうが亜美さんのためです!」
『……っ』
喉に詰まったような音のあと、思案する気配が漂う。
これは、少なくとも亜美さんの身に何か異変があったに違いない。
榑林の決断を待つべく耳をそばだてると、ふいに手のひらからスマホが消えた。
あっ……。
目で追った先には、いつの間に来ていたのか、真嶋さんが僕のスマホを耳に当てていた。
「榑林さん、聞こえますか。真嶋です。亜美さんの所在がわからないようですね」
穏やかな口調なのに、どこか獲物に食らいついた肉食獣の感がある。
「――ええそう。先日の小倉の件でちょっとお力添えをいただきたくて。もちろん亜美さんの件は内密に済ませられるよう協力は惜しみません」
うわ、素早い。
さすがはトラブル処理の実力者。交換条件で情報を引き出すことを咄嗟に思いついたらしい。
幾ばくかのやり取りを経た真嶋さんは、確認するように地名を繰り返してから通話を切り、テーブルの面々に向かって呼びかけた。
「ここでああだこうだ意見を並べるより、本人に直接聞いたほうがいいよ。榑林さんなら伝手があるかもしれない。亜美さんのことも気になるから早く行こう」
「まさか白川皐月を呼び出させる気か」
祐さんの質問に真嶋さんは口元で微笑んだ。
「交渉次第だろうけどね」
「わかった」
祐さんが頷き、俊くんが席を立つ。拓巳くんがそれに続きながら真嶋さんに質問した。
「子タレはどうしたんだ。榑林はなんて?」
向井やコースケさんも目線を向ける中、真嶋さんは手を軽く振った。
「わからない。ただ、何か不測の事態が起こったことは間違いなさそうだ」
そして沖田さんに向き直った。
「雅俊の件は詳しい情報がわかり次第、報告します。今日のスケジュールは明けてあるんですよね?」
「はい。大丈夫です」
「横澤さん。取りあえず亜美さんは具合が悪くなったことにして行動してください。極力社長には内密に」
「はい」
トラブル対処モードに突入した真嶋さんに対し、ともに幾多の修羅場をかい潜ってきた二人のマネージャーは逆らわない。
ドアを開ける真嶋さんのあとに続きながら、僕は横に並んだ俊くんを見やりながら考えた。
亜美さんはどこへ。
そして白川皐月の目的とは一体――?