7.ファンタジーフロンティア
それは、ゼロ粒子――通称『魔素』の研究の過程より見出された副産物だった。その意味において、その研究は失敗したと言っても良いだろう。
結果として完成した物は、独自の物理演算システムだった。それも、かなり特殊な。
そのシステムは一見して、目を見張るほどの出来だった。現実世界と遜色なく稼働し、既存のシステムを遥かに凌駕しているように見えた。研究その物は失敗したが、大きな成果が得られた、かのように見えた。仮想シミュレーションにも耐えうるものだと。
しかし、すぐに欠陥が見つかった。
シミュレーションのデータと実測データには大きな隔たりがあった。それは現実のように振る舞っていたが現実ではなかった。システムを走らせると何故かデータに偏りが生まれるのだ。リアルのデータとも、他のシステムが弾き出すデータとも異質な。
システムは緻密にリアルを表現する。しかし何故か、最後の最後でデータが捻じ曲がる。長らくその原因は不明なままだった。
研究者は検証を幾度も重ねて、ある答えにたどり着いた。データの結果を歪めているのは、観測している研究員自身なのではないだろうか。研究員の観測が、その世界を歪めているのではないだろうかと。
何故そんなことが起こるのか。このシステムは、観測者の願望を感じ取って表現する世界に反映させていた。研究員はそう結論付けた。
次世代のスパコンとして進められたプロジェクトはそこで頓挫してしまった。勝手にデータを歪めてしまうシステムに、シミュレーションシステムとしての仕事ができる訳がなかった。それは致命的なバグであった。
そして、このシステムは一時捨て置かれることになる。研究費は打ち切られ、人々の記憶からも忘れられていくはずだった。
その世界は、観測者の思い通りに世界を作ることができる。その影響力は、意識、無意識に関わらず、強大な物だった。世界は鋭敏に反応し、観測者の理想を反映してしまう。これでは、シミュレーションのデータとして使い物になろうはずもなかった。
しかし、研究機関では使えなくとも、アミューズメント分野として運用できると、これを拾う者があった。それが、現在のファンタジーフロンティア社の社長である。
彼女は必要な権利を買い上げ、会社を立ち上げた。そして、彼のシステムの表現するワールドを『異世界』と表し、そのビジネスを拡大し始めたのである。野放図に展開される世界を、MPやスキルなどのシステムで縛り、管理することに成功した。オンラインで繋がったその世界を、ユーザーは自由に創造、参加、閲覧することができた。
法人、個人を問わず、いくつもの世界が作られた。異世界英雄譚、幻想的な恋愛物語、オンラインゲームのように多人数が参加する世界。ユーザーの発想一つで理想の世界が作れる。その自由度の高さに、瞬く間にそのシステムは多くの支持を集めた。
しかし厄介なことに、一つ問題があった。このシステムで作られた世界は何故か、一度作られてしまうとデリートができなかった。その世界をいくら破壊しようとも、破壊された世界と言うのが残るだけだった。この点も、他の物理演算システムにはない特徴の一つと言えた。
「そこで、我々の出番と言う訳さ」
得意げな顔で語る閉鎖部の部長リュートだったが、ここまでの説明をしてくれたのは補佐役のリナだった。そのことに特に不満に思っている様子はなく、リナは仕事に戻っていた。リュートが先を続ける。
「えっとね、世界にはホストっていう、その世界を覗くために設置してあるアバターがあるんだ。ホストはその世界を統括するための機能全部背負ってて、このアバターが消えると、リアルと異世界は相互に干渉することできなくなるんだ。僕たちの仕事は、ユーザーが弄った設定をデフォルトの状態に戻して、ホストを消してその世界を閉鎖することなんだ」
「なるほど……」
分かったような分からないような。ユウキは曖昧にうなずいて見せた。
「なんだか……本当に異世界が存在してるみたいですよね」
そんな様子の彼女に、部長は苦笑いを浮かべた。
「そんな訳ないと思うけど、会社の方針としては実際にあるかのような建前で進めていく経営方針らしいからね。まあ会社の設立経緯とかコレの詳しいシステムとか、正直ボクもあんまり理解してないから、ふわっと理解しておけばいいと思うよ。俺たちの業務内容さえ把握しておけばね」
リュートが先を続ける。
「厄介なのがさ、ホストの削除権限はホスト自身が握ってるんだ。だから、ホスト権限をまず奪わなきゃいけないんだ。そのホスト権限を移譲する権限を持ってるのが、リナくんの操ってるアバターだよ」
バイザーを被った女性型のアバターのことだった。ちなみに、閉鎖部で使ってるアバターのモデルはほぼ全て部長のリュート作だと言う。部長補佐のリナはグラフィック関係にはあまり興味がないらしい。
「まあ今回の閉鎖作業は楽なもんだよ。ユーザーが優等生だったみたいで、ちゃんとホストの機能停止しといてくれたから」
そこは屋内の一室だった。粗末な部屋に戦士風な男が一人、椅子に座っている。この世界の主人公だったのだろうその男は、どこを見る訳でもない眼差しで、瞬きすることもなくじっと遠くを見つめていた。
「毎回こうやって抵抗なくすんなり終わると楽なんだけどねぇ。人によっちゃあ放置してそのままって人がザラだからさ。まあ、規約に乗ってるわけでもない単なる会社側からのお願いだから、強制力ないんだけどね」
この物語は相当序盤らしく、この男の他に仲間らしきものは居ないようだった。
「ちょろっと試してみてすぐ飽きたのかね。閉鎖する身になって欲しいもんだ」
こういう世界は、他にもいくつもあると言う。登録しているユーザーは何百万と居るので当然だ。その数多ある世界を一つ一つ閉鎖していかなければならない。
ファンタジーフロンティア社の異世界は、今も広がり続けている。業績はうなぎ登り、ユーザー数も増加し続けている。
「ホスト権限の移譲、完了しました。これから閉鎖作業に移ります」
「うむ。リナくん、ご苦労ご苦労」
宣言するリナに対して、リュートは腕組みして大仰にうなずいていた。それに対してリナの冷たい声が突き刺さる。
「部長、いい加減仕事に戻ってください。あと気持ち悪いんで君付けで呼ぶのやめてください。セクハラで訴えますよ」
「うむ。ごめん。リナちゃん怒んないで」
ホストだった戦士風の男が光の粒子となって消えていく中、ショボくれた声で部長もまた消えていった。今度こそ仕事に戻って行ったようだった。