6.異世界閉鎖部
魔王代行と言うのが、この部署を揶揄して囁かれている陰口だと知ったのは極めて最近のことだった。
「あの、閉鎖部と言うのはどこに行けばいいんですか?」
そう彼女が道を尋ねると、答える社員の顔は大きく曇っていた。
「え? 魔王代行のところに何の用?」
初めは何のことを言っているのか分からなかったが、文脈から察するに、閉鎖部と言う所はそう言った俗称で呼ばれているのだと、なんとなく理解することができた。
「今日からそこで働くことになったんです」
「えっ!?」
社員は酷く驚いたようだったが、何やら取り繕う様子で笑顔で答えてくれた。
「エレベーターに乗って地下に降りて。きっと行けば分かると思うから……」
そのやり取りが行われたのは今朝のことであった。
言ってみれば確かに迷うこともあまりなかった。地下には他に部署は存在せず、設備関連の部屋を除けば、あるのはその閉鎖部ただ一つだった。
「ホストの活動停止を確認。報告を行ってください」
彼女のために宛がわれたAIが、予め定められた手順に従って完璧なアシストを見せる。新人の彼女は、行動のほとんどをその指示に従って行えば良かった。
彼女が上司へ報告を上げると、彼らはすぐに姿を現した。黄金の鎧に身を包んだ姿の男と、バイザーを身に着けたサイバーパンクなファッションの女性が、彼女の目の前に転送してきた。
「お疲れ様です」
女性の方が、出し抜けに素っ気ない調子で挨拶を投げかけて来る。それに対して彼女は慌てて同じ言葉で返事を送った。
聞いているのか居ないのか、女性型のアバターは彼女の横を素通りすると、ボロボロの状態で倒れ伏しているホストの方へと歩み寄って行った。
ホストのボロボロさたるや、普通の人間ならば一分の希望さえ見いだせない程切り刻まれて居たが、不死身の彼等は放っておけばいずれ、その状態からでも再生するらしい。話に聞くところによれば、たとえ塵となったとしても、世界の楔たる彼らは滅びることは無いのだと言う。だから、作業は手早く済ませてしまわなければならない。
「やーお疲れお疲れ」
黄金の鎧を身に纏った姿の男が、気さくに挨拶を振りまきながら彼女の方へと歩み寄って来た。フルフェイスの甲冑なので顔は見えない。それに対して、彼女はやはり同じようにお疲れ様ですと返した。
「部長、ここは手が足りていますから、どうぞ仕事に戻ってください」
そう黄金鎧の男に語り掛けながらも、女性の方の作業の手は休まることは無かった。まるで機械のような正確さで仕事をこなしながら、機械のような冷徹で辛辣な声音で男の方へと棘を刺していた。だが、部長と呼ばれたその男は気にした様子もなく、ヘラヘラとその攻撃を躱すだけだった。
「いやいや、こうやって新人とコミュニケーション取るのだって大事な仕事だし。それに、色々分からないこともあるだろうから説明してあげないとねぇ」
と言うのは方便で、部長はただ単に仕事をサボる口実が欲しいだけなのだろうと、二人のやり取りを眺めながら彼女は何となく察していた。仕事をしたがらない部長と、仕事のできる部下。こういったやりとりも日常茶飯事なのだろうと、そう感じさせた。
部長の説明に納得した訳ではないだろうが、部下の女性は反論することもなく、黙って作業を続行していた。言っても無駄と言う諦観と、仕事をしなければと言う義務感から来る疲労が伝わってきそうだった。
部長は改めて彼女の方へと向き直ると、咳払いひとつで間を取って語り掛けて来た。
「ええっと、ナニ君だったかな?」
問われて彼女はすぐに答えた。
「ユウキです」
答えてから、名前で名乗らず苗字で名乗る方が社会人のマナーだっただろうかと失敗を悔いた。あるいはフルネームの方が良かっただろうか。などと考えていたが、相手は彼女の対応を気にした様子もなかった。
「そうかそうか、ユウキくんね。いや、名前だけ聞いてたから、女の子が来たときはビックリしたよ」
「家族からはユキちゃんって呼ばれてます」
相手はなるほどねと呟くと快活に続けた。
「改めて自己紹介するよ。僕は閉鎖部の部長やってるリュートって言うんだ。よろしくね。で、あっちで不愛想にしてるのが、部長補佐のリナくん」
呼ばれて顔をこちらに向けて来るその部長補佐のリナが、訝し気な声を発する。
「さっきから気になっていたんですが、なんで君付けなんですか?」
その彼女の問いかけに、部長は何やら得意気な様子で答えた。
「いやさ、下手にちゃん付けで呼ぶと、セクハラで訴えられるおそれがありますってビジネス本に書いてあったんだよ」
「ああ、昨日百円で買って来た古本の奴ですね」
馬鹿にしているのか下らないと思っているのか分からないが、部長補佐のリナは興味なさ気にまた作業に戻ったようだった。
「で、どうだった?」
どうと言われても、唐突に感想を求められて、ユウキは困ってしまった。どう答えればいいのか分からず、彼女は生返事を返すしかなかった。そんな適当な態度で大丈夫だろうかと不安になったが、部長は特に彼女に対して悪感情を抱いたようには見えなかった。彼は会話を続けた。
「簡単だっただろ? ゲームみたいなモンだし」
「私、あんまりゲームとかやったこと無くて……」
「え、そうなの?」
それは明らかに彼の期待していた反応とは違っていたようだった。こんな会社に就職を希望したのだからゲームが好きなのだろうと思われても仕方がないだろう。おそらく部長もゲームが好きで、彼女の事を同種の人間だと思っていたようだ。彼の反応からそれがなんとなく読み取れる。
「それになんだかリアルで……」
呟くと、彼女はそっと、血塗れで倒れているホストの方へと視線を向けた。実際にはそうでないと分かっていても、まるで本当に人を殺してしまったかのような感触が手から拭えない。
「そ、そうか……」
彼女の暗い声音に、部長はそう呟いた。共通言語を持たない若い女性とおじさんとの間に、僅かに気まずい空気が流れた。気を遣わせてしまっただろうかと、彼女はちょっと自分の発言を悔いた。
「ま、まあ、それがウチの売りだからねぇ……」
目の前のドン引いている女の子を目の前にして、かと言って自社製品を悪し様に言う訳にもいかず、部長は曖昧な態度で誤魔化していた。
「まあ、なんだその、初めてにしちゃあ大したモンだと思うよ、うん」
「あーダメダメ、全ッ然ダメだわ」
部長のフォローを全部ぶち壊すように上から声が降って来る。
その人物は本当に空から降って来た。地面に激突するような勢いだったが、男は衝撃をまき散らしながらちゃんと着地すると、彼女らの前まで歩み寄って来た。黒い鎧に身を包んだ姿で、今まで彼女と一緒に居たはずだったが、いつの間にか彼の方には巨大なドラゴンの首が担がれていた。それをまるでゴミでも放り捨てるように地面に投げると、彼はそれを椅子代わりに腰かけた。
その姿を見て、部長は渋い声を上げた。
「エーイチ、お前また一人で勝手にウロチョロしてたな」
「だって、暇だったんだもん。仕事はキッチリやってるんだから別にいいじゃんかよ」
不満げな口調のエーイチの矛先は、ユウキの方へと向いた。
「それよりも問題はさ、その新人くんなんじゃねぇーの? 行動の度に一々モタ付くわ、ステータス差歴然の相手に手間取るわ、オマケにメンタル激ヨワだし、この仕事向いてねぇーんじゃねえの?」
その男の言葉は辛辣極まりない物だったが、実際それは彼女も感じていたことだった。足手まといになっていることに、彼女は多少の負い目を感じていた。
「それは仕方ないだろ、彼女はまだ新人なんだし……」
すかさず部長がフォローする。
「それになんだ、素質はあると俺はおもうゾ」
明らかに心にもないことを言っていると彼女にも分かったが、ユウキはその状況を黙って見ていた。だがエーイチはそんなことにはお構いなしに容赦なかった。
「え、ナニ? 素質? ドコドコ、どこにあるの? ちょっと僕には分からないんですが教えてくれますか? ちゃんと理論立てて矛盾なくお願いしますよ。僕にはちょっと理解できないんですが。論理エラー表示出まくりで困っちゃうんですけどー」
「お前は相変わらずウザいな……」
「え、俺間違ってること言いましたァ? ちゃんと理論てて話すのが会話の基本だと思うんですけどー」
「うるさいな黙ってろ! 色々とあるんだよ大人の世界は! 色々とッ!」
「わー大人の逃げ口上が出たぞー!」
「逃げてねえわボケ、黙ってろ!」
「お前の母ちゃんデベソー」
「関係ねぇーだろぶっ殺すぞ!」
「ホスト権限の奪取終了しました」
本気で喧嘩を始めそうな二人の間に、唐突にリナが割り込んできた。
「これから閉鎖作業に移ります。五月蠅いんで出て行ってください」
言うが早いか、リュートとエーイチの姿が掻き消えた。どうやらリナに追い出されたらしい。
その消えた空間を眺めて居ると、リナがユウキの方へ歩み寄って来た。思わず彼女はぺこりと頭を下げた。その姿にリナは軽く手を上げて応えた。
「改めて、お疲れ様でした。後は私の方でやっておくから休んでいて構いませんよ」
「分かりました。どうも、お疲れ様です」
ユウキはもう一度お辞儀すると、そのままログアウトした。世界が暗い闇に沈んでいく。その光景は、もうこの世界が誰にも観測されることが無いという実感を、何となく感じさせていた。
世界の楔たる存在だったケントと言う存在。それが、光の粒のようになって消えていく。それはもうホストではないのだから二度と蘇ることはない。
新たな楔として君臨するリナが命じる。世界に存在するすべての神秘は否定され、奇跡はもう起こらない。あるべき姿へと戻っていく。神々から見放され、勇者も消え去ったこの世界の行方を、神々が知ることはもう無い。寄る辺を失い移ろう世界がどうなるのかは、神のみぞ知らず。