3.転
探知スキルと言うのは、思っていたよりも便利なものだった。一目で辺りの様子が分かる。
マップ上には赤の光点と青の光点が表示されている。おそらく、この赤の光点と言うのが敵意を持った者を表しているのだろうと思う。マップ上の赤と目の前の化け物たちの数がきっちり合っている。
広域マップで確認すると、圧倒的な赤の光点の数に比べて、青の光点は少ない。こうしている間にはも、青の光点が消滅して行くのが分かった。
「滅亡の危機って言うか、もう片足突っ込んでるじゃねえか」
嘆いてみても、現状がどうなるわけでもない。
目の前の化け物の名前が表示されている。オークと言うらしい。イノシシが二足歩行しているような容姿をしている。それがざっと見て数体、各々が得物を手に凶悪な表情を浮かべている。
「ゆ、勇者さま、お逃げください……」
床に倒れ伏した男のか細い声が聞こえて来た。建物を焼き尽くそうと炎が爆ぜる中聞き取り難かったが。神職らしき衣装を身に纏ったその男は、懇願するように手をケントの方へ差し向けて来た。
「どうか、どうか世界を御救い下さい……」
そう言い終わるのとほぼ同時に、その男の側に立っていたオークが容赦なく、手に持った斧を振り下ろした。赤い飛沫が舞い上がり、男の頭部が潰れる。
「お、オイ、冗談だろ……」
軽い気持ちで請け合ったことを後悔した。物語の中の英雄譚を想像して挑んだが、実際は血みどろの殺し合いだった。だがそれでも。
「死んでたまるかよ!」
舌打ちして剣と盾を構える。こんな装備で太刀打ちできるとは思えないがやるしかない。
ケントがやる気を見せると、オークはすぐさま飛び掛かって来た。獣の唸りを上げ、斧を振り上げ、ケントの頭を潰そうと恐ろしい形相で迫って来る。
ケントは盾を構えた。相手の強さが分からない。果たしてレベル1で戦える相手なのかどうか。最悪防御を突き抜けて一撃で殺されるかも知れない。だが他に妙案も浮かばず、ケントは盾スキルの加護を信じて、オークの一撃を受け止めた。
腕に感じる衝撃を耐える。100あったHPが98になったことがステータス画面に表示されている。スキルのおかげで、盾受けさえしてしまえば大したダメージは受けないようだった。
オークは大振りに斧を振り下ろしたことで体勢が崩れている。チャンスだった。
(そこだ……ッ!)
がら空きになったオークの胴体に、渾身の力を込めて剣を振り下ろした。つもりだった。だが、オークは大した痛痒も感じた様子もなかった。受けたダメージで言えば、きっとケントが盾で受けた時と同じぐらいのように思えた。
「そんな……ッ」
少なからず衝撃を受けて数歩後退った。オークはケントより数段格上の相手のようだった。攻撃スキルもなく、レベルも低いケントには、無防備のオークにかすり傷を与えるのが精一杯のようだ。
お互い、致命傷を与えることができない。だが、だからと言って互角と言う訳ではない。相手は盾を避けて攻撃を与えれば、大ダメージを狙えるチャンスがある。それに、オークの体力はケントの数倍はありそうだった。このままHPの削り合いでは、勝ち目はなさそうだった。
しかしオークにとって、そんな馬鹿正直に削り合いをする必要はない。オークは何匹も居るのだから、その数量の差で押しつぶしてしまえばいいだけだ。後ろに控えているオークたちが、黙って見て居る訳がなかった。
突如、ケントのスキルが発動した。盾スキルのオートガードと言うスキルだった。誘われるように、ケントの持つ盾が動いた。不意に放たれたボウガンの矢が叩き落される。
不思議な感覚だった。何も考えなくても、自然と体が動いた。まるで達人が反射的に動くような華麗さだった。
しかし、受けたダメージは先ほど斧を受けた時よりも大きかった。ビリビリと手が痺れている。どうやらオートガードと言うのは、遠距離攻撃に自動で発動するスキルのようだった。オートガードで受けたダメージは、受動的に防御した時より防御性能が落ちるようだった。その上、一度発動するともう一度使えるようになるまで時間が要るらしかった。
目の前のオークの攻撃をしのぎながら、その後ろから放たれる矢を捌く技術はケントにはない。次同じことをされればオシマイだ。
オークたちがボウガンを取り出すのが見えた。
「クソ……ッ!」
どうしようもない。絶望的に悪態を吐くしかできることもない。ケントは身構えた。
「ウオオオオオォッ!」
突然雄たけびが乱入してきた。部屋の入口から現れた影は、瞬く間にボウガンを構えたオークの群れを叩き伏せた。何とか反応できた斧オークさえも、大した抵抗もできずに叩き潰された。
呆気に取られてその様子を見ていたケントに、それは語り掛けて来た。
「大丈夫でございますか、勇者殿ッ!」
その男は、見るからに屈強な戦士だった。頑強で重厚そうな全身鎧を着ているが、その身のこなしは機敏さを失ってはいない。その上、得物の斧槍を軽々と振り回して見せていた。
「黒髪に黒目。おお、そのお姿こそ、まさしく異世界の者。勇者召喚は見事成功していたのですね」
確かに、ケントの顔立ちなどは、その男の物とは大分違う。男の髪はブロンドで、瞳の色はブルーだった。
男は跪くと、ケントに語って聞かせた。
「我が名はクリント・ノースウッド。ノースエンド王の近衛兵長であります。王より勇者さまを御守りするように直命を受けております」
「王様に?」
「はい。王は討ち死になされて、私に託されるように……」
クリントは無念そうに呻くと、拳で床を殴りつけた。そうしてから、顏を上げて再び語り始める。
「まことに不甲斐ないことでありますが、見ての通り、この城はもう落ちます。何とか勇者さまを召喚するまでと耐えておりましたが、これが精一杯でした。ですが、こうやって何とか勇者さまを召喚することができました。死んでいった者たちも本望でしょう」
男はすっくと立ち上がった。
「しかし、勇者様と言えど貴方様はまだ未熟。女神様のお力も弱り果て、その加護の力も微々たるもの。とても魔王と戦える御力はまだございません。ですから、今はお逃げください。そしていつの日か、この世界を御救い下さり、散っていった者たちの無念を晴らしてください……ッ!」
ケントが何かを答えるよりも早く、部屋の出入り口が吹き飛んだ。そして、普通のオークの身の丈の二倍はあるオークが姿を現した。普通のオークとは明らかに違う。巨大な体躯に重厚なアーマーを身に着けたそのオークは、名前の所にオークジェネラルと表示されていた。
その姿を見て呻くクリント。彼にとっても強敵のようだった。
「私が奴を引き付けます。その間に、どうかお逃げ下さい!」
否応もない。ケントには戦う力はない。逃げるしかなかった。
「クソッ!」
巨体に立ち向かっていくクリントの姿を横目に見ながら、ケントは駆け出した。崩れた壁の隙間から部屋を脱出する。何かを考える余裕も無かった。
探知スキルで表示されたマップに赤の光点が溢れている。ケントは、そのマップを頼りに敵を避けながら駆けて行った。
それから数日、ケントは近くの森に潜伏していた。
魔王軍は徹底していた。彼らは山野に逃げ延びたノースエンドの住人を狩り続けている。
ケントの潜んでいる森にも、数多くの魔物たちがうろついていた。探知スキルがなければたちまち見つかっていただろう。魔物の中には聴覚や嗅覚が鋭い種類の魔物も居るらしく、探知スキルで位置が分かるとは言え、油断はできない。
あと数日耐え忍べば、きっと魔王軍も撤退するに違いない。巨木の洞にじっと腰かけながら、ケントは考えていた。
森に人間の食糧になりそうなものと言うのは、思ったよりも少なかった。木の実は小鳥が食べそうな小さな粒の実しかなかったし、小川にも大きな魚の姿は見当たらなかった。いざとなれば、小さな魚でも捕まえて食べなければいけないかも知れないが、火を起こす道具がないので生で食べるしかないかもしれない。もっとも、火を起こせたとしても、そんなことをすれば位置を知らせるようなものなので、出来る訳はないが。キノコの類も見つけたが、さすがにリスクが高すぎるだろう。小川の近くに綺麗な湧き水を見つけたので、飲み水の心配は無かった。しばらくは木の実でなんとかするしかないだろう。試しに食べてみたが、味はとてもおいしい物ではなかった。
大丈夫、あと数日なら耐えられる。ケントはそのまま眠りについた。
三日後、魔王軍はまだ撤退していなかった。もしかしたら、勇者を見つけるまでは諦めるつもりがないのかも知れない。そんな不安感をケントは抱き始めていた。
自分のステータス画面に、衰弱(軽)と表示されているのを見つけて、ケントはさらに不安を増していた。確かに疲れている気がする。空腹も耐え難いものになってきている。少し痩せて来たか。ステータス画面の最大HPが何故か80になっていた。
このままではマズイかも知れない。小川の小魚を食べるべきかも知れない。明日、小川に行ってみようと眠りについた。
次の日、タイミング悪く魔王軍の捜索隊が来た。動き回ることができない。今日は大人しく隠れているしかない。ケントは眠りについた。
捜索隊が小川に陣取り始めた。さらに、湧き水の場所も押さえられてしまった。もう湧き水も魚も手に入らない。魚を食べておけば良かったと後悔したが、もう遅かった。喉が渇く。水が得られないのは深刻だ。人間は水無しでは三日と持たない。なんとかしなければ。
捜索の手が迫って来たので寝床を放棄せざるを得ない。仕方ないのでさらに森の奥へと身を潜めた。洞窟ような物を見つけたので、そこに潜むことにする。岩場に僅かに水が溜まっていたので、それを啜ってなんとか凌ぐ。湧き水に比べれば清潔とは言えなかったが仕方がない。この辺りには木の実が少ないようだった。食料の問題が心配だった。
空腹に耐え兼ねてとうとうキノコに手を出してしまった。味は悪くなかったが、腹を下してしまった。ステータス画面の衰弱が(中)になっていた。最大HPも50まで下がっていた。これから一体どうなってしまうのか、さらに不安が襲ってきた。
拠点の近くのマップ上に青い光点を見つけた。衰弱でフラフラになっていたが、何とか足を運ぶ。同じように逃げて来た人間か、もしかしたら助けかも知れない。そう思って赴いてみると、ボロボロの鎧が落ちていた。
よく見るとそれは鎧ではなかった。ボロボロの人間だった。左腕がない。鎧は血糊で汚れて、あちこち壊れている。右足には大量の蛆が湧いている。その側に、大きな斧槍が転がっている。さらによく見れば、それは近衛兵長のクリントだった。
「おお、勇者殿……」
彼はまだ生きていた。虫の息だが、虚ろな目で見上げて来る。顔面も血だらけで、本当に彼かどうか面相で判断するのは難しかった。
「無事で、良かった……本当に、良かった……」
彼はそう呟くと絶命した。森は嫌な静けさを保っていた。
もう何日経ったか分からない。空腹も限界で、もう動くのも辛い。クリントの遺体を見て葛藤する自分が嫌だった。衰弱が(危)になっている。限界かも知れない。
腹が減ったので、その日は蛆を食べた。うまかった。
ケントは何とか意識を保っていた。多少食料を得たことで復調したが、それでも体調は良くなかった。最近はHPの最大値が30と25の間を行ったり来たりしている。そんな中でも、マップ上の動きには注意を向けて居なければならなかった。今のところ、この辺りに魔物の気配はない。それでも、魔物の数は減っていなかった。
しかし、もうそんなことはどうでもいいのかも知れない。たとえ魔王軍が撤退したとしても、もうケントには森を脱出するだけの体力が残っていない。どちらにせよ、もう見つかるのが先か、衰弱死するのが先かと言う違いしかないのかも知れない。
ケントは膝を抱えて泣いた。もうマップを監視するのもバカらしい。彼はそのまま眠りについた。
翌朝目を覚ますと、彼はまだ死んではいなかった。安堵するべきなのか、絶望するべきなのか分からない。
だが、ある事に気付いて彼は身を起こした。マップ上を青い光点が移動している。しかも三つだった。少なくとも、死にかけの人間ではないようだった。
誰でもいい。助けてくれ。祈るような想いで、ケントは洞窟を這い出た。
足元がフラ付く。今にも倒れそうだ。だが最後の力を振り絞るつもりで、彼は茂みを掻き分け、三つの光点の進路上へと向かった。
「なんだ……?」
ケントの起こす葉擦れの音に、相手が気付いたようだった。話声が聞こえて来る。その中に、ケントは飛び込んだ。安堵感からか、そのまま倒れ込む。
「きゃあッ!」
悲鳴が聞こえて来る。女性の洋だった。よく聞けば、聞こえて来る声は女性のものばかりだ。
下がれ、と叫ぶ声が聞こえる。だがそんなものは気にも留めず、ケントは身を起こした。安堵感が襲ってきて、うめき声しかでない。
(良かった、ちゃんとした人だ。これで助かる……)
だが、そんなケントの思いとは裏腹に、不穏な空気と単語が流れて来る。
「魔物だ! きっとグールだよ!」
「コノヤロウ、ぶっ殺してやるッ!」
「……え……?」
青かった光点が赤く変わる。明らかな殺気に、ようやくケントは気付いた。彼女らは、やつれて貧相になった彼の体躯とボロボロの恰好を見て、何かしらの魔物と勘違いしているようだった。一気に血の気が引いた。
「アタシの炎で焼き尽くしてやるよ!」
そう言うと、赤髪の女が前に進み出て来た。紅蓮の炎を手のひらに纏わせて、それを振りかざしている。
ケントは逃げ出そうとしたが足がもつれて転んでしまった。衰弱している体で逃げられるはずもない。
「待って!」
あわやと言う所で、大人しそうな銀髪の女性が割って入って来た。
「待って姉さん、グールなんかじゃないわ!」
「じゃあゾンビ?」
「そういう事じゃなくって……」
呆れたように銀髪の女性はため息を吐いた。
「こんな姿してるけど、彼は人間よ。どうして確かめもせずに攻撃しようとするの?」
「だって、こんなナリしてたらグールだって勘違いしてもしょうがないじゃない」
「私たち、生存者の救出しに来たのよ。魔物退治のクエストに来た訳じゃないんだから、もっと考えて行動してちょうだいよ!」
「やーい、怒られてやんのー」
筋骨隆々のガタイの良い女性が囃し立てる。
「うっさいよ。アンタだって勘違いしてたじゃないか」
赤髪の女は不満そうに唇を尖らせていた。
ともかく、助かったらしい。ケントは今度こそ安堵に身を沈め、どっと倒れ込んで気を失った。
あらゆる武器を使いこなす、歴戦の女戦士レド。
炎の加護を受けた女魔導師ミーファ。
神聖と奇跡の魔法で人々を助ける神官ラシィ。
そして、異世界からの来訪者、勇者ケント。
彼らの冒険はここから幕を開けるのだった。