1.起
ああ、畜生……今日は俺の誕生日だって言うのに……最悪だ。
薄れ行く意識の中、霧崎剣斗はそう考えていた。自分の体が滅茶苦茶に壊れているのは理解できた。全身が余すところなく痛みを発している。きっともうダメだろうと言う事も理解していた。
何とか守り切った腕の中の命が、ミャーミャーと小さな声を発している。その事だけがせめてもの救いだった。
頬を打つ雨が冷たい。身体の奥底から寒気が這い上がって来る。だがその感覚も急速に手放しつつある。やがてそうやって何も感じなくなるのだろうと言うのが、彼に死の実感を与えていた。
帰りたい。脳裏に浮かぶ、家族や大切な人々の顔が浮かぶ。だがそれらの人とはもう会えないのだろう。永遠に。そう考えると、死ぬことよりその事の方が悲しくなった。
「お誕生日おめでとう」
出し抜けにそう言われて、剣斗は多少面食らった。だがまあこの日は家族が誕生日会をしてくれるから早く抜けると宣言していたのだから、こういう事態もあって不思議ではなかった。
バイト先の先輩の真理子さんが、包装された一輪だけの花を差し出しながそう言ってきた。
「あ、ありがとうございます」
狼狽えながらもそう答えて、剣斗はそれを受け取った。
「ごめんね、そんなので。バイト来る途中でお花屋さん見つけて、そう言えば剣斗くん今日誕生日って言ってたなって思い出してさ」
申し訳なさそうに言う真理子先輩に、剣斗は慌てて手を振った。
「いえいえ、そんな、俺スゲェ嬉しいッスよ」
実際かなり嬉しかった。真理子先輩は美人な大学生で、ちょっと憧れてもいた。仕事もできて非の打ち所が見当たらない。そんな彼女に気にかけて貰えるとは、ちょっと期待もしてしまう。
「今日で十七歳になるんだっけ? いいよねえー十七歳って。なんかさー、みんなキラキラして見えるよね」
剣斗とは何歳かしか違わないはずだが、真理子先輩はうっとりした表情でそんな風に言って来る。きっと大人になるって色々大変なんだろうなと剣斗は思った。
「いいなーいいなーお誕生日会。私も参加したい! でも私はまだバイト」
そう言って泣く素振りを見せる先輩。剣斗は困って頬を搔いた。
「先輩の予定が大丈夫なら来てもらっても良かったんですけどねぇ……。どうせ幼馴染も来るって言ってましたし」
「おっ、もしかして彼女?」
「えっ、いや、違いますよ、風香はそんなんじゃ……」
慌てて言い返すと、真理子はしてやったと言った顔でニヤついた。
「やっぱり女の子なんだ」
どうやらカマを掛けられたようだった。
「剣斗くんモテそうだしねー、へーそうかいそうかい」
「ちょっとやめてくださいよ。アイツはそんなんじゃないですってば。アイツ、俺の妹の鈴音と仲が良くて、昔から兄弟みたいなもんで……」
「ハイハイ、分かってますって。じゃ、私はバイトの続きがあるから。楽しんで来てね」
言って、笑顔で手を振る先輩。どうやら要らない誤解を生んだらしい。せっかく先輩とイイ感じだったのにと少しだけ失望する剣斗。
そして剣斗は先輩から貰った花を抱えてバイト先から立ち去った。外は雨が降っている。だが気分は上々だった。この後、道路に飛び出した猫を助けるためにトラックに撥ねられるなどと夢にも思わずに、彼は帰路を急ぐのだった。
ああもうダメだ。もう痛みも感じない。全身に負った傷がまるで無かったかのよう痛みを感じない。
ふと気付いて、彼は目を見開いた。身を起こして全身を確認する。死んでいない。傷も無くなっている。
「一体どうなってるんだ……?」
良く周りを見渡せば、そこは道路の真ん中ではなかった。ただただ白い空間が果て無く続いている。
そして、剣斗は背後にある気配に気付いて振り返った。そこには、光り輝く巨乳の女性が立っていた。
「……あんた、誰だ……?」
その剣斗の問いかけに、女は答えた。半ば予想していた答えを。
「私は、神です」
やはり自分は死んだのだと、悟るしかなかった。