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後編







 話は昨日に遡る。


「陽太、おばあちゃん今日は自治会の旅行で一泊だから、帰ってきたらすぐハム吉にご飯をあげてね」

「うん! 分かってる」


 ハム吉は、僕が誕生日に買って貰ったゴールデンハムスター。

 ハム吉はハムスターでありながら、体長20センチ、体重200グラムと小さめの猫くらいある巨体がチャームポイントだ。そんなハム吉は、僕の部屋で特大のケージに入れて飼っている。

 ハム吉は僕のペットだから、基本は僕がお世話をしてる。だけど夜行性のハム吉は夕方、僕が下校するちょっと前に起きて、まずエサを食べる。

 だからハム吉のエサだけは、ハム吉がお腹を減らさないように、日中家にいるおばあちゃんにお願いしていた。ちなみに食いしん坊のハム吉には、あらかじめケージ内にエサを入れておく手段はとれない。

 ハム吉は、あればあるだけ食べてしまう食いしん坊なのだ。


「それじゃあ陽太、お土産を買って来るからね!」

「うん、いってらっしゃい」


 おばあちゃんは、大きな旅行鞄を抱えて我が家を後にした。

 ……さて、僕もそろそろ行かなくちゃ。


「ハム吉、今日はおばあちゃんいないんだ。寂しくさせちゃってごめんね。僕、大急ぎで帰って来るから、ちょっとだけ待っててね?」


 ランドセルを手にした僕は、出掛ける前に最後にもう一度と思い、ケージの中のハム吉に話しかけた。ハム吉のつぶらな瞳が僕を見上げていた。

 その目は、物言いたげで……、まるで何かを強請るようで……。

 とにかく、物凄く哀愁漂う、寂しそうな瞳が僕を一心に見つめていた。


「陽太ー? そろそろ出ないと遅刻よー?」

「! はーい、今出るよー!!」


 階下から母さんに呼ばれ、僕は決断した。


「……ハム吉、おいで!」


 僕には確かに、ハム吉の目が喜色に輝くのが分かった。


「行ってきまーす!」

「いってらっしゃい」


 僕はハム吉をファスナー付きの手提げトートに忍ばせると、ランドセルを背負い、母さんの横をすり抜けて逃げるように家を出た。




「陽太、おはよう!」

「おはよう!」


 教室につくと、僕は机の横のフックに手提げトートを掛けた。ハム吉が万が一にも苦しくないように、ファスナーは三分の一ほどを閉め切らずに開けておいた。


「ハム吉、大人しくしてるんだぞ?」


 僕は手提げトートに向かって声を潜めた。

 もちろん返事なんて返ってこない。なにより夜行性のハム吉はそろそろ眠くなる時間。案の定、ファスナーの隙間から覗き込めば、コロンと丸まった毛むくじゃらの背中が見えた。

 

 こうして僕は、いつもより少しだけ気もそぞろに授業に臨んだ。

 だけど授業の合間合間に覗き見るハム吉は、すやすやと気持ちよさそうに小さく背中を上下させていた。


 最終時限の6時間目は体育の授業だった。

 僕は後ろ髪引かれる思いで、教室にハム吉を一匹残してグラウンドに向かったのだ。そうして体育の授業後、ハム吉が心配な僕は一番に教室に戻った。


 すると手提げトートに入れておいたはずのハム吉が、何故か教室内でポテンと丸まっているのを発見した。

 

「ハム吉!? 勝手に出ちゃダメでしょ!!」


 大慌てでハム吉を掴み上げ、手提げトートに戻したところで、クラスメイトが続々と教室に戻って来た。


「あれー? 陽太早いな」

「いつのまに戻ってたんだよ~」

「う、うん! ちょっとね!」


 誰の目にも触れずに済んだ事に、その時の僕はただただ肩を撫で下ろしていた。







「申し訳ありませんでしたっっ!!」


 僕は機械仕掛けの人形みたいにソファを立ち上がると、正面の教頭先生に向かって垂直に腰を折った。

 頭をさげたまま、僕は謝罪の言葉を重ね、昨日の経緯を包み隠さず伝えた。


「そういう訳で、ラスクを食べてしまったのは、僕のペットのハムスターなんです!」


 先程の悠斗の熱弁すらも凌駕する勢いだった。悠斗と光輝、教頭先生のみならず、授業を終えて職員室に戻って来た先生達の視線までもが、僕に注がれていた。


「本当に、申し訳ありませんでした!!」


 校内にペットを連れ込んだ事、そのペットが逃げ出した事、僕は全てを話した。

 一通り僕の話を聞き終えた教頭先生は、予想外の話の流れに驚いた様子だった。


「そうでしたか。校内にペットを連れてくる、これは大変な校則違反です。分かりますね?」


 一呼吸の間を置いて、教頭先生はゆっくりと口を開いた。


「はい、分かります」


 ……いいや、今だからちゃんと分かってる。だけど昨日の僕は、本当の意味で分かっていなかった。

 それをするリスクも、重みも、なんら分かってはいなかった。

 だって全てを承知している今ならば、僕は絶対に同じ行動は取らない。いや、……取れない。


 眦から零れた熱い涙が頬を伝う。雫は珠を結んで落ちて、床にぶつかって弾ける。

 ボタボタと、堰切ったみたいに溢れるそれが、床を濡らした。

 

「……なぁ、ペットの連れ込みは分かったけど、食べちゃったのってホントに陽太のハムスターなのか?」


 コソッと囁いたのは悠斗。光輝も、うんうんと顔を頷かせていた。


「このセロファンに付いてる毛は、間違いありません。僕には分かります」

 

 ハム吉の体毛を、僕が間違える訳がなかった。付随して、今回の一件の犯人は間違いなく、僕のハム吉だ。


 僕は溢れる涙と嗚咽で、顔をクシャクシャにして泣いていた。


「あの時はただ、トートバックから出ちゃっただけだと思ってたんです。だけど、そうじゃなかった……」


 僕はどうしてあの時、気付かなかったんだろう。

 ハム吉の体毛から、微かに甘い匂いがした。同じく顔周りを中心に、毛が少しザラついているように感じた。

 食いしん坊のハム吉が、いつもより明らかにエサの食いが悪かった。

 今思い返せば、疑惑の芽は幾らだってあったのに……!


「教頭先生、ごめんなさい! それからハム吉、ごめん。僕、ほんとにごめん……」


 僕が流す涙は、教頭先生への申し訳なさだけじゃない。僕はハム吉に対しても、不甲斐なくて泣いていた。


「なんで僕、連れてきちゃったりしたんだろう……。久住先生に聞かされた時、僕は呆れ半分にいたんです。なのにまさか、僕が連れこんだハム吉が原因だったなんて、……僕、不甲斐なくって。それに、ハム吉にしてもそうです」


 人間にはほんの一枚のラスク。ほんの数口分の甘味。

 だけど、ハム吉にとってはそうじゃない。

 ハム吉の体格にとっては、一生分にも相当する糖分を一度に摂取したのだ。


 飼い主として、ハム吉が口にする物の安全は、もっとも留意しなければならなかったのに。

 

「飼い主の僕が、ちゃんとしてあげなきゃいけなかったのに。僕の身勝手で窮屈な所に押し込めて、挙句に大量の砂糖を食べさせてしまいました」

「「?」」


 僕が嗚咽と共に零すハム吉への謝罪に、悠斗と光輝は物凄く不可解な表情で、顔を見合わせていた。


「……須藤君、ペットを連れ込んだ君への是非は今は一旦置いておきます」


 わなわなと肩を震わせる僕の腕を、向かいから教頭先生がトントンと優しく叩いた。

 つられて、ゆっくりと顔を上げた。


「個人的には、ペットに対する君の責任感と愛情がとても好ましいと思えます。世の中にはペットが喜ぶからと、人が口にする菓子類を安易に与える飼い主が多く、疑問視されています。その一時、ペットは喜ぶかもしれません。しかしそれらは確実にペットの寿命を縮めます。須藤君は、ペットを正しい愛情で育てる、その基本がちゃんと分かっています」


 教頭先生が穏やかな表情で言う。


「教頭先生……」


 教頭先生の優しい言葉が、一層涙を溢れさせた。

 ありとあらゆる感情が、渦になってぐるぐると胸の中を巡っていた。


「教頭先生ーー!!」


 応接スペースの沈黙を、けたたましい叫び声が破る。突如割り込んだ声の主は、担任の久住先生だった。


「うちの須藤が、すみませんでした!!」


 転がり込む勢いで応接スペースに突っ込んできた久住先生は、そのまま教頭先生に向かって、膝に頭がつく勢いで頭を下げた。


「「教頭先生、すみませんでした!!」」


 すると、隣の悠斗と光輝も弾かれたみたいに立ち上がり、久住先生に倣うように深々と頭を下げた。


 突然の事態に、僕は呆気に取られて固まった。僕の為に、久住先生が、悠斗と光輝が、なんの躊躇いもなく頭を下げる。


 僕の為に頭を下げる三人の姿に、胸が熱く震えた。感謝や申し訳なさや、吹き出す感情が渦巻いて迸る。全身が、溢れる想いに戦慄いていた。


「久住先生、君達も頭をあげて下さい。ペットの連れ込みは、衛生面のみならず動物アレルギーを持った生徒の健康を害したり、色々なリスクがあります。けれど須藤君は既に重々に理解しているようです。ですから私が、須藤君個人に対してこれ以上言う事はありません。もちろん須藤君の名前は伏せた上で、全校生徒に対して、今回の一件がペットの連れ込みによって起こった事、改めてペットの連れ込み禁止は通達しますがね」


 教頭先生は、淡々と告げる。

 寛大な教頭先生の言葉に、僕のみならず久住先生も、隣でもう一度重く頭を下げた。


「そうそう。もしラスクの埋め合わせなどを考えるのであれば、それは不要というものです。何故ならラスクは、私が須藤君のハム吉君にあげたんですから。とはいえ健康によくないので、今後はあげませんがね」


 優しい笑みで、教頭先生は締めくくった。


「教頭先生、ごめんなさい。それから、……本当にありがとうございました」

 

 僕は最後にもう一度謝罪と、そうして心からの感謝を伝えて職員室を後にした。





 職員室を出た瞬間、隣の悠斗と光輝が僕に抱き付いた。そしてすぐ後ろの久住先生は、ワシャワシャと僕の頭を掻き混ぜた。


「お咎めなくてよかったな、陽太!!」

「ホントだよ! 一時は陽太、どうなっちゃうかと思った!」


 悠斗と光輝は、俺の処遇に気を揉んでくれていた。


「二人とも、一緒に頭下げてくれて、ありがとな」

 

 二人はさも当然だと言うように、笑顔で頷いた。

 二人の笑みに、胸が新たな熱を帯びる。その熱は柔らかな煌きで、心を満たす。


「須藤、これは教頭先生の配慮だぞ。そこのところは重々、承知しておくんだぞ」


 久住先生は、少しだけ苦い表情でそう言った。久住先生は大らかでマイペースだけど、教師としてちゃんと物の分別は弁えてる。

 僕の行動に対しての、先生なりの苦言だ。

 

「はい、久住先生。肝に銘じておきます。それから久住先生、駆けてきて一緒に頭下げてくれて、凄く嬉しかったです。本当にありがとうございました」


 久住先生は僅かに目を見開いて、そうして照れたように笑った。


「なに、生徒の事で担任が頭下げるのは当然だ」

 

 止まりかけた涙が、また堰切ったように溢れた。皆の溢れる優しさで胸がいっぱいに膨らんで、張り裂けてしまいそうだった。

 だけど僕は涙をボタボタと垂らしながら、それでも笑った。

 今、皆の思いに笑顔で返す以外を、僕は思いつかなかったから。





 

 僕が連れ込んだハム吉が巻き起こした今回の一件。僕の安直な行動を白日に曝したこの一件を、絶対に繰り返したいとは思わない。


 だけど、悠斗と光輝という、かけがえのない親友のありがたみを思い知った。久住先生の深い懐を目の当たりにした。

 

 起こしてしまった事実は消せない。だけどそこから学ぶ事は出来る。

 人生はきっと、そんな失敗と学びの繰り返し。


 僕は全てを受け止めて、僕の身に変える。

 そうすれば、僕という人間までもがきっと、彩り豊かな新しい僕へと変わるはずーー。


「ね、ハム吉?」

「……キュッ」






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