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前編






 その日、朝のホームルームに現れた担任の久住先生は、どんよりと曇った表情をしていた。肩の丸まった立ち姿は、大柄な先生をいつもよりも小さく見せた。

 久住先生の消沈した様子に、教室中が一体何事かと息を呑んだ。


「皆さん、おはようございます」


 久住先生の教壇に立っての開口一番も、やはり、覇気がない。


「「「おはようございます」」」


 皆の挨拶を受けて、久住先生はゆっくりと教室内を見渡した。そうして久住先生は、ついに重い口を開いた。


「あのな、皆を疑ってる訳じゃないんだ……」


 先生の不穏な前置きに、教室中が固唾を呑んだ。


「実は昨日、教頭先生が来客用として職員室に置いていたラスクが、何者かに食べられてしまったらしい」


 ……え? ラスク??


「万が一、このクラスに食ってしまったという者がいたら、先生も一緒に教頭先生に謝る。だから正直に、申し出てくれ」


 教室内が一瞬、沈黙に包まれる。


「食う訳ないだろ~」

「あのな先生、誰が小学6年にもなって、わざわざ職員室の菓子なんて食うんだよ。もっと下の学年あたれって~」


 次いで、そこかしこから嘲笑が起こった。


「そ、そうか! そうだよな~!」


 すると久住先生は、目に見えて表情を明るくした。

 久住先生は胸を撫で下ろしているが、反対に生徒たちが先生を見つめる目は胡乱だ。

 久住先生の言動が暗に物語っている。「疑ってる訳じゃない」と言いつつ、久住先生がかなりの高確率でビビっていた事を。


「さ! それじゃ早速、点呼するぞ」


 僕も内心で、どこまでもマイペースな久住先生にやれやれと肩を竦めた。

 僕らが愛すべき久住先生は、新任一年目の体育教諭。

 久住先生は大らかなこの気質で、僕ら6年のクラス中の心を鷲掴みにしている。


「須藤陽太」

「はい!」


 呼び上げられた僕の名前に、元気よく返事を返す。

 担任の先生に向けて持つには少々アレな感想だけれど、久住先生は憎めないキャラクター。かくいう僕も、そんな久住先生をとても慕っていた。

 





「それにしたって、ラスクなんて食ったの誰だよ~」

「どうせ低学年の誰かだろう? きっと、ちょっと味見のつもりで手ぇ出しちゃったんだ。だけどラスクって、意外とボロボロこぼれるし、つまみ食いには不向きだよなぁ」


 班ごとに机を並べた給食の時間も、方々で話題に上がるのは、朝のホールルームで聞かされた一件だ。僕も、一緒の班で向かい合う親友の光輝と悠斗と一緒になって、この話題で盛り上がっていた。


「悠斗、つまみ食いじゃないよ。いくらなんでも、流石にその場では食べないでしょう? そもそもラスクなら、こぼれる以前に噛んだら音でちゃうしね」


 ……あれ? 光輝の言葉を聞きながら、疑問が過ぎった。


「あ! それもそうか~、普通に考えれば持ってったのか」


 悠斗は光輝の言葉に納得したようだったけど、先生は確かに「食べられてしまった」と、そう言った。


「先生! 今朝のラスクの一件なんですけど、先生はラスクが食べられてしまったって言いましたよね? 持って行かれてしまった、ではなかったんですか!?」


 思い至ってしまえば居ても立ってもいられなくなって、僕は隣の班に混ざって給食をとっている先生に質問していた。


「ん? あぁ、教頭先生に聞いた話だと、その場で食い散らかしたようで、周囲が食べくずだらけだったらしい」


 ! その場で、食い散らかす!?


「えー! 職員室で、そんな大胆な事したのか!?」

「いや、大慌てで食べたから、食べこぼしたとも言えるよ。……どっちにしても大胆には違いないけど」


 新たにもたらされた衝撃の事実に、悠斗や光輝はもちろん、教室中がざわめいた。

 教室内のざわめきを余所に、この時僕の脳裏には、ひとつの違和感が浮かんでいた。普通なら、食い散らかすという表現は、害獣や害虫が作物なんかを荒らした時に使われる。

 この一件も、生徒がやったというよりはむしろ……、っっ!


「須藤? どうかしたか?」


 黙り込んでしまった僕を訝しみ、久住先生が問う。


「! な、なんでもありません!」


 僕は疑念を吹き飛ばすように、慌ててかぶりを振った。


「先生、陽太は気が優しいからさ、食べちまった奴を心配してんだよ」


 え?

 何故か、悠斗が僕の心を代弁した。

 けれど悠斗の言葉は、僕の内心とは少し距離がある。


「でもさ、俺も分かるぜ。全校巻き込んでこんな大事になっちゃ、出来心で食っちゃった奴、名乗り出るに出らんないだろ?」

「あぁ、そうかもね。それに先生達も全員が全員、久住先生みたいに生徒の味方って訳じゃないだろうしな」


 光輝も悠斗の言葉に賛同した。


「な、なんだよお前達~、嬉しい事言ってくれるじゃないか~!」

「あー、先生目ぇ潤んでるぞ!?」

「ホントだ―!」


 物凄く感じ入った様子の久住先生は、早速一緒の給食班のテーブルの生徒らに茶化されていた。


 片田舎にあって、この学校の先生達は皆、大らかで生徒思い。だけどその中でも、久住先生は一番熱心で生徒思い。この6年のクラス全員がそう思っている事は間違いない。


「なぁ! ならさ、俺達が味方になってやろうぜ!?」


 唐突に悠斗が叫んだ。


「なんだよ悠斗? それってどういう意味?」

「俺達で食っちゃった奴、探そうぜ! それで穏便に教頭に取り成してやろうじゃんか!? 教頭はまぁ、話せば分かる奴だ!!」


 教頭先生に対して、物凄く上からの物言いだけど、間違いではない。教頭先生は、訪問給食と称して、日替わりで各学年を回っている。そうして一緒に給食を食べながら、色々な話をしてくれる。

 数日前にも僕達6年の教室にやって来て、まさにこの班で一緒に給食を食べた。


 確かその時は、教頭先生が以前飼っていたというインコの話で大いに盛り上がったのだ。 


「悠斗、それいいな!!」


 光輝が悠斗に賛同し、キラキラと決意の篭った目を向けた。


「そうとなったらまずは、当事者の教頭先生に聞き取りだな」

「よし! 決まりだな!! ……ん? 陽太?」


 黙り込んでいた僕に、光輝と悠斗が視線を向ける。

 こうなってしまえば二対一、自ずと僕も付いて行く事になる。


「……オッケー。しょうがない、僕も手伝うよ!」


 口ではしょうがないと言いながら、内心で僕はこの流れにホッとしていた。僕も教頭先生から、もっと詳しい話が聞きたかった。

 

「そう来なくっちゃ!」 

「よし! どっちにせよ、捜索は放課後だな!」


 聞く事で、僕は安心したかった。

 間違ってもこの一件を、僕が引き起こした訳じゃないのだと、そんな確証が欲しくて仕方なかった。






 言い出しっぺだけあって、悠斗の行動は素早かった。終業のチャイムと同時に、悠斗は僕と光輝を引き連れて職員室に駆けた。

 いの一番に飛び出したから、先生も生徒もまだ全員が教室内。廊下を猛スピードで走り抜ける僕達を咎める人はいなかった。


 コンコン。


「失礼します!」


 悠斗を筆頭に、ノックと同時に入室した。職員室には、担当クラスを持たない教頭先生と養護教諭の二人がいた。


「君達、何かあった? 怪我しちゃった? それとも具合が悪い?」


 まず、僕達に声を掛けたのは養護教諭。養護教諭は僕達の全身の状態を確認するみたいに、順番に視線を走らせた。


「違います!」

「体調は問題ないです!」

「俺達、教頭先生に聞きたい事があって来ました!」


 養護教諭に、即座に体調不良を否定して、僕達は教頭先生の元に歩み寄った。


「ほう、私に聞きたい事?」


 教頭先生は席を立ち上がると、僕達三人を職員室の端にある簡易的な応接スペースに招き入れた。


「まぁ良かったら、座って話そうか」

「「「失礼します」」」


 僕達は勧められたソファに、素直に腰を下ろした。


「それで? 私に聞きたい事とはなんだろう?」

「今日、久住先生からラスクの一件を聞きました! 俺達、食べちゃった生徒を探したいんです」


 まず光輝が、教頭先生に向かって口火を切った。


「……君達が探す? 探し出して、君達はその子をどうするつもり?」


 教頭先生は少しだけ、眉間に皺を寄せた。


「教頭先生、僕達は決して興味本位から見つようとしてるんじゃありません」


 口にせずとも、教頭先生が抱いただろう疑念を、僕は否定した。


「もちろん糾弾してやり玉にあげようなんて欠片も思ってません。僕達がしたいのは、」

「味方になってやるんです!!」

 

 僕の言葉を遮って、隣の悠斗が鼻息荒く叫んだ。


「教頭先生も教頭先生です! ラスク一枚で全校のさらし者なんて、あんまりですよ! ほんの出来心でやっちまったなら、そいつ、あんまりにも可哀想じゃないですかっ!!」


 悠斗は拳を握り、向かいの教頭先生に身を乗り出して熱く語る。


「かく言う俺も低学年の頃に、担任の先生のキシリトールガム、くすねた事あるんです! だけどそのガム、先生の机の端っこに無造作に置かれてたんです! しかも風に煽られでもしたらそのガム、机の下のゴミ箱に落っこちるんじゃないかっていう置き方だったんです! だから俺、机の真ん中に置き直してやって、その時ほんの出来心で一個、取っちゃったんです! うぉぉぉぉっ!!」


 本音を言えば、言葉の先を折られ、着地点を見失った僕は物凄く消化不良だ……。なのだけど、悠斗の懺悔混じりの熱弁を前にして一体何が言えようか……。

 燃え滾る炎のような悠斗を前にしてはもう、何も言えない。僕はすごすごと身を引いて、ソファの背凭れに身を預けた。

 悠斗を挟んで又隣に座る光輝も、呆気に取られてポカンと悠斗を見つめていた。


「くぅぅぅっ! きっとそいつも、物凄く後悔してます! かく言う俺も、いざ取ったガム前にすれば、とても食うなんて出来なくてっっ! どんなにか後悔した事かっ!! だから俺が一緒に謝って、なんとか事を穏便に決着させてやるんですっ!!」


 悠斗の言葉の最後の方はもう、雄叫びに近かった。

 僕は興奮冷めやらない悠斗の肩を、そっと撫でた。反対の肩は、同様に光輝が撫でていた。


 親友の僕達は、普段から悠斗の熱血ぶりをよく見知ってる。だけどはじめて目にした教頭先生は、鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔で固まっていた。


「教頭先生? 今の悠斗の言葉が全てです」


 僕は放心状態の教頭先生に声を掛けた。


「! そ、そうか。君達が探したい理由はこれ以上ないほどに分かったよ」


 教頭先生は僕の声にハッとした様子で、ひとつ頷いた。


「教頭先生、まずはその時の状況を詳しく教えてください」

「ああ、あの時はーー」

 

 教頭先生が思い出すように、昨日の状況を話し始める。

 ずっと肩を擦っていた隣の悠斗も、落ち着きを取り戻したようで、一緒に教頭先生の話に耳を傾けた。


 僕は、聞けば聞くほど解せなかった。

 菓子皿に個別包装されたラスクが五枚入っていた。菓子皿は来客の予定時間の少し前に、教頭先生が手ずから用意して置いた。

 そうして、教頭先生が来客の出迎えに席を離れたものの五分の間にラスクは見るも無残な状況になっていた。


「職員室が無人になっていたのは、具体的にどのくらいの時間ですか?」

「いやね、厳密には無人にはなっていないんだ」

「「「え??」」」


 僕達三人は顔を見合わせた。


「私が離席した五分の間、ずっと音楽の佐藤先生が職員室にいたんだよ。ただし、佐藤先生は教材の音源チェックでずっとイヤホンで音楽を聴いていたんだ」

「佐藤先生の席って、職員室のどこですか?」

「佐藤先生は、一番奥の窓側だ」


 確かに奥の窓側の席からだと、職員室の二つある扉の内、後方の扉からの入室には気付き難い。佐藤先生は音楽を聴いていて物音には気付かない。

 しかも教材のチェックとなれば、きっと目も何某かの資料を追っていたに違いない。


「うぅーん、確かに後方の扉を薄く開けて忍び込めば、不可能じゃないけど……」


 呟いたのは光輝。けれど光輝の言葉は、僕と悠斗の心も代弁している。


「それでだ、私はどちらかと言えば出来心のつまみ食いよりは、陰湿な悪戯を想像したよ」


 教頭先生のいう、陰湿な悪戯……。確かに、この状況下でなされた事を考えれば、その可能性の方が高いように思えた。


「しかも袋の開け方が酷いのなんの。個人店で購入したものだったから、薄いセロファンの袋の上をリボンで留めただけだったんだが、セロファンをビリビリに破くような乱雑な開け方をしてあった」


 セロファンを破くという件で、僕の心臓がドキリと跳ねた。

 バクバクと、心臓は煩いほどの鼓動を刻んでいた。

 こめかみを、冷や汗が伝った。


「ちなみに、食べ散らかされていたのは一枚。けれどもう一枚、食べていないのに個別包装を中ほどまで破っていたラスクもあったよ」

「……教頭先生、そのラスクって残ってますか?」

 

 ゴクリと唾を飲み込んだ。

 そうして意を決し、教頭先生に問いかけた。


「いや、流石に外袋が破かれているんじゃ食べるに食べられないからね。捨ててしまったよ」

「なら! 残りの三枚のラスクは!? 残ってませんか!?」

「あぁ、それならあるよ。どれ」


 教頭先生はソファを立ち上がると、ラスクを取りに向かった。

 教頭先生の背中を見るともなしに見ながら考える。


 例えば、もしこれが陰湿な悪戯であったなら、僕の肩の荷は下りるのだろうか……?


「悠斗……。まだ、分かんないよ? 陰湿な悪戯なんて、教頭先生の考え過ぎだよ! ちょっと腹が減って、手ぇ出しちゃったに決まってるよ!」

「そ、そうだよな!」


 誰よりもその可能性を危惧しているだろう、隣の悠斗はすっかり勢いをなくし、肩を丸めて俯いてしまっていた。

 光輝は、そんな悠斗をしきりに励ましていた。

 ……僕も光輝と、同じだった。味方になってやりたいと言い切った、悠斗の心意気を踏みにじる結果はどうしたって望めない。


 僕は、僕の中でひとつの覚悟を決めた。キツく、両の拳を膝上で握り締めた。


「あったあった、これだよ」


 教頭先生は菓子皿を手に戻ってきた。僕達はローテーブルに置かれたラスクを注視した。


「教頭先生、手に取ってもいいですか?」

「ああ、構わないよ」


 僕は教頭先生の許しを得て、ラスクを一枚掴み上げる。


 !!!


 その瞬間、僕は掴んだラスクを衝撃で取り落しそうになった。


……あぁ、やっぱり!!


 ラスクの入ったセロファンの外袋、そこに付いた一本の毛。それは吹けば飛ぶような、ほわほわとした細い毛。

 しかし目にすればもう、言い逃れなどしようがない!!

 間違いようなどなかった!! 僕が、間違える訳がなかった!!


「「陽太!?」」

「須藤君どうしました!?」


 今回の一件は、生徒が「ちょっと腹が減って、手ぇ出しちゃった」んじゃない。

 もちろん、「陰湿な悪戯」でもない。


 突然、全身をわなわなと震わせ始めた僕に、悠斗と光輝、教頭先生の視線が突き刺さっていた。







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